あらすじ
「五月の朝に詩的な《赤いワンピースの娘》に出会って以来、おびただしい数の犠牲者が、人生の暗い波間に、永久に姿を消し去った」……モスクワの新聞社へ持ち込まれた、ある殺人事件をめぐる小説原稿。そのテクストの裏に隠された「おそろしい秘密」、そして読み終えてなお残り続ける「もう一つの謎」とは何か? 近代ロシア文学を代表する作家が若き日に書いた唯一の長篇小説にして、世界ミステリ史上に残る大トリックを駆使した恋愛心理物語の古典。巻末に、江戸川乱歩による評論を収録。
江戸川乱歩――「チェーホフともあろう作家の、こういう作品を知らなかったのだから、われわれの全く気づかない面白い探偵小説が、まだどれほど残っているかと思うと楽しくなる。……探偵小説のトリックの歴史から考えても、相当大きな意味を持つ」。
解説・佐々木敦
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Posted by ブクログ
ロシアの作家チェーホフ(1860-1904)が二十代半ばの駆け出しのころに書いたミステリ小説にして唯一の長編小説。1884年。
巻末の江戸川乱歩によると、本書は所謂「叙述トリック」のなかの「記述者=犯人」の類型に含まれるという。しかし、他の「叙述トリック」の有名作と比べて、この作品のインパクトはかなり弱くなってしまっているように感じる。それは、解説において佐々木敦が指摘しているとおり、この作品の構成の複雑さに起因するだろう。
ある編集者のもとに元予審判事が原稿を持ち込み新聞への掲載を依頼するところから物語が始まる。この原稿『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』の内容が本書における小説内小説となっていて全体の九割を占めており、その前後を挟む外枠の部分が『狩場の悲劇(実在の事件)』とされている。そして本書終末の『狩場の悲劇(実在の事件)』の部分で、編集者が、この小説内小説『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』が実は元予審判事が犯した実際の犯罪をもとにしたものであると暴き、「探偵」役を果たす。つまり、「記述者」が「犯人」であると暴かれる場面は、「記述」された物語の内部(『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』)ではなくその外部(『狩場の悲劇(実在の事件)』)においてであり、暴かれた「犯人」は、小説内小説の「記述者」(セリョージャ)ではなく、その外部において新聞社に原稿を持ち込んだ「記述者」(カムイシェフ)である。つまりこの作品には、物語の真実が物語の枠を超えて読者の側の世界に迫り出してくるあの異様な感覚はなく、物語内物語として物語の中に綺麗に収められてしまっていて、読者は自分たちの世界と物語の世界との境界が物語の側から侵犯されるような不安の感覚に襲われることはない。
ではなぜ事件の真犯人である元予審判事は自らの犯罪を物語として「記述」しさらにはそれを新聞紙上に公表しようとしたのか。そこに佐々木は「自意識の迷宮」(p365)という問題を見出すが、今回本書を読んでいてそこまで感じ取ることはできなかった。この作品は、物語のどぎつさ、登場人物のアクの強さ、異常さ、饒舌さにおいて、四大戯曲のチェーホフらしからぬ、ドストエフスキーの諸作品を思い起こさせた。そういえば『罪と罰』も『カラマーゾフ兄弟』も、ミステリ的な趣のある作品であった。
物語のどぎつさはともかく、登場人物たちのあの喧しさからくる独特の異物感は、ミステリをミステリとして楽しむときの邪魔をしているように感じる。「娯楽小説」を読むのなら、もっと、現代人が生きている感覚や文脈をピンポイントに刺激してくれるような、条件反射だけで事足りてしまう作品のほうが面白がれるのではないか、などと思ってしまった。読書の姿勢としては、ひどく怠惰なものだと思う。
後書きや解説で本書のトリックについて言及するのはいいとしても、他の作品のトリックを明かしてしまうのは、迷惑だ。かつて某トリックの有名作を読む前に誰かの文章の中でネタバレをくらってしまい、一度きりしか味わえないであろう衝撃の機会を逸してしまったという悔しい経験がある。その書き手が誰であったかは覚えていないが、いまでも恨んでいる。
「わたし、今日になってやっとわかったんです……今日になって! どうして昨日のうちにわからなかったのかしら? 今となっては何もかも取り返しがつかないし、すべては失われてしまったんですわ! 何もかも、何もかもね!」(p171)
Posted by ブクログ
かなりの人が知ってるであろう某作家の超有名トリックが出版される何十年も前にこれを20代半ばで書いていたっていうのは本当にすごいなと思うんだけど、変に注釈などをいれたせいで最後の謎解きが全く驚きがなくなってしまっていて、ミステリ的にはとてももったいないなと…。
もし注釈を入れずに、最後の謎解きで本当に一気に謎を解いていればもっと評価された作品なんじゃないかなと思った。
事件が起きるまでも200ページ以上あるし、登場人物がどれもこれもいやな人ばかりなのでその点でも結構きつかったかもしれない。
このトリックをおそらくはじめて使ったということに関しては本当にすごいけど、そこまで楽しめなかったかもしれない。
Posted by ブクログ
如何にものロシア文学で、恐ろしくキャラの濃い登場人物たちが、日本だったとりあえず何かの施設に閉じ込められそうな大騒ぎを、当たり前の顔をして次々と引き起こす。肝心の殺人事件は物語の三分の二を過ぎるまで起こらない。この手のお話に慣れてない人には、少しキツいかも知れない。うんざりしながら、魅せられる感じで、迂生は結構好きです。
ミステリとしては、題名を告げられて、アレね、と答えられなければ、モグリと誹られても致し方ないと言う、超有名トリックを遡ること40年前に採用していた、という点で評価されているようだ。とはいえ、ミステリとして書かれたわけではなく、おおよそその半世紀後、読者が椅子から転げ落ちた、驚愕のトリックを、実にもったいない使い方をしている。探偵役の種明かしを前に、いったい何が起こったかが、読者にはっきり解るように書かれてしまっているのだ。これは残念なことだが、もしミステリ的に書かれていたなら、読者は何が起こったのか、さっぱり理解できなかったかも知れないなとも思う。