【感想・ネタバレ】ハイエク 知識社会の自由主義のレビュー

あらすじ

世界は不平等と不正と混沌に満ちているが、「賢明な政府」が指導すれば、世界は今よりもよくなるのだろうか? ハイエクが半世紀以上前に論破していた。「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」のである。本書では、市場経済を全面的に信頼したハイエクの思想の今日的意義を明らかにする。一九三〇年代、ほとんど一人で社会主義・ケインズ主義に挑戦したハイエクは、サッチャー、レーガン政権が成功したことで、経済学だけではなく、世界のあり方をも変えた。また彼の思想は、現在の脳科学、法体系、知的財産権、インターネットを理解する鍵を、私たちに与えてくれるのだ。現実がハイエクに追いつくには二〇世紀末までかかった。半世紀を経て、彼の思想は、新しい社会秩序のあり方を考える羅針盤として、いま不動の位置を占める。

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ネタバレ

ハイエクはあまり知られていない経済学者であるが、その思想は新自由主義につながる重要な思想であり、ケインズとの対比も非常に面白い。

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2012年08月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

大学の経済学史の授業でも、それほど大きく扱われない存在であるハイエクの一生に焦点を当て、彼の著作や主張を交えて記した本。
何故池田信夫という人物がハイエクに注目したのか最初はわからなかったが、両方の著作を見ているとなんとなくそれ理解できた。おそらく、池田はハイエクに多少ながら影響を受けていると言ってよいだろう。

ハイエクといえば自由主義者というイメージが強い。例えばLSEで教授として働いていた時代においては、激しく社会主義を批判したという事実からもそれが伺える。だが、私たちが描く「経済自由主義者」のイメージと、ハイエクはどうも少し違うようである。彼の思想はスミスやリカードらによる古典派経済学とは異なっており、ハイエク自身はそれを批判する立場だったからである。

ハイエクが注目したのは「知識」であった。古典派経済学は完全競争下の市場経済を想定している。この場合の完全競争とは、そこにいる全てのプレイヤーが同程度の知識や情報を有していることが前提となっている。すなわち、新たに知識や情報を獲得する必要がないため、そのコストは無視されているのである。だが、ハイエクはこれを批判する。彼の指摘とは、完全競争下で全プレイヤーが同程度に情報を持っていることなどありえず、その獲得にかかるコストを見込むべきだというものである。この点において、社会主義体制が崩壊した理由として、各部門が提供する情報を、中央が効率的に管理することができないためだとハイエクは説明する。このように、従来の完全競争下を想定する経済学に対して、情報にかかるコストの視点から切り込んだハイエクの主張は、現代まで通じるものがある。

晩年のハイエクは法秩序にまで研究領域を広げていた。彼の主張は効用を最大化する自由度を最大化する秩序の構築であった。中世ヨーロッパにおいて、所有権の確立は革命的なものであった。所有権の明確化は、取引費用の減少に繋がるからである。イギリスやオランダで産業革命が起こったのも、この観点から説明できる可能性があろう。従って、所有権の発達はイノベーションの創出に不可欠である。だがハイエクは、「モノ」の所有権と「知識」の所有権、つまり知的財産の区別を主張する。知識それ自体は公共財的性格を持つ。従って、それを誰かが消費したとしても、それを享受する全プレイヤーの効用に影響はない。一方で、その供給を制限してしまうと、同程度の「知識」を新たに創出するのに無駄なコストが発生してしまう。従って、知的財産権の保護はイノベーションの発達、ひいては経済発展にネガティブなインパクトを与えるのである。このようなハイエクの主張は現代の日本の産業界にも通じるところがあるのではないだろうか。

以上のように、ハイエクはシンプルな自由主義者とは言えず、当時の経済学者からは異端として扱われていたようである。しかし、彼の主張は現代においても学ぶことが多いと感じられる。また、池田の論述も、多少説明不足だと感じた箇所はあるが、ハイエクの主張のみならず、多様な哲学的概念を引用している点で、学びや気づきを多く含んでいる。その点で、本書の評価はかなり高いといえるだろう。

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2011年12月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

【ハイエク 知識社会の自由主義】
「はじめに」
●社会主義と新古典派経済学に共通する「合理主義」と「完全な知識」という前提に反対し続け、それらは死後15年以上経ち行動経済学の多くの実験で反証された。
●「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」という予言を、インターネットは証明した。社会主義の不可能性を証明し、ケインズ政策や福祉国家も含めて、経済を「計画的」に運営する事は不可能であり有害である事を示した。
●21世紀が「知識社会」になるとすれば、不完全で不合理だということを明らかにしたハイエクの理論は、情報ネットワーク社会の秩序のあり方を考える基礎となるであろう

「第1章」
●人間の行動を認識論的なレベルで把握し、歴史を自由の拡大する過程ととられる進化論的な発想を持つ。メンガーの著書「原理」から影響を受けており、価値が生産費で決まるとする古典派経済学を批判し、それが消費者の「必要」から決まる。これは「限界効用の理論」として一般化。しかしそれは、価値が消費者の心理に依存する相対的なものだという主観主義だった。

「第2章」
●第1次大戦後、市場経済に人々が疑問を持ち始めたとき、自由放任の終焉を宣告したケインズが支持を受けたのは当然。世界は、私的利害と社会的利害がつねに一致するように天上から統治されているわけではない
●ケインズの貨幣論が理論的な矛盾を含むとハイエクは指摘。不況の原因は過少消費なので金利を引き下げれば貯蓄が減り、消費が増えるので不況から脱却できるとしたが、ハイエクは原因は過少消費でもないし、金融政策で是正できるものでもないとした
●金利を引き下げても生活者が過度にリスクを恐れて現金を保有する「流動性選好」があるから、長期金利は下がらないという。したがって、政府が公共事業で有効需要を創出する必要がある。というのが「一般理論」の構成
●ハイエクにとっては「市場の問題は長期的には市場が解決する」が、ケインズにとっては「長期的にはみんな死んでしまう」。
●後にケインズは不確実性を経済分析の中心においた。不確実性のもとでの主観的な意思決定を重視するのは、ハイエクの中心思想。ケインズはこの不確実性を政府の力で除去しようとし、ハイエクはおのずから調整されると考えた

「第3章」
●ある商品の価格を見て、それが自分の主観的な評価より安ければ買う。そうした需要と供給の相互作用によって商品の価値が決まり、企業は利潤を上げる。しかしこれが成り立つには財産権が必要であり、中央当局の計画で資源配分を決めることは不可能。これに対し、オスカー・ランゲは「価格には二つの機能がある。取引における交換比率、その商品の価値(影の価格)を示す機能。後者は企業内の部門間でつけられる「移転価格」のようなもので、実際に貨幣による取引は必要ではなく、あるプロジェクトの価値がコストより高いか低いかをみればよい、と反論
●社会主義失敗の最大の原因は「計算を行う前提となる目的関数を決められなかったこと」だ。経済全体の目的はいったいだれが決めればよいのだろうか。情報を所有するものが自分のために利用する事で、情報の効率的な完全利用が実現する
●理論の正当性を実験的な検証によって裏付けることはできないと主張したポパー。いかに多くの実験で検証しても、次の1回がそれで否定される可能性を排除できない。経験的事実から理論を「帰納」する手続きはありえないのだ、そして科学と非科学をわける基準として「反証可能性」を提唱した。

「第4章」
●理想的な状態が実現するかどうかは、社会の中で知識がどう分布し、どう流通するかという「知識の分業」に依存する。個人は断片的な知識しかもっていない。それが市場での相互作用によってどう伝わり、コーディネートされるかが経済的パフォーマンスを高める。問題は、個々の企業がどういう材料とどういう労働者どう使ってどういう商品をつくっているか、といった個人的知識である。
●人々が誰も経済全体についての知識を持っていないとき、異なる人々の心のなかにある知識の断片を欠どうして、全体を指揮する知識がないと意図的に実現できないような結果をもたらすには、どうすればいいか。誰も計画しなくても、個人の自発的な行動によって、一定の条件の下で、全体があたかも一つの計画で作られたかのように資源を配分することを示す必要がある
●完全な知識を持つという前提は成り立っていないにも関わらず、あたかもそれが成り立っているかのように経済が動いているのはなぜか、という問題。どこかの利用者の個人的知識が、市場の取引によって価格という一般的知識に翻訳されて市場に伝わるだけで、あたかも計画当局が「不足した金属を節約せよ」と命令したかのように、各企業が自発的に行動する
●現代の産業では新古典派が暗黙に想定する個人企業はほとんどなく、少数の大企業により寡占になっていることが多いが、それは規模の経済がある限り「完全競争」より生産の効率性という点では優れている。競争が完全か不完全かではなく、あるかないかが重要。

「第5章」
●もし全知全能の計画当局が永遠の未来を合理的に予想し、世界を正しく導くことができれば、自由は必要ない。
●自由の意味は、無知な人々が最大の選択肢をもち、いろいろな可能性を試すことが出来ることにある。このようにオプションを拡げることによて効率が高まることも多いが、それが目的ではなく、試行錯誤による進化の結果、生き残るのは適応した個体であって、絶対的な基準で「最適」な個体とはかぎらない
●進化によって「客観的知識」に近づくというポパーの理論を、ハイエクは批判した。われわれの社会が最適だという保証もなければ、それに近づいているという保証もない
●自由という言葉には、古来からある「他人の恣意的な意志による強制に服従しない」という消極的な自由(~からの自由)、と積極的な「~への自由」がある。ポジティブリストだと、それから外れた行動が全て禁止となる
●「自然発生的に出来た制度を維持し、起源や根拠のはっきりしないルールを守り、伝統や習慣を尊重せよ」という。いわば歴史の実験によって何度も有効性を検証されてきたのであり、個人の経験をはるかに超える価値があるから。「道徳のルールは、理性による結論ではない」というヒュームの意見にもある。
●習慣や言語は、多くの人々が使っているがゆえに自分も使うトートロジーになっている。

「第7章」
●大きな社会では、人々の利害は一致しないので、各自の行動が合成された結果は、誰も意図しなかった秩序を生み出す。全体主義や社会主義は、こうした意図せざる結果の法則を理解していない
●スミスもニュートン物理学に影響を受け、人間社会の秩序を決める法則を「分業」にした。
●古典力学モデルにかわってハイエクが構想したのが、進化の概念に基づく生物学モデル。経済システムでも、環境に適応した者が生き残ることによって非効率な個体が排除されるメカニズムが働くと考えられる。違いは経済行動にはルールが必要であるということ。
●もし経済システムの進化にはルールが必要とすると、何もしなければ自動的に秩序が成立するという無政府主義とはなりえない。
●自由を妨害している最大の要因は、煩雑な規制や政府の裁量的な介入なので、規制を撤廃してルールを明確化する制度設計こそ、自由な社会を実現するために重要。
●ルールの功利主義。効用を最大化するという目的には意味が無いが、人々の自由度を最大化するルールを設計することが、自由な社会を建設するためには重要。
●社会主義国の停滞がはっきりしたのは、資本蓄積が飽和し、製品が複雑化した1960年代からである。
●ハイエクが依拠したのは「集団淘汰」。集団同士が競争する場合、利他的な個体が多いと集団の効率が上がって競争に勝つという話。個体レベルでは、感染力を弱めて宿主を生かすことは利他的な行動だが、その結果、集団が最大化されて遺伝子の数も最大化。同様の集団レベルの競争は、社会的昆虫のコロニー等にも広く見られる。もちろん個体レベルの競争も機能しているので、淘汰は個体と集団の二つのレベルで行われている、これを「多レベル淘汰」という

「第8章」
●実際には、何のルールもないところには秩序が発生する事はない。経済システムでも社会主義国で国営企業の民営化が失敗した最大の原因は、70年以上も市場経済を知らなかった人々に「約束を守る」「他人のものは盗まない」などの常識が共有されていなかったから
●「実定法主義」においては、法律の正当性は国家主権にあり、国家は民主主義などの手続きによって主権者たる国民から負託された権力をもつと考えられる。法律も最初から意識的につくられた秩序ではなく、長い歴史の中で積み重ねられてきた慣習を条文にしたものだ。市民法の起源とされるローマ法も、最初から立法府が制定したものではなく、ローマ市民の契約についてのルールを文書にし、六世紀にユスティニアヌスによって「ローマ法大全」となったもの。ハイエクはこの主義を批判する
●英米法の伝統では、慣習や判例の積み重ねの上に成文法があると考える。デシスはノモスの上につくられる第二次的な秩序であって、その正当性は歴史的に積み重ねられてきた判例や慣習によって保証される。
●これらの国々では、法律が慣習法のパッチワークとして徐々に形成され、その解釈基準として実定法ができたので、立法と司法が分離し、またアメリカでは行政はもともと各州に分かれていたので、結果的に三権が分立するシステムができた
●利用できる資源の少ない、追いつき型近代化の局面では、大陸法型システムが機能する。乏しい資源を総動員しなければならないため。しかし、行政集権的な「開発主義」システムは、経済が成熟すると集権的な調整機能のオーバーヘッドが負担になり、さらに大きな負のショックが発生すると、コンセンサスによる調整では対応できないため、制御不能になる
●カール・ポラニーの説は、「市場原理主義」を指弾し、「市場と社会の調和」を唱える人々の論拠になっているが、実証的な証拠の無いものだ。
●伝統的には抑制すべき悪徳とされてきた利己心を積極的に認めたことが、近代西欧文明が他の文明圏に比べて飛躍的に大きな富を生み出す重要な原因だったことは間違いない。
●実験とは自然を「拷問にかけて自白させる」というロバート・ボイル
●財産権は産業革命をもたらした「知識の共有」というもうひとつのエンジンと矛盾する要因を含んでいた
●人類史上最大の革命は「定住革命」

「第9章」
●社会主義のような集権的な経済システムでは、必要な知識は官僚に集中するので、変化の激しい社会では、社会の全体像を知る事ができない。
●インターネットは不完全な知識しかないユーザーのもとでもそれなりに機能し、問題があれば後から直すという「進化的な」発想でできている。インターネットのルールはRFCと呼ばれており、ルールはつねに未完成で、多くの人々に修正されて発展するという。
●エリック・シュミット「ビジネスの世界ではインターネットが負ける方に賭けるな」というのが鉄則
●ハイエクが法秩序の原則として掲げたのは「任意のメンバーがそれぞれの目的を達成するチャンスをできるかぎり高めること」である。伝統の中から自然に進化するノモス。ノモスは慣習法のように多くの処理の中から生まれて来るが、ハイエクは伝統を絶対化するのではなく、自由を基準にして制度を評価し、自由を阻害する法は廃止すべきとする
●創造的なビジネスに於いては、、マーケティング・リサーチで市場をいくら分析しても答えはでない。きのうまで見た白鳥が白かったとしても、「全ての白鳥が白い」という法則は帰納できない。新しいデザインは前例の無い「ブラック・スワン」だから価値がある。日本的な「すりあわせ」による改良をいくら積み重ねても、画期的なイノベーションは生み出せない。
●遺伝的アルゴリズムのような突然変異を利用したメカニズム。労働・資本市場の改革で参入・退出を自由にし、局所解を脱却するような創造的破壊によって全体最適解をさがす

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2013年09月18日

Posted by ブクログ

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[ 内容 ]
一九三〇年代、ほとんど一人で社会主義・ケインズ主義と対決したハイエクは、サッチャー、レーガン政権が成功したことで、経済学だけではなく、世界のあり方をも変えた。
本書では、市場経済を全面的に信頼したハイエクの思想の今日的意義を明らかにする。
彼の思想は、現在の脳科学、法体系、知的財産権、インターネットを理解する鍵を、私たちに与えてくれるのだ。
現実がハイエクに追いつくには二〇世紀末までかかったが、彼の思想は、新しい社会秩序のあり方を考える羅針盤として、いま不動の位置を占める。

[ 目次 ]
第1章 帝国末期のウィーン
第2章 ハイエク対ケインズ
第3章 社会主義との闘い
第4章 自律分散の思想
第5章 合理主義への反逆
第6章 自由主義の経済政策
第7章 自生的秩序の進化
第8章 自由な社会のルール
第9章 二一世紀のハイエク

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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年04月20日

Posted by ブクログ

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マルクスやケインズを批判した、オーストリア学派の経済思想家ハイエク。
しかしながら日本では知名度は低く、ソ連崩壊後はマルクスも力を失い、今やケインズ一人勝ちである。
日本も政界・財界・マスコミはケイジアンだらけだ。
アンチテーゼとしてのハイエクが注目を浴びてくるのは当然かもしれない。

先日youtubeで「ケインズ対ハイエク」という面白いラップの動画を見かけたが、非常によくできていた。
ラウンド2の最後にヨレヨレのケインズが勝利判定されるあたり、出色の出来だ。
パンチ(批判・反証)を浴びまくってヨレヨレのケインズ(経済学)が、判定(アメリカ政府・ウォール街)によればそれでも勝者なのだ。

現在日本は深刻なデフレ不況であり、不況と言えばケインズ政策だが、さて本当にとにかく公共投資で内需刺激策をとるべきなのか?

私も経済に関する見識を深めなければ。

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2011年12月16日

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