【感想・ネタバレ】極限の思想 ラカン 主体の精神分析的理論のレビュー

あらすじ

大澤真幸・熊野純彦責任編集「極限の思想」第6回配本。
精神分析家ラカンは人間をどのように捉えたのか。フロイトの「無意識」「事後性」など諸概念の可能性を掬い上げ、アリストテレスの原因論を足掛かりとして、新たに練り上げられる独創的な概念。
〈他者〉=シニフィアンの導入はいかに「主体」を原因づけるのか。またそこに構造的に内在する「欠如」はどのように「主体」に責任を引き受けるよう迫るのか。
原因と因果性をめぐる思考の果てに到達する、象徴界に穿たれた現実界への開口部とは?

【目 次】
序 章 精神分析家ラカンの軌跡
第1部 アリストテレスにおける「原因」
第一章 四つの原因
第二章 アウトマトンとテュケー
第三章 質料と偶然
第2部 ラカンにおける原因と対象
第一章シニフィアン因果性の三平面
第二章ラカンにおけるテュケー
第三章 原因としての真理、対象の機能

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Posted by ブクログ

ラカンの思想とは、端的に言えば、「人は自分の意志で動いている主体ではない」という徹底した否定ではないか。

私たちは「こうしたかったからそうした」「この出来事が原因だった」と後から説明する。だがその説明自体、すでに事後的で、意味づけによって整えられた物語にすぎない。ラカンにとって主体とは、原因を自由に選ぶ存在ではなく、言語(シニフィアン)と、意味づけ不能な偶然(テュケー)に巻き込まれたあとで、ようやく立ち上がるものである。本書は、この直感を哲学史と精神分析の両面から、極限まで突き詰めていく……が、正直、かなりハードである。

というのも、まずアリストテレスの「原因」論に立ち返るからだ。しかも前提として、アリストテレスに対する一定の学問的基礎が求められる。読書がサスケみたいな障害物レースなら、ここで沈没者が続出する。しかも扱われるのは、有名な四原因論という整理された体系ではなく、そこに潜む不安定さ——質料は本当に形相に従属しているのか、自然は本当に目的通りに動くのか、そして「偶然」とは何なのか——という部分だ。アリストテレスにとって偶然とは「原因がないこと」ではなく、複数の目的的過程が交差した結果、どの目的にも帰属しない出来事である。この偶然の感覚が、ラカンのテュケー概念と重なっていく。

さらに議論はヒュームとカントへ進む。第二関門。

… 原因とは、世界の側にあるのか、それとも人間の認識の形式なのか。ヒュームは因果性を習慣へと還元し、カントはそれを悟性のア・プリオリな形式として救い上げた。だがフロイト的無意識の発見以後、この整理は決定的に揺らぐ。無意識は、合理的説明に回収できない「反概念的なもの」を含み、原因を単なる認識枠として扱うことを拒むからだ。ラカンが再び「原因」を問題化するのは、この裂け目の只中においてである。

たとえば、狙ったあの子を待ち伏せし、思い通りに出会うのは意図的な「原因」をもつ事象だ。だが、待ち伏せしていないのに偶然出会う——それがテュケーである。

ラカンは、シニフィアンの連鎖による自動的な意味生成(アウトマトン)と、それを突き破る現実界との出会い(テュケー)を区別する。主体の欲望は、このテュケー的出来事によって初めて現実に根拠づけられる。その出来事は劇的である必要はない。ごく些細な出来事、微小なズレで十分だ。しかしそれがなければ、人生はただの夢にすぎなくなるという。つまり、原因とは、自分自身の因果性を引き受けさせる契機なのだ。

ここまで読むと、「結局、結果とは語り得る原因と語り得ないテュケーの合成にすぎないのではないか」「語り得る原因すら後付けなら、人間の主体とは何なのか」という疑問が湧く。ラカンの答えは冷酷だ。主体とは、原因を支配する存在ではない。原因から逃げられないことを引き受ける位置に立たされること、それが主体なのだという。

テュケーによって裂け目が開いたとき、主体は「知らなかった」「偶然だった」と退くこともできる。だが、それを自分の欲望の原因として引き受ける瞬間、主体は成立する。ラカンにとって主体とは、自由の主体ではなく、原因に応答してしまう主体である。

本書は、決して読みやすい本ではない。だが、この長い迂回を経て初めて、ラカンが単なる「難解な精神分析家」ではなく、原因という概念を極限まで引き裂き、主体の成立条件を問い直した思想家であることが見えてくる。もっとも、その迂回で躓くか、体力が尽きるかは人それぞれだ。その難しさだけは、テュケーではなくアウトマトンと言える。この二つの専門用語を自分の言葉として使えるようになったこと自体が、収穫だった。多分、使わないけれど。

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2026年01月18日

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