あらすじ
漫才、そしてM‐1に青春を賭けた芸人たち。彼らは何とバカで、たまらなく惹かれる生き物なのだろう――
一夜にして富と人気を手にすることができるM‐1グランプリ。
いまや年末の風物詩であるお笑いのビッグイベントは、吉本興業内に作られた一人だけの新部署「漫才プロジェクト」の社員、そして稀代のプロデューサー島田紳助の「賞金をな、1千万にするんや」という途方もないアイディアによって誕生した。
このM‐1に、「ちゃっちゃっと優勝して、天下を獲ったるわい」と乗り込んだコンビがいた。のちに「ミスターM‐1」「M‐1の申し子」と呼ばれ、2002年から9年連続で決勝に進出した笑い飯である。大阪の地下芸人だった哲夫と西田は、純情と狂気が生み出す圧倒的熱量で「笑い」を追い求め、その狂熱は他の芸人にも影響を与えていく――。
芸人、スタッフ80人以上の証言から浮かび上がる、M‐1と漫才の深淵。
笑い飯、千鳥、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、キングコング、NON STYLE、スリムクラブ……。
漫才師たちの、「笑い」の発明と革新の20年を活写する圧巻のノンフィクション、誕生!
プロローグ
笑い飯
笑い飯と千鳥
「島田紳助 様」
ますだおかだ、ハリガネロック
再び、笑い飯
フットボールアワー
再び、笑い飯と千鳥
ABC
ブラックマヨネーズ
チュートリアル、変ホ長調
キングコング
NON STYLE
パンクブーブー
スリムクラブ
三たび、笑い飯
エピローグ
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
雑誌Numberなどで多数寄稿されている著者による
M-1グランプリに臨む芸人への取材。
「笑い」に対する解説は賛否両論あるかもしれないが
大笑いしてしまう裏側の人間模様は複雑かつ凄惨。
作中に出てくるケンドーコバヤシの
「中村さんのやっている行為が、一番寒いと思いますよ」
にハッとさせられる。
そのあたりも包み隠さず書いてあり、
非常に面白い。
M-1は漫才の中の一つの競技である、
という結論に漫才愛を感じます。
Posted by ブクログ
スゲーノンフィクション、「嫌われた監督」に並ぶとんでもない力作であり傑作。
色々書こうとしてみたけど、書くたびにどうしようもなくなり、レビューがまとまらない。とにかく読んで損なし。
主人公は漫才師の「笑い飯」、舞台は「M-1グランプリ」
笑い飯を巡って「M-1グランプリ」は、そして漫才はどう変化を遂げていくのか。
お笑いを題材にしてるけど、ド直球のスポコンノンフィクションである。普段テレビで見ている漫才師たちが、「M-1」優勝をかけてしのぎを削るさまは、まるで夏の甲子園!
…あかん、これ以上は思いが湧きすぎてやっぱりまとまらない。
こんなスゲー作品が、クソ週刊文春で連載されていたとは、「嫌われた監督」もそうだったよな勿体ない。掃き溜めにツルである。
Posted by ブクログ
本作は今では年末恒例の巨大イベントになったM-1にかける芸人たちを追いかけたノンフィクションが本作だ。お笑い番号は滅多に見ないという人でも、M-1はとりあえずみるという人多いんじゃないだろうか。ちなみに自分は休止前は見ていたが、復活後は一度も見てない・・というカテゴリーの人間である。
本作はM-1の中でもその休止前までを主に取り上げている。主役に位置するのは、M-1の申し子と言ってもいい笑い飯。ダブルボケで強烈な光を放った彼らが突然M-1の舞台に出てから前期最終年に優勝するまでをいわば縦軸に、各年の優勝コンビを横軸にして、M-1に挑む芸人たちの狂気を描いている。
自分はたまたまM-1の決勝にでた芸人に知り合いがおり、彼らの単独ライブを見に行ったことがあるのだが、お笑いもあのレベルまでいくとスポーツに近いというのがよくわかるイベントだった。M-1はその中でも短距離走と言われるほどの爆発力が求められる領域だ。
そこで優勝するためには「クラスでちょっと面白い」ぐらいのレベルではなく、1年間M-1で優勝するためにあらゆる努力をしなければならないことが、本書を読むと痛いほど伝わってくる。
Posted by ブクログ
【笑い飯】
漫才のネタは、言葉に力を持たせるためにも実体験に即していた方がいい。そのため哲夫は設定を考えるとき、いつも自分の内面を探った。
「割と早い段階で総ざらいをやってみたんです。そんで、小学一年生の時の記憶から出てきたんが『鳥人』やったんです」
哲夫は奈良県桜井市で生まれ育った。桜井市は日本最古級の神社・大神神社や、日本最古の街道・山の辺の道があることで知られ、邪馬台国があったとされる有力地でもある。哲夫の実家は昔ながらの古い家で、哲夫は高校に入るまで「米は家で作るもの、風呂は薪で焚くもの」だと思い続けていたという。
小学校一年生のとき、哲夫が学校から帰ると、まな板の上に大きな包丁が出ていたことがあった。その日の晩飯のおかずは唐揚げだった。ぷりぷりとしていて、実においしかった。哲夫がその感想を伝えると、祖父の口から事実が明かされた。その唐揚げは、飼っていたニワトリを捌いたものだったのだ。そこで初めて包丁とニワトリがつながった。
「じいちゃんが『おばあちゃん、腰悪くて面倒みれんから、殺したんや』と。そのときの思い出が強烈で。あんとき、ニワトリのお化けが出てくるんちゃうかなと思ったんです」
【千鳥】
「最初の一ヶ月くらいは、三人がふざけているのを外から見ていただけ。でも、電車に乗ってるときだったかな、哲夫さんに『どなたさんですか?』と聞かれて。夕方五時ごろだったと思うんすけど、そっから夜中まで、ずっと同じボケを繰り返されたんですよ」
ノブは最初、必死でおもしろいことを言おうとしていた。声音や抑揚も変えてみた。だが、やればやるほど空回りし、どう返しても哲夫は何も聞こえなかったかのように表情一つ変えない。大悟の家へ行ってからも状況は変わらなかった。
深夜三時ごろだった。何十回目かの「どなたさんですか?」にノブがついにブチ切れた。目を剥いて、吠えた。
「ノブじゃ!」
すると哲夫が腹を抱えて笑った。西田も、大悟も、笑い転げていた。
「それでええねん。それがツッコミや」
哲夫はそう言って、なおも笑っていた。
ノブが漫才師になった瞬間だった。
「テクニックや小手先で言ってるときはひとつも笑ってくれなかった二人が、やっと笑ってくれたんです。いてこまされて、いてこまされて、怒ると笑いが起きる。笑いの教科書に一ページ目を教えてもらったような気がしましたね」
【かもめんたる】
漫才日本一を決めるイベントがM-1なら、コント日本一を決めるイベントは『キングオブコント』(TBS制作)である。そのキングオブコントの第六回大会王者のかもめんたるの岩崎う大が、漫才が不得手だと感じていた理由を、こう語っていたことがある。
「漫才って、素の自分でしゃべらなければならないという固定観念があったんです。その感覚がわからなかった。コントで自己紹介するなんてこと、まずないですよね。でも、漫才は『かもめんたるです』って自己紹介している以上、しゃべっているのは『岩崎う大』のはずなんですよ。でも、実際は違うじゃないですか。漫才も芝居は芝居ですから。何度やっても初めて聞いたかのように驚いたり、怒ったりしなければいけない。それを自然にやろうと思えば思うほど、空回りするというか、白々しくなっちゃう自分がいて」
岩崎う大は東京で生まれ育ちながら、高校時代はオーストラリアで過ごし、帰国後、早稲田大学政経学部を卒業したという、芸人としては異色の経歴の持ち主である。
彼の感覚は、漫才とは程遠い時代に育ったものにしかわからないかもしれない。一九七〇年代生まれで、関東育ちの私にはよくわかる。
小さい頃、ある漫才コンビが前にやっていたのと同じネタを、さも初めてやるかのような調子でしゃべっているのを見たときのショックたるやなかった。あれは演技だったのか、と。私も漫才とは「素」の状態で、その場で思いついたことをただ話しているものだとばかり思っていた。つまり、毎回、違う話をしているのだと思っていたのだ。
だから、岩崎う大の迷いがなんとなくだが理解できる。強いて言えば、芝居と素の間にあるのが漫才なのだが、物事はいつだって「間」がいちばん難しい。どのあたりにポジションを定めるのか。そのセンスが問われる。
岩崎は二〇二一年、十二年ぶりにM-1にエントリーしたとき、その難題をこう消化したのだという。
「要するに、素の自分に近い人間を演じればいいんだ、と。舞台に上がるとき、まず、そのスイッチを入れて、あとは別人のままずっと話している感じです。そこがはっきりしたことで漫才も演じることの延長に置くことができた」
【笑い飯】
漫才の実力者たちのネタを聴いていて、いつも感嘆するのは、何十回、あるいは何百回とかけているネタでも、鮮度を維持しているところだ。本当に初めて聞いたようなリアクションを自然にできる。いつ見ても表情が、言葉が、生き生きとしているのだ。
それに対して、M-1で早々に消えていくコンビは、やはり台詞の向こうに「台本」が見える。台本通りにしゃべっているだけで、表情やセリフに生気がない。
哲夫も、やはり根っからの漫才師だった。
「漫才んときは、普通にしゃべってる感じでやっています。ただ、覚えてるもんをしゃべるという意味では、ある程度、演技なんですけど。ただ、僕は芝居ができないんですよ。ドラマに一回、出させてもうたことがあるんですけど、十回ぐらいNGを出した。『めっちゃ、わざとらしい』って言われて。漫才の中の芝居は自然にできるんですけどね」
【ソラシド】
笑い飯は、なぜ、あのようなネタをつくれるのか。当時、多くの芸人たちは不思議がり、同時に羨望した。
二〇〇一年に結成し、現在、山形県で活動するソラシドのボケ役、本坊元児も同じ疑問にぶつかった。
「僕が初めて見た笑い飯のネタは、ロープウェイだったんです」
ロープウェイのことで頭がいっぱいのおじさんが登場する突拍子もないネタだった。
「そんとき、僕ら、漫才やってて楽しくなかったんですよ。一言一句、間違えんように言わないかんみたいな。けど、笑い飯を見て、こんな楽しそうに漫才やってええんやって。しかも、ロープウェイって何やねんという。おっさんがロープウェイって言いいたいだけやん、って」
本坊はそれまでNSC時代に出会った、ある講師の助言を拠り所にしていた。
「ちょっと奇抜なネタをしたコンビがいて、その時、先生が『おまえら、コンビニのネタはつくったんか?』って。『デートのネタは?』『誕生日のネタは?』『修学旅行のネタは?』と。生徒が『つくってないです』って答えたら、『全部つくってから、そういう(奇抜な)のをやりなさい』と。確かにそうやな、って思った。でも、それら全部を塗りつぶしても笑い飯の漫才にはたどり着けない気がして」
笑い飯は別段、奇をてらっているようには見えなかった。本坊はこう結論づけた。
「本当にロープウェイが気になったんでしょうね。笑い飯のネタって、嘘がない。だから力があるんですよ」
【ブラックマヨネーズ】
一般的に、漫才は素をさらけ出す芸で、コントは役に入る芸だと言われる。約八千本ものコントネタを持つジャルジャルの福徳秀介は、二つのジャンルの違いをこう話していたことがある。
「コントは、スベっても役に逃げられるんですよ。キャラクターがスベっただけだと。でも漫才でスベると落ち込む。福徳秀介がスベったことになるので」
吉田はそのとき、自分達の存在が否定されるかもしれない恐怖と戦っていた。
ネタは「最初のデート」がテーマだった。神経質な吉田は、どうでもいいことにいちいち迷う。人がいい小杉はそれに付き合い、細かなアドバイスを送る。しかし、それでもなお重箱の隅をほじくるように不安を指摘する吉田に、今度は小杉の方が精神を乱し、ついには吉田以上におかしなことを言い始める。もはやツッコミもボケもいなかった。不器用で、滑稽で、ゆえに愛らし男が二人いるだけだった。
そこにはつくられた笑いではなく、人間がひたむきに生きることでしか生まれないユーモアがにじみ出ていた。
この一本こそ、のちに「究極の漫才」とまで言われた『ボウリング』と呼ばれるネタだった。
【ユウキロック】
ユウキロックは二人の漫才に打ちのめされた理由をこう語る。
「あれって、二人ともボケたないんですよ。考え方が違うから、そのズレで笑いが生まれてるだけ。漫才って、本来、それでいいんです。なのにボケはボケを言わなと思うから、わざとらしく間違ったりする。俺もそうだった。どこかに違和感を覚えながらも、簡単に笑いが取れるからついそっちに手を出してしまった」
【タイムマシーン3号】
「尖ったネタをできる人たちって、ウケを狙いにいけばできるのに、あえて、それをやってないんだと思っていたんです。でも、そういう人もいるけど、そうじゃない人たちもいて。そういう人に本気で『どうやったらあんなにウケるの?』みたいに言われて。あ、バカにされてるわけじゃないんだと。そこから、突き抜けた客ウケというのは、やっぱり自分たちの武器なんだなって思う得るようになりましたね」
【変ホ長調】
舞台へ立つことの楽しさを知った彼方は、次はM-1だと思い、軽い気持ちで小田に声をかける。R-1で自信を得た小田は二つ返事で応じた。変ホ長調の誕生である。
京都と東京という距離があったため、ネタは数えきれないほどメールをやりとりしながら練り上げた。ただし、実際にネタ合わせをしたのは一回戦の前日である。人前でやるのは、本番の舞台が初めてだった。最初の年、それだけで準決勝まで勝ち進んだ。
二人はゆっくり出てきて、ゆっくりしゃべる。漫才中は、ほとんど表情を変えず、セリフは棒読み、話す内容は日頃、本当に思っていることだけにした。
滑舌が悪い彼方の言うことがはっきり聞き取れるよう、普段よりゆっくりしゃべっていることと、殊更暗い雰囲気を醸し出していることを除けば、舞台上の二人は、普段、世間話をしている小田と彼方、そのままだ。彼方は言う。
「最初はもうちょっと漫才っぽくしゃべった方がいいのかなと思ったんですけど、録音して聞いたら、変に作るより、普通にしゃべった方がおもろいな、ってことになって」
ーー「何でやねん!」みたいなツッコミ、やりたくなりませんでしたか。
「おもしろくないでしょ」と彼方は一刀両断した。その感覚こそ、彼女たちの才能だった。
M-1予選中、毎年のようにアナウンサーコンビやアイドルグループが参戦しているのを見かける。彼らや彼女たちは場慣れしているし、しゃべりもうまい。だが、大抵の場合、胸に響かなかった。なぜなら「漫才師」を演じてしまうからだ。漫才だからと、普段、使ったこともないのに、つい「何でやねん」と言ってしまう。借り物の言葉では、人の心を揺さぶることはできない。
若い頃からお笑いが大好きだった二人は、これまでその趣味に膨大なお金と時間をつぎ込んできた。そんな彼女たちだからこそ、そのことに勘付くことができた。
【NON STYLE】
M-1で石田は初めて泣いた。
二〇〇七年、四度目の準決勝敗退を喫したNON STYLEは、四度目の敗者復活戦を経験した。敗者復活戦を勝ち抜いたのは当時、まったく無名だったサンドウィッチマンだった。石田が回想する。
「東京の芸人たちが『サンドウィッチマンがんばってこい!』とか言って盛り上がってたんですよ。こいつら何してんねんって、無性に腹が立って。そんなことを思ってしまう自分が情けなくて涙が出てきた。でも、そこまで本気で悔しがれるということは、やっと決勝の舞台に立ってもおかしくないところまで来れたのかな、と思って」
【パンクブーブー】
ネタ作りを担当する佐藤は「変わったことをやった方がいいのかな」と迷いかけたこともある。だが、遭難する前に来た道を引き返した。そして、これまで歩いて来た道を突き進む覚悟を固めた。
「この世界の人の九十九%ぐらいは才能なんてないんです。僕もそう。笑い飯みたいに感覚でできるわけじゃない。じゃあ、どうするか。しっかりとした理論に基づいて作るしかない。クオリティをとことん上げるしかないんです。ただ、M-1では、特徴がないぶん、めっちゃウケるくらいじゃダメ。いちばんウケないと。突破口は結局、そこしかなかった。努力が秀才まで行っちゃえば、世間は天才って見てくれる。天才にだけはバレますけど、でも僕らが商売する相手は天才ではないんで」
【スリムクラブ】
「何でだよ!」
スリムクラブのツッコミを担う内間政成は、コントの最中、ややきれ気味にツッコんだ。すると、せっかくボケで起きた笑いがスッと引く。そんなことが何度か繰り返された。
そんな負のループに業を煮やしたボケ役の真栄田賢は、左側にいた内間の肩を左手で強くつかんだ。身長百八十三センチでいかにも屈強そうな真栄田の声は喉を潰したミュージシャンのように嗄れている。
「もういいッ! ツッコまなくていい! 何もしなくていいから」
内間も百八〇センチと長身だが、真栄田とは対照的にいかにも頼りなげで、ヒョロリとしている。
ただし、そこでコントが終わるわけではない。ツッコミを禁じられた内間は、意味不明な言葉を発し執拗に絡んでくるキャラクターを演じる真栄田に対して、オロオロするばかりだった。客席から冷笑が漏れる。
何もするなと言われても舞台に立っている以上、そうはいかない。用意してきた言葉はすべて「ツッコミ」に相当する。突然のツッコミ禁止令に、何も言葉が浮かんでこない。追い込まれた内間は、真栄田のボケに対して、反射的に返した。
「……そ、そうなんですか」
すると、客席がどっと沸いた。経験したことのないウケ方だった。強い否定ではなく、弱々しい肯定。そこに内間のリアルなおかしさが滲み出ていたからだ。内間は天啓を得た。
「これがお笑いの間なんだな、と」
真栄田が相方として内間に求めたことは、たった一つだった。
「内間は自分に自信がないもんだから、人真似ばっかりしてたんです。NON STYLEとか、キングコングとか。でも本当の内間じゃなから、全然ウケない。だから、居酒屋で俺と話しているとき、そんなに速く返すか、って。そんなに強い言い方するか、って。おれはお前と飲んでるとき楽しいよ。のんびりとした言い方で、突拍子もないことを言い出したり。それを舞台でも出してくれって言ってたんですけど、それがなかなかできなかったんですよ」
何もしなくていーー
それは真栄田の究極のメッセージだった。内間はこう解釈する。
「何もするな、イコール、普段のお前でいいんだから、ということだったんでしょうね」
新たな境地を見出したライブの後、真栄田は「このスタイルでいくぞ」と確信に満ちた表情で言った。内間は、「ほんとにいいの?」と思いつつも快諾した。
「いちばん楽だったので。前までは、相方がしゃべってきたら、必ず何かしゃべらんといけんと思ってたんですけど、それもやめました」