あらすじ
私のイエスは、「教会」には留まらない。
むしろ、そこに行くことをためらう人のそばに寄り添っている――
気鋭の批評家とともに、『新約聖書』マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書を丹念に読み直す。
キリスト教の視点や学問的なアプローチから論じるだけでは見えてこない、今に生きるイエスに出会う。
文庫化にあたり「イエスの涙と悲しみの石」を追加。
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Posted by ブクログ
キリスト教については、通り一遍の知識しかなく、信仰しているわけでもない。だけれど、ヨーロッパを知るためには必要不可欠だし、これだけ世界中の人たちが信仰する宗教について、何も知らないということに、恥ずかしさを感じる。それとは別に、若松さんの穏やかさを見聞すると、キリスト教について単純に知りたいと思い、手にした。
聖書を読み込んだわけではないけれど、今回初めて知ったことが多かった。聖書には書いてないが、後世のイメージで勝手に解釈していることがあると知った。言葉とコトバを若松さんは使い分けながら、イエスについて語っている。若松さんと同じ感覚とはいかないまでも、読んでいくうちにコトバの感覚が分かってきたように思う。現代は、言葉、歴史、事実として聖書やイエスについて語ることが正しいような流れがある。だけど、その神秘性だったり畏怖の念だったりを、感じることでコトバになっていくのかな。そういう感覚を持つことが殆どないのは、無宗教だからなのか。神社に行けば、厳かな気持ちになるような感覚。それは教会でも同じ。そういう感覚を持って聖書を読んでみたいと思った。