あらすじ
仕事部屋を借りようとした著者は、86歳という年齢を言うと立て続けに断られ、啞然としたという。日本の高齢者は、収入があっても部屋すら借りられないのか、と。最近では終末期の医療費を減らすために、「高齢者の延命治療は必要ない」という議論もある。だが著者は、高齢者本人の意思を無視して一緒くたにし、命を軽視することに異議を唱え、さらに「少子化でこれから否応なく年寄りが社会の担い手になるのに、年寄りが生きにくい世の中にしてどうする!」と喝破。高齢化ニッポンが抱える難題の打開策を提言する。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
第一章 なぜ高齢者になって住みづらくなったのか
第二章 体が不自由な時は頭を使う
第三章 「年寄り」にならない人はいない
第四章 年を取るほど、お金は重要
第五章 高齢者よ、街に出よ!
第2章P80意向の内容が心に残った。
子どもが親の介護をするのは当然ではない。
この固定観念は親のわがまま。子供が親元を離れている場合、その子が介護をするとき、離れていた先の生活を捨てさせることになる。しかし、いざ介護される側になると、子どもに頼ってしまう。心細くなるし、判断力も鈍ってくる。配偶者に先立たれると余計寂しくなり子供を呼びたくなる。元気な時は子に頼りたくないと言っていたけど、いざ元気でなくなると・・・。
著者は、以下のように書いていた
それは決して格好いいものではない。若いころから孤独に慣れよ
この孤独、家族がいるのが当たり前の生活の中でどうはぐくむのだろうか?最終章の、街に出よ!につながるのかもしれない。
親は子から与えられた喜びを思い出せ。
固定概念の根底には、「育ててやったのだから」という考えがあるらしい。育ててもらった恩を介護で返せ。これはおかしいと指摘している。育てる中で多くの喜びを得たはず。与える途中で多くの喜びをaji合わせてもらったではないか、とされていた。
子どもは親のもの、一生責任を持つという考えは、子離れできず、子どもの自立を妨げる。
子どもは自分を知っている。家族外の介護者は自分の好みを知らず説明するのがめんどい。と思っているかもしれないが、子どもと離れて生活している場合は、好みの変化を子が知ることはない。親は自分の好みを知らない、なんて親不孝な奴。子は今までの努力は何だったの?(ちょこちょこ顔を見せていたのに)と疑問に思う。こんなに不幸なことはない。
第3章P131以降
最高の人生を送る秘訣は、自分の中から湧き出る気持ちにしたがって行動すること。