あらすじ
母が死んだ。
十二歳で学校を辞めて工場で働き、父と結婚した後は、共に店を切り盛りしていた母の人生。自分の子供に少しでも良い教育をと子どもの数は一人にし、教育にお金をかけてくれた母。そんな母の誇りは、一人娘が教員免許をとり、知識階級の仲間入りを果たしたことだった。やがて忍び寄る病魔の影。母はアルツハイマー病になっていた。母を引き取り介護に明け暮れるが、自分一人では母の面倒を見切れず、養老院に預けることに――。
フランス人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した著者が、自らの母親の人生と、母が娘に託したものを綴る、自伝的小説。
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Posted by ブクログ
「シモーヌ・ド・ボーヴォワールに一週間先だって死んだ」著者自身の母親の生涯を描いたもの。貧しい家庭に育ち、勤勉に働いて、一人娘を立派に教育し、出身階層よりも上昇させたこの母親がたくましく仕事(食料品店とカフェの経営)をこなし、老いては娘夫婦と同居して中流階級にも適応していく。そんな才気あふれる母親が次第に老い、重度の痴呆症状になる様子は切ない。
80年代当時のフランスの介護事情や、葬儀までの段取りがリアルに描かれていることも興味深かった。
Posted by ブクログ
表紙のスーツ姿の女性が、まず実母と重なって…手にとった一冊。こんな色が好きだった母親を想って。
「歪な関係」を抱えた人、特に親と…少なくはないと思うけれど、そんな人には共感する部分が多い作品だと思う。私的な感情を感情的に語りすぎず、適度にクールな点がより「母親」像を浮かび上がらせていると思う。 同じように、母親の異常に気づき、部屋を片付け、施設を探し、入院、他界まで…一年という時間の中で過ぎていった嵐のような昨年を振り返った。
作中の母親と実母とが重なる部分が多く、特に認知症を発症してからの様子が手に取るようにわかるため、切なくて思わず涙。
個としての輪郭が無くなっても、やはり親と子としての情愛は残るもの。時間が経てば経つほどに、確執の記憶はより澄んだ思い出へと変化するもの。
人の愚かしいところでもあり、救いでもあると改めて感じた。
Posted by ブクログ
2022ノーベル文学賞受賞のアニーエルノーの作品。
母親の死を契機に、母の人生を咀嚼するように、振り返るために書かれたかのような本。
文を書くことで、母の人生を、母の価値観を、母の生活苦をそして母の心配を母の希望を母の喜びを追いかける。そうやって母の人生を文章で綴ることが唯一の追悼でああるかのようだ。これは場所で父親を追悼した時と同じ手法である。ただ母の場合は性についてより赤裸々に描写している。
日本では私小説という分野が盛んで、小説家の家族は結構なんでも赤裸々にバラされてあらあらということがあるが、これはネタ探しというよりもう少し内省的である。フランスの民衆も歴史に翻弄され、貧しいながらも懸命に生きていたことがよくわかる。日本の手練れの小説家ならこのエルノーの母親を題材に面白い小説を書けるのに、面白くかかないところにこの本の面白さがある。
Posted by ブクログ
母親のことが書かれている。私自身も、母親と四六時中一緒にいると息が詰まるため、一定の距離を置いている。大学に入って実家を出たときにはホッとした。ある時、実家、母親のやり方に、ふと疑問を感じ、否定する気持ちが出てきたのだ。
晩年の母親のシーンで、自分自身と母親、また、子ども達と母親としての自分を思って怖くなった。
Posted by ブクログ
エルノー二冊目。母の記憶をつづった一冊。『シンプルな情熱』の時同様、淡々とした語り口が好きなので、作品も好きだった。
印象的な(視覚的に)冒頭のシーンも、母を冷静に見て、彼女が苦労したこと、階級を超えるために努力したこと、超えられなかったことも、淡々とつづられている。
フランスは(?)こんなにも階級がかっつりしているんだなあと思いつつ、このような小説は果たして今の世代に当てはまるのだろうか、将来もこういった”階級”の小説、階級を超えようとする営みはあるのだろうか、なんてふと思った。この本で描かれているような、工場勤めの労働者階級と、大学を出て知識人と、という形はもう少し違う形で、存在するのだろうなあ…そういうものを可視化する小説(狭間にいるからこそ書けるもの)を、どこかで目にするんだろうか。もう少し透明な色な気もするんだけど、そうでもないのだろうか。
というのは話の本筋の一つだけれど、『ある女』を読むと、父親の方の『場所』も読んでみたいと思う。
「この本は伝記ではないし、もちろん小説でもない。おそらく文学と社会学と歴史の間に位置する何かだと思う」
これは彼女の母の物語であり、アニー・エルノーの物語であり、そして娘の物語だった。私も自分の母の物語をいつか紡ぐことになるのだろうか。
そういったことをつらつら読みながら、静謐なフランスの雰囲気に囲まれる本だった。良かった。
Posted by ブクログ
ある女
著者:アニー・エルノー
訳者:堀茂樹
発行:1993年7月31日
早川書房
2022年ノーベル文学賞、アニー・エルノーの小説。日本で出版された最初の3冊である『シンプルな情熱』『場所』『ある女』のうち、今週は『場所』と『ある女』を続けて読んだ。『シンプルな情熱』は2年前に読んだ。『場所』は死んだ父親について書いた本だったが、この作品は母親について書いた本。前者を読んで著者の父親像を知っていくにつれ、その時に母親(妻)はどうしていたのだろう、どう受け答えし、対応していたのだろう、と何回も思った。この作品でその答えが出るのかと思っていたら、違っていた。父親(夫)との絡みは殆どなかった。
父親の話は、父親が死んで15年たった1982年から書かれ、著者とは距離のあった父親について、父親にも自分にも距離を取りながら、客観的に書くことを主としていた印象だった。一方、この小説は母親が死んですぐに書き始めている。書き出しから、著者がなにも手につかない、なにもする気が起きない状態を表現し、母親について一定の距離を置いて描いてはいるが、自分との同一視的な視点も交えながら、父親とは違う描き方をしている。
ノルマンディーの田舎出身の母親は、父親と同じような境遇に生まれた。農場の馬方と家の中でする機織りの夫婦の間に生まれる。12歳半で学校をやめさせられて、マーガリン工場で働いた。ただ、父親と違うことは勉強ができたこと。そのまま進学すれば小学校の教員になれただろうと著者は見る。しかしながら、やはり時代はそういう生き方を容認しなかったようでもある。下層の人間だから、上の階層に属する男と結婚するのが幸せであるし、そうなるように育て、仕向けていくのが親の務めでもあると時代が考えていた。
1906年に生まれた彼女は、結婚後、暫くすると貧しさから脱却するために夫婦で小さな商売を始める。食料品販売、カフェも併設。開店は早朝6時、閉店は夜11時。早朝から開けないと紡績工場で働く女達が牛乳を買えない。夜はトランプやビリヤードに興ずる客がいる。それだけ働いて、女子工員1人分の給料をほんの少し上回る程度の稼ぎ。夫は勤めに出る。
父親(夫)と違い、娘(著者)が勉強することを積極的に応援した。1967年に父親(夫)が死ぬと、暫くは店をしていたがやがて娘夫婦と同居することに。ただ、著者の夫が新たな役職を得て引っ越すと、その町にはなじめず、生まれた場所に戻ってワンルーム暮らし。感情の起伏は激しくなり、認知症だと診断される。
1979年に交通事故にあって大けがをして入院となるが、そこまでは元気だった。しかし、1983年の夏には著者が面倒をみることになる。3年後、暮らしていた老人施設で死亡。ボーヴォワールが死んだ1週間後だった。
彼女は階層社会であるフランスにあって、最下層の出身だったが、娘夫婦と暮らすと、言葉遣いや態度なども上位階層のように上品に振る舞っていた。娘やその夫の成功を誰かに自慢したいとも思っていた。しかし、一緒に暮らすようになり、そういう人たちが住む町にも最後にはなじめなかったわけである。時代と共に解消されるとまではいかないまでも、緩やかになっている階層社会の溝は、そう簡単にはなくならない心の溝であると感じる話でもあった。