あらすじ
豪雪地帯に取り残された家族。春が来て救出されるが、父親だけが奇妙な遺体となっていた(「存在しないゼロ」)。妻が突然失踪した。夫は理由を探るため、妻がハマっていたVRの怪談の世界に飛び込む(「もう一度、君と」)。全国民に最低限の生活ができるお金を支給する政策・ベーシックインカム。お金目的の犯罪は減ると主張する教授の金庫から現金が盗まれて――(「ベーシックインカムの祈り」)。AI、VR、人間強化、遺伝子改良人間、ベーシックインカム…。近未来に実現可能な技術を描きつつ、ミステリーの醍醐味を存分に感じさせてくれる全5編。これは予言ミステリーだ!
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Posted by ブクログ
1話1話が全く別のものと思わせて、最終話で「こんな繋がりがあったのか」と読者に思わせるだけでもはっとさせられるが、その繋がりが誤りであったと実感させられて一転。悪と思っていたものがそうではない真相で二転。被害者や正義側と思いこんでいたものがそうではなく三転。二転三転として結末後には、「もしかしたら明るい未来が訪れた彼女が未来に書いた1話1話なのかもしれない」という読後感が残る。
どんでん返しと呼ぶに相応しい一冊であっただけでなく、AIなどの無機質なものを題材としていながらも、人の温かさや熱を帯びた期待が描かれた、祈りの一冊でした。
Posted by ブクログ
以下はただの私見ですが。
SFが重要な要素となる1~4話はいわば最後の章の「前振り」なのかなと。
最終話で作家である「私」が書いた作品が入れ子式に登場してくる。しかしその内容はAIやVRといった題材こそ同じものの、内容は大きく異なり、かなり絶望的な内容であったよう。わが身に降りかかった不幸、そして追い打ちをかけるように直面した恩師の「裏切り」。それらが「私」にそのような本を書かせた。
しかし教授が自ら呼んだ警察に連行される時に云った言葉で「私」は悟ることになる。教授は何も変わっていなかったと。
そして進化する技術が人間をより豊かにする世界を祈った。
おそらく1~4話はその後の世界を描いたフィクションなのだろうと感じた。それは祈りの先の世界ほど明るくはないが、「私」の想定ほど絶望的でもない。とても「現実的」なものにも感じられた。
ここからは余談。
参考文献にルドガー・ブレグマン著の「隷属なき道」が紹介されていた。
のちに「Humankaind 希望の歴史」を書く人とは知らず読んだベーシックインカムについて書かれた本だ。
ベーシックインカムについては左右いろんな人が言及している。ブレグマンから小池百合子、果ては竹中平蔵まで。
日本では弱者に冷たく労働者をシバキあげる系の人たちがベーシックインカム導入を云っている印象がある。確かに人の善意を前提に制度を設計してしまうと早晩破綻してしまうのだろうけど、不正を働いても「割に合わないという、人の経済合理性」(p265)が機能すれば、それこそ現実的な選択肢の一つではないかなとは思っている。
Posted by ブクログ
ありえない話ではなく、近い未来起こり得りそうな技術革新をテーマにしており没入して楽しく読めた。テンポ良く読めるので普段本を読まない人にもおすすめ。
話の構成としては、どんでん返しの似たようなパターンが多く、途中で「またどんでん返しか」という気分になったことは否めない
Posted by ブクログ
ミステリーという形で読者に飽きさせない工夫をこらしつつ、近代的な諸技術について考えさせられる一冊。ミステリのようで、ミステリじゃない。エンタメ本でもあり、教養本でもある。そんな不思議な本でした。
Posted by ブクログ
近未来の世海を題材にした小説。
言の葉の子らは、AI
存在しないゼロでは、遺伝子組み換え
もう一度、君とでは、AR
見に見えない愛情では、エンハンスメント
ベーシックインカムへの祈りは、ベーシックインカム
を題材として、ミステリーを絡めて展開していく。
個人的なお気に入りは、もう一度君と。二重のARで、ありがちな結果でしたが、楽しめました。
未来は、決して楽園でないと思わずにいられないのは、過去の歴史が物語ってきたからでしょうか。
技術の進歩は常に人の倫理観が伴うと思うと、ベーシックインカムの導入もまた考えてしまいます。
Posted by ブクログ
AIやVRがもっと発達した近未来を題材にした、SF(?)ミステリー小説。
最近、面白そうだなと思って読み始めた本が「井上真偽」さんの本だったことが度々ある。
とんでもないどんでん返しは無いが、様々な知識から展開される推理は面白い。
今回も、タイトルになっている「ベーシックインカムの祈り」は、ベーシックインカム(最低限所得保障)という経済理論がベースになったお話で、作中にも沢山の経済学用語が出てきていた。
まさに今の日本に当てはまるような題材であり、こういう理論もあるのかと興味深く読むことが出来た。
Posted by ブクログ
著者の小説を読んでいると、なんとなくいつも数学の証明問題を解いているような気分になってしまう。論理学とか、そういうものなのかもしれない。それが持ち味だし、それはそれで面白い。むしろどれを読んでも見事だと感じてしまう。この作品も、最後の最後にそれまでの違和感が覆る、というあまりにも見事な反転を見せる。間違いなく上手な作品だと思う。
なのにこの気分はなんだろうか。文系思考が理系思考に感じる劣等感なのだろうか?「生理的」に何かがしっくりこないこの感覚がもどかしい。
見事な小説ではある。
Posted by ブクログ
1話目を読んで思ったのが、「頭のいい人が書く小説だなぁー」。
ずいぶん前に読んだ、『ユートロニカのこちら側』を読んだ、あの感触と同じものを感じたと言えばいいのかな?
ただ、『ユートロニカのこちら側』は、話に出てくる、設定から会話、あらゆるものが著者が読者の先回りをして“正解”を用意しているようで、読むのがバカらしくなった反面、(お話自体は決して面白くないんだけれどw)書かれているその内容について、つい、いろいろ考えさせられてしまうところがエキサイティングで面白かった記憶がある。
一方、この『ベーシックインカムの祈り』はお話一つ一つが独立している短編集だからか(最終話はフィクションの著者がそれらのお話を書いたという設定になっているだけ)、いちいちヒネったオチがつくの面倒くさいwって言うのかな?
頭がよすぎることで展開をひねくり回しすぎちゃって、「たんに面白いお話」を書けない人なのかなぁーと思った(^^ゞ
なんて言うか、「製品」?
「お話」じゃなく。
とはいうものの、本というのは「製品(=商品)」でもあるわけだ。
SFじゃなく、全くの現実として、これから作家はAIの生成する最大公約数的なお話と競っていかなきゃならなくなっていくわけだ。
であれば、わかりやすさが求められる今の時代、最大公約数的なお話、つまり、わかりやすいからこそ多くの人にウケるお話というのは絶対強いはずだ。
そう考えると、この著者が自らに課している「芸」は、おそらく強味になるはずだ。
ただ、個人的には、著者がやりたい「芸」には興味がなくて。
頭だけでなく、自らの感情や感覚をもっと使って書けば、これよりずっと面白いお話を書ける人のような気がするんだけどなぁーなんて思った。
そういう意味で、自分がいいと思ったのは、四話目の「目に見えない愛憎」。
生まれつき目が見えないというハンデを持ちながらも、素直で相手を思いやることが出来る今日子が、叶うと思っていた夢がダメになった途端、怒りを爆発させる(しかない)、あの場面。
あそこは、その瞬間、今日子の気持ちの奥底から湧き出てきた無念さや、やり場のない怒り、それを抑えられないやりきれなさといった哀しみがすぅーっと伝わってきて。
それまでのお話がどれもプラスチックハートなお話だっただけにw、「なんだよー、こういうの書ける人なんじゃん」とちょっと嬉しくなった。
ただ、例によって、最後にヒネったオチをつけて“映え”ちゃうから……┐(´д`)┌
著者がどういう作家なのかは知らないけど、他の小説のあらすじをざっと見る限り、今どきの“映える小説”を書く人のようだ。
まぁー、小説(本)というのは商品でもあるわけで、商品は売れるために造られる。
であれば、“映える”という「芸」は小説に求められる大事な要素なんだろう。
ただ、自らの「芸」に酔うあまり、それに寄りかかりすぎてしまったら、AIの生成するお話に駆逐されるのは作家のような気がする。
追記
著者の「作家の読書道」が結構面白い。
意外に、活発で外で遊ぶ子ども時代だったんだなーとか。
子どもの頃は、ゲームクリエイターになりたいと思っていたくらいゲームに興味があって。
それゆえなのか、子どもの頃に大人が読む本の『三国志』を読んだら面白くて、『水滸伝」も読んだり。
そうなってくると、次は『指輪物語』?と思ったら、やっぱりハマっている。
高校の時、友だちに「こういうの好きでしょ?」と安部公房の『箱男』を勧められて読んだら面白くて、それを本人は「要はシュールレアリズム」と言っているんだけど、そう言われてみれば『ベーシックインカムの祈り』はシュールレアリズムでくくれるのかも?なんて(^^ゞ
あと、著者は小さい頃から言葉について敏感だったようで。
“親がよく言うのは、自分は子供の頃、「スリッパってなんでスリッパって言うの?」などと訊いてたらしいです。親が「そう決められているから」と言うと、「じゃあこれからはスリッパのことをタオルって呼ぶね」と言い始めるから、「混乱するからやめて」と言っていたらしいです。そんな感じで、言葉とは何か、については前から問題意識があったようです。”というのがすごく興味深くて。
そこは、ミョーに親近感がわいた(^^ゞ
ただ、著者のデビュー作らしい『恋と禁忌の述語論理(プレディケット)』について、“(前略)よくよく考えてみると、ミステリって理系の論文に近いんです。問題の提起があって、それに対する仮説があって、証明する、というのは同じなので、そのフォーマットにのっとってみたら書けました。”と言っているところなんかを読むと、「あー、自分はこの人の書く小説は絶対合わないんだろうなぁー」って(爆)
頭のいい人の書く小説って、今は頭がいい人が書いた小説ってだけでウケちゃうところがあるような気がするんだけど(もちろん頭がいいからこそ、多くの人が面白がれるように書いているという面もある)。
個人的には、小説は、いわゆる文学的なバカっぽさwがないとエキサイティングじゃないって思う方かな?
この後に読んだ『地球星人」と『コンビニ人間』で思うところがあって、作家の人となりを少しでも知ろうと、著作を読んだ後か読む前に「作家の読書道」を見るようになったんだけど、おかげで作家本人に親近感がわくようになってすごく面白い。
この『ベーシックインカムの祈り』の著者は東大工学部卒で大学院の修士課程まで修めた優秀な人らしいんだけど、高校時代の話がすごく楽しそうで羨ましかった。
あくまで個人的な考えで、また、個々で違うとは思うけど。
さらに言えば、100%余計なお世話だけどw、人は10代半ばから後半、さらに20代前半にかけて、よい刺激を与えてくれる友だちとなるべく多く巡り合うためにも、小学校中学校時代にちゃんと勉強しておいた方が絶対いいと思うよ(^^)/