あらすじ
人生には、「どうしようもない」ことがある。いわゆる「地獄」のような環境に生まれる人もいれば、「天国」に生まれる人もいるのだが、それは運命だというしかない。しかし、「地獄」に生まれた人の中にも、「もう人生終わりだ」と絶望しているだけの人と、持って生まれた不幸な境遇を乗り越えようとする人がいる。そのような二人の違いを生み出すものは何か(まえがきより)。「絶望感は乗り越えられるか」という永遠のテーマ。本書は、この難しい問いに対し、長く読み継がれることを願って書かれた。「ありのままの自分」を受け入れてくれない環境の中で育った人は、何かと生きづらい人生を歩みがち。しかし、「これしか生きる道はない」と思うから苦しいのであって、多面的な視点で物事を見ること、すなわち、マインドフルネスで生きることができれば、心身の健康にもつながる。逆に、心を閉ざしたマインドレスネスの状態におちいっている人は、人生で多くのものを失いかねない。心の「とらわれ」から解放され、絶望感に負けることなく、幸福に生きるための心理学。
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Posted by ブクログ
<ポイント>
・今の生活のほうがいいと思える人は成功者。「貧しくても今の生活のほうがいい」といっている人はたくさんいる。社会的な視点から見れば失敗であるが、「自分自身の人生を生きる」という視点から見れば、この人は成功である。
・「ほしいものが手に入らないのは、時に思いがけない幸運である」という言葉がある。ほしいものが手に入らないとき、「これは自分に何を教えているのか」と立ち止まって考える人は、マインドフルネスな人である。幸せになる道を選んでいる人といっていい。叶わぬ願望とか、思わぬ失敗などは、「あなたはこの道を進んではいけない」というメッセージかもしれない。この道はあなたに向いていない、あなたの適性にかなっていない、ほかの道を行きなさいという知らせかもしれない。それこそ幸福への扉かもしれない。失敗を、「あなたはこういう人間ですよ」というメッセージとして受け取ればいい。それがマインドフルネスな人である。またほしいものが手に入らなくても、「それでよかったかもしれない」と考える心のゆとりがあれば、のちに本当に欲しいものが手に入ることもある。
・フランクルが言う、人生を考えるには、「成功と失敗」「充足と絶望」という2つの軸がある。成功しても絶望している人がいる。失敗していても充足している人がいる。
・相手の発言に対する自分の今の解釈は正しいのかどうか考えることである。
・否定的な認知セットから解放さえることが、マインドレスネスからマインドフルネスな人になることである。
<ピックアップ>
〇人生にはどうしようもないことがある。地獄に生まれた人の中にも、「もう人生終わりだ」と絶望しているだけの人と、生まれ持った不幸な境遇を乗り越えようとする人がいる。
〇本来の自分を裏切ってまで必死で努力して成功しようとするのはなぜか。それは、自分は愛されるに値しない人間であるという絶望感を避けるためである。
〇仕事で実績を上げれば、周りの人から称賛され、自分に対する絶望感から離れていられる。
〇ポストイットの例のように、視点を変えれば、失敗も成功である。無理して頑張ってエリート・コースに乗っている人は、その逆で、「視点を変えれば、成功も失敗である」ということになる。
〇つまるところ、成功とか失敗とかは視点の問題である。成功や失敗に見える現実を、その人の人生全体の中でどう理解するかの問題なのである。自分の人生を長い目で見るか、その時々の瞬間の目で見るかの違いである。自分の人生を流れとしてみる視点の人と、その期間だけで見る人とでは、同じ事実の受け止め方は全く別になる。
〇自分が何か得意になっているとき、何か失意の時に、自分の視点に注意する。
〇成功とは自分の心が成長し続けることである。そのように理解すれば、今までとは違ったしてから人生を見ることができるからである。自分の潜在的能力を実現し続けることである。自己実現し続けることである。結果ではない。年を取って、体力がないと結果を嘆くよりも、自分の運命を成就しつつあると考えればよい。死に向かって成長していると考えればよい。
〇マインドフルネスとは、多面的な視点で物事を見ることである。エリートコースを歩むことだけが成功した人生と思っている人は、一面的視点にとらわれている。劣等感の深刻な人は、その視点でしかものを見られなくなっている。一面的視点にとらわれ、自分の潜在的能力を抑制してしまった人は、人生において多くのものを失ってしまう。偏差値が低いから自分はダメな人間だと思っている受験生も、自分がいかにマインドレスネスであるかに気づいたほうがよい。
〇とらわれた心(こうでなければならない)でなされた失敗という事実の解釈によって不幸になっている。
〇自分の過去が輝かしい成功に満ちていないからと自信を持てない人は、人生を見る視点の少ない人である。過去にとらわれて未来を見失っているのである。ケチな生き方になっている。過去を取り返そうとするから、気持ちが安らぐことがない。今の視点にしがみつくのをやめれば悩まないで生きられるのに、視点を変えられない。自分の視点からしか考えられずに、一人でつらい思いをしているのである。またこうした人は、「人間はかくあるべし」というような硬直性を持っており、色々な生き方に良さがあるということをわかっていない。
〇「こうでなければならない」などということはこの人生にほとんどない。大切なのは自分が今どのような視点から物事を見ているかを理解することである。古い視点は心の手錠である。初めのうちは、「喧嘩」というレッテルが張られた行為には、いくつもの解釈が可能だったかもしれない。しかし、いったん喧嘩として記憶に蓄積されると、それが再カテゴリー化されることはあまりない。喧嘩に至るような不快な感情をコントロールする能力とは、まさにマインドフルネスである。それは、今の不快な体験を違った視点から見る能力である。
〇マインドフルネスとは多くの視点を持つことであり、新しい情報を積極的に受け入れることである。自分に都合のいいことしか受け入れないような、偏見のあるパーソナリティのことではない。多面的視点から物事を認識できれば、批判をされた時でも怒り心頭に発するということがない。また逆に極端に落ち込むということもない。
〇マインドフルネスな人は、自分が何に注意をしているか、気がついている。「注意に注意する」。
〇喧嘩はコミュニケーションである。心がふれあっているから喧嘩になることもある。喧嘩ということは、視点によっては対立ともとれるし、別の視点からすれば、心のふれあいともいえる。
〇失敗を恐れる人は、最初に張り付けたレッテルにこだわって違う視点から見ようとせず、失敗を再レッテル化してとらえ直そうとしない。それで失われるものがあまりにも大きいことに気づかない。
〇スランプのつらさを次のステップへの過程だととらえる人は、逆境に強い人である。スランプは過程である。
〇歪んだ価値観を捨てる。
〇とかく人のことをカテゴリー化して見ている人がいるが、そういう癖は自分を幸福から遠ざけるからやめる。
〇どんな行動にも意味があるということを考えていけば、自分にとってマイナスにうつるような行動でも、その人が本当に意図していることは一体なんであるかということを考えてみる。そうすれば、その人の行動に対し別の解釈ができ、その人に対するマイナスの気持ち、否定的な気持ちというのが消えていくように思う。マイナスにうつるような行動は一つの警告信号になる。
〇人生に行き詰ったように感じるときにあなたは、古い世界の出口にいる、同時に新しい世界の入り口にいる。古い世界の自分に誇示して、依存症などになるか、視点を変えて視野を広げ、意識領域の拡大を図り、新しい世界に入るのかの岐路にいる。
〇自分でない自分になろうとする。「疑似自己(社会的に成功しているけれども、何かいつもイライラいしている人など)」で生きている人とは、成長しようとする意欲や自己肯定感情を失っている。彼らは、本来の自己とは違った人間になることを強制されて生きてきた人である。それは本来の自分を断念した神経症者である。
〇不安や恐怖を社会的成功やまじめさで乗り切ろうとしていたが、その乗り越えに失敗する。その時に、防衛の瓦解が起きる。それが鬱になるときであり、人生に燃え尽きるときである。
〇会社で仕事に失敗し、自殺するエリートビジネスマンは、自分をエリートとしかイメージできていない。視点が極度に少ないし、偏っている。
〇視点を変えれば、今まで見えなかったものが見えてくる。
〇人は、「こうあってほしい」という願望が強すぎると、ほかのことは考えれれなくなる。そして、努力の方向を間違える。
〇昇進した結果、その責任と仕事が重荷になって挫折する。あるいは成功すれば心の葛藤が解決するかと思っていたが、成功して見たら心の葛藤は深刻になっていった。これは危険なことである。
〇今の生活のほうがいいと思える人は成功者。「貧しくても今の生活のほうがいい」といっている人はたくさんいる。社会的な視点から見れば失敗であるが、「自分自身の人生を生きる」という視点から見れば、この人は成功である。
〇劣等感はマインドレスネスになり、向上心はマインドフルネスになる。
〇神経症になるような人は、新しい考えで新天地を開くことができない。新しい考えで、つまり新しい視点で自分の人生を見ることが新天地を開くことであり、自分自身になることであり、個性を伸ばすこと、「内なる力」が伸びることであり、それが幸せになる方法である。伸びるということは、発想を変えるということ。発想を変えるとは、物を見る視点を変えることである。それで心の位置が変わってくる。そこに安らぎがあれば、もう元には戻らない。例えば、離婚したり、会社を辞めたりすることは、社会的な視点だけから見れば失敗である。社会的な視点化から見れば失敗であるが、「自分自身の人生を生きる」という視点から見れば、この人は成功である。苦しいとき、不愉快な時、それを自分の心理的成長の過程とみるか、視点を変えないままで今の苦しみにとらわれるかで、人生の過酷さは違ってくる。これこそが絶望感を乗り越えられる人と、絶望感に押しつぶされる人の違いである。「自分の人生は終わりだ」と絶望して立ち上がれない人と、立ち上がれる人の違いは、視点を変えられるか、変えられないかである。
〇視点を変えるためには、自分に対する古い、限定的なイメージを捨てることである。一つのことだけに自己のイメージを限定すると、危機的なほどもろくなる。
〇会社で失敗して自殺するエリートビジネスマンは、自分をエリートとしかイメージできていない。視点を増やすということは、「耐え難い状況を変える方法の一つでもある」。マインドフルネス(ハーバード大学のエレン・ランガー教授)であるということは、様々なものの見方が数限りなく存在するということを、常に認識している心の状態だといってよい。
〇マインドフルネスとかマインドレスネスとかいうのは、事実の解釈の仕方のことともいえる。マインドレスネスの特徴が、古いカテゴリーへの固辞だとすれば、マインドフルネスの特徴は、絶えず新しいカテゴリーを想像するところにある。古いカテゴリーへの固辞とは、ステレオタイプの見方をする。
〇マインドレスネスは結果を重視する。それに対し、マインドフルネスは過程重視である。例えば、不登校になったという結果だけを見るのが、マインドレスネス。一方、なぜ不登校になったのかという過程を考えることが、マインドフルネスである。
〇「起きたことは全てよいこと」と、あるマインドフルネスの人は言った。それを聞いた時には「それは言い過ぎだ」と思ったが、そういうことが視点を変えるということだろう。不愉快なことは、楽しい人生への過程とみる。今気が付いてよかったと思う。マインドレスネスだから今の不愉快な気持ちにとらわれてしまうのである。
例)良い子、視点を変えると、不安な子。怯えてい生きている子。
良く手伝う子、視点を変えると、寂しい子。親に認めてもらいたい子。親の関心が欲しい。
礼儀正しい子、視点を変えると、敵意が発散されないために、あらかじめの配慮をしている防衛的な子。→礼儀正しさの裏には、隠されている他者への攻撃性、敵意がある。周囲とうまくやっていくために、自分の意志と感情を殺した。その隠れた怒りは高齢期に、自分では理解できない体の不調となって現れる。
〇視点を変えれば、長所はそのまま短所であり、短所はそのまま長所でもある。人生に行き詰った時には、自分の価値観を反省するといい。価値観のゆがみに気が付けば道は開ける。自分の視点の少なさに気が付けば道は開ける。別の視点に気が付けば道は開ける。
〇人生の中で出合う障害をひらすら重荷として背負うのか、あるいは障害が全く障害でなくなるかどうかは、その人のパラダイム次第である。悪いものを避けることができなくても、せめて自分の考え、要求、習慣を変えることはできる。対象に執着しない。そうすれば、それが必要だとは思わなくなる。絶対必要だななどと思うな。そうすれば、絶対必要ではなくなる。
〇失敗した人を馬鹿にしている限り、自分の失敗に対する恐れはなくならない。失敗が怖くなくなるためには、自分に対する視点を変える。自分に対する自分の態度を変えるのである。
〇アメリカの10代の自殺者には、成績のいい人が多い。自殺者の多くは、自分を抑えて無理をして優等生でいたが、心の中は不安だった。努力して成績や評価を上げても、のどの渇きが増すばかりだったかもしれない。無理をして自分の欲求を抑えるほど、苦しみが無意識の領域に積もる。最後は、人間を壊すことになる。
〇彼は優秀であるのが苦しいのかもしれない。成功への道をひた走っているように見えても、実は人生の敗者への道だったかもしれない。悲劇の道を走っている人は、自分の今の視点に気が付かない。
〇自分の目標に向かって、自己実現のためにまじめに取り組んでいる、そして自分の内面を犠牲にせずに成長することのできた人は、自然と能動性、社会性、積極性、自主性が備わるものである。努力する過程で、「内なる力」が付いてくる。社会的に成功するか失敗するかはわからないが、幸せな人生という視点から見れば成功した人生である。
〇人から認めてもらうために、成功を求めてまじめにしている人がある。これは自己防衛のためのまじめさである。こういう人は得てして、社会的には評価が高かったりする。しかし、まじめに努力しているが、「内なる力」が付いていない。視点を変えれば、人間としては成長していない。こういう人はいつも心に不満がある。「認められたい」という基本的欲求がある限り、その不満を外に直接表現することはできない。その不満がいつか恨みに代わる。彼らはいつも、心理的に消耗している。
〇認められたい、好かれたいという気持ちが強い人ほど、「燃え尽きる」可能性が高い。心身の不調に悩まされてしまう。
〇同じ失敗でも、その人らしい失敗というものがある。そのたぐいの失敗は、短期的展望の中では失敗に見えても、長い人生の中では、それは成功への過程であることのほうが多い。逆に、霞が関のエリート官僚が自殺するなどの場合は、長い時間的展望の中では失敗である。
〇大切なのは、自分らしく生きていることで会って、成功や失敗が「ない」か「ある」かは、その時々の視点の問題である。競争で勝つことは自己実現ではない。競争に勝つことで心の葛藤は解決しない。それなのに、勝つことによって多くの人に認められようとした。その動機が不安である。結局、勝っても負けても不安は増大する。
〇自分にとって絶望とは何か、自分にとって「人生の終わり」とは何かを理解することである。それを理解する中で、自分の視野を広げることであり、マインドフルネスになるということである。
〇心の状態が肉体の健康に影響を与える。
〇マインドフルネスとは多面的な視点で物事を見ることである。自分がある物事で苦しんでいるときに、その物事を違った視点からみられることである。「注意に注意する」ということは、自分の注意が今どこに行っているのかに気が付くことである。違った視点から事実を見ることにつながり、そしてマインドフルネスになれる。悩みごとが絶えない人は、心を閉ざしたマインドレスネスの状態になっており、結果として、心身不調に苦しむ。
〇ある人があなたのことを価値がないといっても、それはその人の価値観に従って言っているだけである。その人の視点であなたを見ているだけである。その相手の価値観もこちらの気持ち次第で変わることに注意しなければならない。自分の価値観や発送次第で、物事は違って見えてくる。周囲の人が自分を軽蔑したからといって、自分に価値がないわけではない。
〇ジェットコースターの揺れと飛行機の揺れは事実は同じでも、一方は楽しく、他方は怖い。同じ性質の刺激でも、別の名で呼ばれれば、別の刺激である。私たちは事実に苦しんでいるのではなく、事実に対する自分の解釈で苦しんでいるに過ぎない。
〇マインドレスの人は、その上、自分の解釈が唯一の解釈としか考えれれていない。自分の解釈は、多くの解釈の中の一つに過ぎないことに気づけば、事実は変わらなくても、気持ちは少しは変わる。このつらさは、自分の成長の過程と解釈することで、少しは救われる。つらいことはつらいけれど、希望は持てるのである。
〇自分を立派に見せようとするから疲れる。
〇マインドフルネスの人は、人生を結果という視点ではなく過程で見る。今の苦しみを幸せになる過程としてみるかどうかで、苦しみの程度は違ってくる。肝心なことは、「とらわれない心」である。マインドフルネスによって、辛い人生が辛くなくなるわけではないが、それを乗り越える方法を見つけるということである。苦痛を避けようとすれば避けようとするほど大きくなる。それを避けようとする人ほど、それを悲惨なものに感じる。淡々と自分の人生を生きようとするものは1の苦痛は1であるが、それを大騒ぎして避けようとする者には10にも100にも感じられる。
〇マインドフルネスになって、力を抜いて、頭を柔らかくして、いままでよりもっと「愚かになろう」。愚かになろうとは人に「自分を立派に見せようとして生きること」をやめようという意味である。その視点から、努力することをやめるということである。
〇自信のない人は、とかく他人の意見を聞きたがる。私たちは他人が何を正しいと考えているかに基づいて物事を正しいかどうか判断する。がんの宣告を受けても、前向きにとらえる人もいる。この体験をしなければ、分からないこともある。自分が人間として成長するためには避けて通れぬことだと解釈する人もいる。同じがんでも、それをどう受け取るかで健康にも大きな違いが出る。早期発見を感謝する人もいるわけである。
〇事実に負けたわけのではない。事実に対する自分の解釈に負けたのである。これが思い込みである。これが、「とらわれる心」である。感情はとらわれに基づいている。同じ刺激が異なるコンテクストでは異なる感情になることを気づかないと、自ら作り出す感情連想の犠牲になる。
〇自分を特別な人間だと思わない。
〇自分の今の感じ方が唯一の感じ方だと思っている人は、自分の生きる道にはなんでこんなに悩みがあるのだろうと嘆きながら生きていくに違いない。そのさまざまな悩みを作り出しているのは、まさに自分自身の視点なのだということに気づく必要がある。幸せのカギを握るのは自分自身の視点。まずは、あなたは何にとらわれているのか。このことを理解しようと思い立つことが、あなたの幸福への第1歩になるのである。視点を変えるとは、自分を特別な人間と見ないということである。自分も普通の人と同じにこの人生には苦しいことがたくさんあるということを受け入れることである。
〇自分にだけ特別に安易な人生が用意されていることを要求するのが神経症的要求である。「こうあってほしい」という「安易な人生への願望」が強すぎる人が多い。
〇心理的に不安な人は、現実が脅威に満ちているのではなくても、現実を脅威と受け取ってしまう。
〇心理的に不安な人には瞑想がよい。静かに座って目を閉じて、息を吸ったり吐いたりして神経を集中させる。
〇苦悩は誰だっていやである。いかに苦痛のない人生を望んでも、それはかなわぬ願いであること。しかし、この苦悩も視点を変えれば、私たちにこれから先どのように生きていけばよいのかを教えてくれるものになる。
〇「このトラブルは自分に何を教えているのか」を考える。トラブルとは成長の物差しであり、ほかの何よりも、人生に意味を与えてくれるものである。苦悩もトラブルも、とらえ方次第である。
〇今あなたが思っているよりも、もっとたくさん生きる道はある。「これしか生きる道はない」と思うから苦しいのである。視点が増えて、「こちらの道もあった」と気がつけば幸せになる。「生きる道は一つしかないと思ってしまう」のは、いま生きている道を自分で選んでいないからである。自分の人生を自分の意志でコントロールしてないからである。
〇自分の今の評価の基準だけを、唯一の基準としていたことに気づくことが大切であり、これが興奮への道が開ける一歩となる。過去の出来事への執着を捨てればいいのに、「ああすればよかった、こうすればよかった」といつまでも過去を引きずって生きている人がいる。がらがらと、いらなくなった缶からを引きずって歩いているようなものである。自分の価値観も変わらない、だからいつまでも人生が開けない。
〇不安な人は、自分を苦しめているものがわかっていない。自分を苦しめているのは、自分の今の視点であることに気が付いていない。困難から逃げる態度が人格の成熟を妨げている。
〇生きる意味とか、社会的成功という視点に固辞すれば、絶望感は乗り越えれれない。だから、「生きている意味」などという、世界史上だれひとりと答えを出していない、哲学の命題のような視点は早々に捨てることである。
〇「ほしいものが手に入らないのは、時に思いがけない幸運である」という言葉がある。ほしいものが手に入らないとき、「これは自分に何を教えているのか」と立ち止まって考える人は、マインドフルネスな人である。幸せになる道を選んでいる人といっていい。叶わぬ願望とか、思わぬ失敗などは、「あなたはこの道を進んではいけない」というメッセージかもしれない。この道はあなたに向いていない、あなたの適性にかなっていない、ほかの道を行きなさいという知らせかもしれない。それこそ幸福への扉かもしれない。失敗を、「あなたはこういう人間ですよ」というメッセージとして受け取ればいい。それがマインドフルネスな人である。またほしいものが手に入らなくても、「それでよかったかもしれない」と考える心のゆとりがあれば、のちに本当に欲しいものが手に入ることもある。
〇近道ばかりしようとする人は結果だけで人生を考えるようになる。自分を表現するのに、結果という視点で表現するか、それまでの自分の生き方という過程でひょうかするかで、自分の評価は全然違う。人と同じ道では気が済まなくて、自分にだけ特別に安易で近い道がないかといつも探している人もいる。そのような人は神経症的傾向が強い。
〇ひとつひとつのコーナーをきちんと回って目的地に到達してこそ喜びがある。コーナーを省いてはいけない。コーナーを省いてしまう人は、敵を友に変えることができない。マインドフルネスな人は、今の敵を味方にしてしまおうというエネルギーがある。コーナーを省いてしまう人は心が触れ合う友人ができない。
〇省くこと、近道する道は、「内なる力」を得ていない。
〇最終的に成功感を持てる人生を手に入れるために大切なことは、「他人と自分を一つの視点で、比較してみない」ことである。
〇不運な時には、「自分は今運をためている」と思うことにしている。マインドフルネスの人になる訓練である。「この不運は自分に何をおしえているのか」を考える。不運に耐えているときに人は鍛えられる。鍛えられるということは自分の本当の力が付いているということである。「内なる力」が付いているときである。本当に力が付けば運が回ってきたときには鬼に金棒である。
〇決して失敗は悪いものではない。別の視点からいれば失敗こそ悲劇から自分を救ってくれているメッセージかもしれない。マインドフルネスな人の見方である。
〇人生の幸福とは、次から次へと絶望的課題を連続して乗り越えることである。
〇結果が恵まれていても、自分の人生に誇りを失っていること、自己評価の低い人、それが人生の究極の敗者である。失敗を恐れる人は、過程でなく結果ばかりを重んじている。過程という視点で自分の仕事をしている人は、「あそこでいい原稿が書けなかったけれども、自分としてはよく調べて書いたものだ」と自分の努力を高く評価する気持ちになるはずである。決して「僕には人間関係をうまくやっていく能力はない」などと自分に絶望したりしない。「最終的には成功しなかったけれども、とにかくあの悪条件の中でよく頑張った」という気持ちになる。うつ病者のように、驚嘆な解釈をする人は、やはり過程ではなく結果にばかり注意を向けている人なのである。
〇過程に注意を向けている人は、失敗しても努力をしていれば自信はつく。「よくあそこまでやった」という自信である。失敗しても、自分に能力がないとか、ダメな人間などとは思わない。結果ばかりに注意を向けているから完全主義に陥ってしまうのである。過程に目を向けるから自分のした価値ある努力にも気が付くし、次の意欲もわいてくる。結果ばかりを気にしている人は、何事も成功か失敗かのどちらかになってしまう。
〇努力したことを認める姿勢。過程に注意を向ければ、思うような結果でない中にも必ず自分の良さを見つけられることができることに気が付いた。何よりも自分が心理的に楽になった。「成功しなければ、成功しなければ」という焦りが消えていった。結果を求めているときには、結果が悪ければ努力したことの意味がないように思えた。だから、心安らかな日々ではなかった。しかし、「なんでこんな悪い結果が」と後悔するようなことでも、過程に注意を向けるとそこに自分の良かったところを見つけることができる。
〇結果ばかりを気にするのはやはり人の目を気にしているからである。自分の評価を自分でできるようになって初めて、過程が目に入ってくるのかもしれない。そもそも心理的成長を図るなら、過程に注意をむけるしかない。私は人の目ばかり気にして、やはりだめな人間だ」などと卑下することはない。自分がした努力であれ、人がした努力であれ、「やった努力を認める」ことが大切である。
〇悲観主義の人も、結果にばかり注意を向けている人たちである。過程に目を向ければ、おのずと「あそこであの人とうまくいかなかったのは、もしかしたら、あのときの私の言葉遣いが悪かったからだろうか」と考える余地が生まれる。悲観主義者、うつ病者んなどは、結果ばかりを気にして家庭に注意を向けていない、マインドレスネスな人である。マインドレスネスで悩んでいる人は、適切な目的を定めることができていない。自分にとって適切な目的が分かっていれば、それが達成されたかどうかは別にして、そこへのプロセスに幸せを感じることができる。
〇結果が重大な人は、祖母や親から期待された、会社であったりと、目的が外部から与えられたきた。だから、どんなに頑張っても、過程に喜びを感じないし、充実感も持てない。生きる希望は、自分の人生を生きよう、自分らしく生きよう、そう思ったときに出てくる。自己の内なる力を感じた時に出てくる。視点は常に過程である。自分のためによく頑張ったという誇りと満足である。結果が重要な野心とは違う。希望は向上心であり、野心は劣等感が動機である。野心を持っている人の努力の視点は常に結果である。
〇物事の価値を決めるときに、「自分はいれそれをどの視点からみているか?」ということがいかに重要であるかということである。したがって、全体の流れの中で物事をとらえるか、とらえないかで物事は違って見る。色々な、前後関係でとらえることによって、ある前後関係においては、割ることが、視点を変えれば、良いものであることになる。そのように視点を変えることによって、ストレスを避けることができる。
〇マインドフルネスの人になって、視点を変えて自分の病気を考えてみる。「もしこのつらい病気がなければ、自分は病弱な人の苦しみを理解できただろうか?」自分は多くの人の病気の苦しみを理解できない人間になっていたかもしれない。人の苦しみを理解できないために、傲慢な嫌な人間になっていたかもしれない。
〇マインドフルであるということは、不快な気持ちを避ける方法である。なぜ、それができないのか。その理由は、ひとつに固定観念にある。考えること、思考は困難で大変である、ストレスを生むものであると考えてしまっている。ストレスを生むのは、考える、思考するということではなく、単一の展望視点からの思考、つまりマインドレスな思考である。ストレスというのは、イベント自体の関数ではない。よって、これはマイナスだ、ネガティブだと思った場合、その視点でとらえたそのイベントは、ネガティブに、否定的になってしまう。しかし、イベントそのものがネガティブだということではない。
〇逆境に強い人は、自分は逆境に苦しんでいると思う。「なぜ逆境になったか」を人のせいにしている人は逆境に苦しむ。「なぜ逆境になったか」をいろいろな視点から考える人は、そうでない人よりも逆境に苦しまない。例えば、あなたが嫌がらせをされたとする。あなたは不愉快になる、腹を立てる、いらいらする。しかしふと考える。嫌がら褪せをする人はどういう人であろうか。欲求不満な人である。自分に嫌がらせをした人はそれだけ欲求不満なのである。自分はそんな嫌がらせをしない。「ああ、自分はそれだけ幸せなんだ」と気が付く。視点を変えれば、それは自分の幸せに気が付かせてくれた事柄である。このような多面的見方のできる人は、同時に問題解決能力のある人である。
〇苦しいときに、違ったコンテクストなら、「このように感じるか?」と自分に問いかけることがマインドフルネスである。
〇新しい情報に心が開かれていること、それは一つ以上の視点に気が付いていることである。成功したいと思いが強すぎると、その視点からしかものを見られなくなる。マインドレスになる。それがエリートの燃え尽き症候群、うつ病、自殺などである。彼らは、「こうあってほしい」という願望が強すぎてほかのことは考えられなくなっている。一本調子の人生になり、努力の方向を間違える。成功への道を歩んでいると、本人は確信しているが、他人から見れば明らかに破滅への道であることもある。
〇人は不安であれば不安であるほど、実は自分の心の条件を変えようとしなければならない。もっと、自分を変えることにエネルギーを注ぐべきである。ここでいう「自分を変える」とは、より自分自身になることである。決して自分以外の自分になろうとする努力ではない。そんな努力はあなたを消耗させるだけ。犬になろうと努力している猫はどう思うだろうか。その努力の方向は正しいだろうか。自分が変わるとは、今よりももっと自分自身になることである。
〇マインドレスになっているとき、「エリートであることに大きな価値がある」というとらわれに気が付いていない。そこが恐ろしい。
〇5感を使って、感じる。
〇様々なことで苦しんで倒れる人は、人生の出来事を「流れ」として取っていない。「そう来るか」「それもあり」「それも、人生よ」と現実を受け止めていない。マインドフルネスとマインドレスネスでは、起きた事柄を解釈する視点が違う。今の時点だけの白黒の判断か、過去からの因縁を加味するか、将来に資するかどうかなど、起きた事柄を解釈する時間的枠組みも違う。例えば、ナイル川が氾濫したらどう手を打つか。今の時点の白黒に執着する人は、氾濫をせき止めることだけを考える。多面的視点を持つ人は、氾濫を防げなかったが、これをどうプラスにつなげるかを考えることができる。
〇視野の狭い人は不幸。視野を広げれば問題は解決する。不幸を受け入れれば、問題は解決する。
〇フランクルが言う、人生を考えるには、「成功と失敗」「充足と絶望」という2つの軸がある。成功しても絶望している人がいる。失敗していても充足している人がいる。
〇利益になる、得するということだけで、合理性だけで生きてきて成功して、人生は順調に見えても、最後にはうつ病になる。社会的、合理的という視点で考えて意味あることが、生きている意味になっているとは限らない。
〇逆境が最大の学校
〇自分の器の中で人生を楽しむ。自分のない人は、他人の尺度で自分を見ている。立ち直れる人は、自分が好き。
〇多くの視点から「今」にフォーカスする。今を生きていれば、人生のいかなる段階でもあなたを前進させる。なぜなら、きちんと過程を踏んで生きているからである。次なる成長のために、自分の人生を準備しているからである。自分を評価するときに、結果に視点があるか、過程に視点があるか、それをよく考えたほうがいい。その違いは大きい。
〇被責妄想の人は、いつも元気にしていなければ、責められた過去があるからである。
〇一度あることを体験すると、二度目に同じ状況に遭遇した時には、最初の体験に誇示するようになるという心の傾向がある。こうした傾向を「とらわれ」と呼んでいる。これは、熟考する前に形成されつしまう。
〇失敗を認めないことのほうがその人の価値を下げる。失敗や弱点を認めても、その人の評価は、接している仲間の中では下がらない場合が多い。誰もが何らかの失敗はするし、弱点も持っているから、いわゆる「お互いさま」なのである。
〇失敗を認めると責められると思っている人はどうすればいいのだろうか。それは失敗をすると責められた小さいころの経験を、自分の中から消去することである。それを可能にするのが、マインドレスネスの態度である。時間はかかる。心がけながら、だんだんに、あたらしい視点から現実を見られるようにしていく。
〇小さいころの体験から生じた感情を消去することが求められる。実際に怒られていなくても、責められ多と感じるのは、昔の不快な感情の再体験である。最初は、それをやめると決心することである。そして、「今の現実に即して感じよう」と決心することである。その決心が、脳に新しい神経の回路を作る。脳のリハビリと思えばよい。何度も何度も繰り返すことで新しい回路ができる。
〇マインドフルネスな人は多面的視点から物事を認識できる。相手の立場からものを見られる。その結果、トラブルは少なくなる。自分にとらわれている人はトラブルが多い。自分にとらわれている人は多面的視点から物事の認識ができない。「私はこの点が優れている、この点では優れていない」というような認識ができない。マインドレスな人は、自分に何か一つ不得意なことがあると、相手が「優れた人」になってしまう。その結果、深刻な劣等感に悩むことになる。
〇マインドレスネスの人は固定観念に縛られている。何かあるとすぐにダメだと思い、他人を責めるか、自分に絶望する。
〇電話を掛けやすい人には電話をする。その逆もしかりである。出来上がったニューロンのネットワークを変えるのは、難しい。電話をかけにくい人にかけ、少しずつ話しやすい関係になっていく。繰り返し行うことで、新しいネットワークが出来上がる。悩みを乗り越えるためにマインドフルネスな人になっていく。
〇マインドフルの場合、心がオープンな場合であり、アクティブに色々に気が付いている状態である。別の言い方をすれば、自己実現をしている状態である。したがって、「今」にいられる。それから、心が「今」にきちんといるので、複数の視点からものを見られる。過去のカテゴリーで人も自分も判断しない、この姿勢が楽しく充実した人生を送るには大切である。
〇不快な感情をコントロールする能力は、精神の幸福を得る鍵である。今の不快な感情を違った視点からみられるようにする。今起きた現実が自分にどうプラスになるかというように、できるだけ見方を変えていくのである。
〇相手の発言に対する自分の今の解釈は正しいのかどうか考えることである。
〇自分の感情的記憶を形成した過去と現在では、状況が変わったことに気がつくのがマインドフルネスな人である。
〇無理して生きている人は、たいてい自分の弱点を隠そうとしている。なぜなら、人に責められたくないからである。自分に弱点があろうがなかろうが、相手にとって、自分はかけがえのない存在であると思えない。だから、常に他人が自分をどう見ているかが気になる。他人は常に自分と敵対すると感じてもおかしくはない。
〇患者の視点が変わって、心が変われば、体の調子も変わるかもしれない。
〇原因のつかめない慢性的疲労感についても、自分には今、何か理解できないストレスに苦しめられているのだという風に視点を変えれ見れば、何が何だかわからない苦しみからは逃げられるかもしれない。
〇マインドフルネスは、生きるための武器になる。今苦しんでいる人が、「ああ自分の問題はここにあるのかもしれない」と感じられるようになることが第一である。
〇自分自身にかけられている否定的な暗示に気が付くことから、治療は始まる。視点が変われば、世界は変わる。今まで周囲の人に侮辱されてきた。しかし今は違う。状況は変わった。実際は、自分は皆から愛されているということもある。ところがその変わった現実に気が付くことがなかなかできない。人はそう簡単にマインドフルネスな人になれない。
〇子供のころから、周囲に人に侮辱されて成長してきた人は、脅迫的に自分と他人を比較する。自分と他人を「脅迫的に比較する」のは、他人に優越したいという劣等感と、人が恵まれているのが許せないという憎しみからである。「これができないから私はダメだ」という比較は、競争社会だから腰行われる。そのような状況から脱却は、自分を侮辱していた人がいかに卑しい人であるかに気づくことから始まる。その人が何か言ったときに、その人のその言葉を、その人の卑しい心から発せられたものとして理解する。「そんな人の言った卑怯な言葉」に自分が傷ついていたとわかる。相手の言うことを理解する視点が変わったのである。相手の言葉をその通り、理解するのではなく、どのお湯な人が、どのような状況の中で、どのような目的でいったのかを考えられるようにする。
〇外側からの要求ばかりに従っている人は、幸福を得る力をも捨ててしまう。まずは、自分自身にかけられている否定的な暗示に気づくことから、人生は始まる。つまり今までの視点を変えることから人生は始まる。
〇自己否定的な認知拘束から解放されることが、自分自身として生きるようになることである。周囲の世界の見る視点を変えることが、自分自身の人生を始めることである。
〇自分を侮辱していた人、自分に破壊的メッセージを与え続けていた人が、そうすることで実は、その人自身を維持していたことに気づくこと、それが視点が変わるということである。
〇否定的な認知セットから解放さえることが、マインドレスネスからマインドフルネスな人になることである。
〇自分で自分を責めていると、人が責めていると、人が責めていなくても人に責められていると思ってしまう。例)例えば、体調不良の日に、休校の連絡を大学にする。それが本当でも、「きっと皆は自分が怠けて休校したと思うだろう」と憶測する。勝手に憶測をして「体調不良で苦しんでいるのに、なんて酷い人たちだ」と一人でみじめになる。自分が自分を馬鹿にするとを外化すると、相手が自分を馬鹿にしていなくても、馬鹿にされていると感じてしまう。
〇自分の中で起きていることを、自分の外で起きていることに感じる。外がどのように変わっても、心の中が同じである以上、その人は不幸である。
〇どういう生き方が幸せに結びつくか?「多方面からものを見てみよう」ということである。あなたが思っているよりも、もっとたくさん生きる道はある。これしか生きる道はないと思うから苦しくなる。こちらの道もあったと気づけば、幸せになる。視点が増えれば新しい道が見えてくる。「辛い!苦しい!」と言っている人は、生きる道は一つしかないと思っている。工事中の道に出合うと、向こうには行けないと持ってしまう人である。新しい道を探せば活力は生まれる。幸せは大股でこないが、困難に立ち向かっていけば幸せになれる。
〇生きる道は一つしかないと思ってしまう原因は、いま生きている道が自分で選んだものではないからである。生き方を自分で選んでいないからである。じぶんでいきていない。人からこうして欲しいと言われてそのように生きている。人にこう思ってもらいたいという視点で生きている。だから苦しい。
〇悩みは、「生き物」だと思ったほうがいい。憂鬱や無気力や不機嫌やイライラは、大事に抱えているとどんどん成長する。悩みを大事に抱えている人は、いつも困難から逃げている。自分では対処できないと思い、現実から逃げている。いつか時間が解決してくれるだろう。誰かが助けてくれるだろう。きっと何とかなるに違いないと、他力本願でその場をやり過ごす。そうこうするうちに悩みだけがどんどん大きく成長していく。気が付いたときは、どこから手を付けていいのかわからなくなっている。そして、どうにもならなくなったとき、絶望感を味わう。人を恨み、自分の人生を嘆く。悩みは、生きているから、ほおっておくとどんどん大きくなっていく。あまり大きくならないうちに、視点を増やして自分でしっかりと処理する。ものを見る視点が変わってくれば周囲のものはみな違って見える。