あらすじ
著者は、臨床経験30年以上の発達障害の専門家。未就学の幼児から成人まで多数の発達障害の人たちの診療に当たってきました。
発達障害の人たちの社会参加を難しくするのは、発達障害の特性よりも、身体症状、うつなどの二次障害によることが大きいと、著者は感じているそうです。
そして、小学校以降の発達障害の子の場合、学校生活の中で経験するストレスなどが要因となって、不登校などの問題が生じることも少なくありません。発達障害の支援で、最も重要なことは二次障害を予防すること、そして、二次障害が生じたときにその悪化を防ぐことです。そのためには、学校が子どもたちにとって楽しく学べる場である必要があります。
発達障害のお子さんは、「多数派」「標準」「友達」に合わせなくてもいい――とはいうものの、学校とは「多数派」「標準」「友達」に合わせるべき最たるところ。いったいどうやって、発達障害の子は学校と折り合いをつけていけばいいのか、じっくり考えていきたいと思います。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
発達障害の子から見た「学校」というのはどういうところなのか大変分かりやすかった。
困りごとの具体例に対して、「親ができること」「先生ができること」「協力してできること」という3つの視点で支援が書かれているのもよかった。
娘を支援級に入れるのかどうか迷っている今日この頃。
この本では、発達障害のある子は1年生から支援級などの特別な場で教育を受けた方がよいとはっきりと書かれていて、少し面食らった。でも、発達障害のある子は定型発達の子とは分けるというようなものじゃなくて、保険をかけるだけという考え方がとても納得できるものだった。失敗経験をさせてから、取り戻すことは難しいということも確かにな…と感じた。
返却期限までにもう一度読み直して、何だったら購入して、娘の進路を決定するまで死ぬほど悩みます。
Posted by ブクログ
発達障害の子を持つ親や、学校の先生にはぜひ読んでもらいたい本。どんなことを学校に期待すればよいのか。学校をどのような場にしていくのか。これからの学校教育をどのようなものにするのか。「おわりに」に書かれた「子どもたちを追いつめるのは、もうやめませんか?」の言葉が切実に感じられた。具体的には、親と学校のコミュニケーションの取り方がとても参考になる。「要求」ではなく「相談」。
Posted by ブクログ
学校の常識を見直す時期に来ていると思いました。
多数派の意見を重視するのではなく、それぞれの子に応じた内容を提示して、どの子もできる教育を目指す。そのことを強く思いました。
Posted by ブクログ
今のままの学校教育では社会勉強が全くできない。発達障害当事者だけでなくても、横並びで受け身教育をやめ、どんな相手にでもお互いにリスペクトできる環境にする事が必要
Posted by ブクログ
我が子の就学を控え、支援学級に入ることに迷いがあったのがこれを読んで必要なサポートであると分かって良かった。また、"小1の4月"から支援を受けておく重要性が認識できてよかった。時間をあけてまた読み直したい。
Posted by ブクログ
学校選びの基本的な考え方を学んだ。
学校選びを何を基準に考えて行った方が良いか、丁寧に説明されている。支援が必要な子ほど、早くから支援環境が整っている場所を選ぶこと(小学校1年4月〜支援を受けること)が大事だと改めて強く感じた。
Posted by ブクログ
概ね共感しかない。
今の学校は求めすぎ。
学習内容にせよ、規律、教育課程も。
ちなみに昼休みも謎の半強制ボランティアで休みじゃない。
自主性、自律性といいつつ基本はトップダウンだし、多様性といいつつ画一的。
矛盾だらけ。
社会とのずれが大きすぎる。
何から変えたらいいんだろう
現場レベルでもできることはあると思う
必要なのは、大人も子どももモチベーションが湧いてくるための心の余裕だと思います
Posted by ブクログ
とても勉強になった〜
色々メモがわりに残しておきます
・ローカルルールは少ないほうがいい
・登校や成績を目標にしない
・学校は社会に出る土台をつくる場所
・こうなりますを伝えて相手の意見を聞く
・難易度低めの課題を調整する
・できる子にはプラスアルファできるような
・宿題はやらなくてもよい
・できないよりできるを伸ばす
・何が子供を苦しめているのか知る
・知能指数は変化しない
・高得点より社会に即した力
・成績よりもモチベーション
・特別な配慮は小1から
実践したくはあるけどなかなかハードル高いなー
Posted by ブクログ
周りに発達障害の子がいたら、私はどういうふうに対応したらいいのかなと思っていた時に目に止まった本です。
多様性という言葉が一人歩きしている今の時代、結局具体的にどういう人がいて、どういうふうに受け入れていくのか深く考えたことがある人は少ないのではないでしょうか。
今現在子育てをしている人、子どもが生まれる予定の人、学生さん、幅広い年齢の方に読まれる本であって欲しいと思います。
子どものうちは発達障害というグループでも、周りが理解してくれるだろうということはわかりました。
しかし、その子達が大人になったときに、いわゆる「ひょっこり男」のようにあだ名を付けられてニュースに取り上げられ、逮捕までされてしまう現実。
「迷惑」はかけてもいい。という筆者の意見には納得が出来ませんでした。子どものうちはサポートしてもらえる。しかし、多様性の範囲にこの子たちが入れてもらえるのか、今の時代にはまだまだ難しい現実があるのではないかと不安になりました。
そういう意味で、この本が多くの人に読まれることを願います。
私は発達障害じゃないから、うちの子は発達障害じゃないから…と知らないままでは社会は変われないし、努力してきたその子たちは生きづらいまま。
存在だけではなく、その子たちの特性と対処法を知り、その子たちが大人になり先生がいない環境になっても、地域社会全体でサポートができればいいなとそう思いました。
Posted by ブクログ
特別支援を念頭にした、教育観について一石を投じられる本。その上での、いくつかのケースについて「親、先生、一緒に」できること、という具体的なアドバイスが書かれています。
教育観については、大いに賛同します。
少しでもその方向に向かっていくための基盤づくりを、各立場の方々が否定しあうことなく作っていくことができるか。
Posted by ブクログ
そろそろ我が子の小学校入学が見えてきたことと、身近なところに発達障害や自閉症である子がいることから、学校教育の中での発達障害を抱えた子供たちの環境や配慮を知りたくて手に取った本。
以下、私の心に残ったポイントを中心に抜き出し。
<サマリ>
・「授業や学習環境」と「子どもの特性」が合っていないことが、教室を飛びだしてしまう理由になるケースがある
・発達障害は、障害というよりも、少数の部族のようなものととらえると良い
・発達障害の子どもたちが学校で困ることの要因として、「学校の標準が狭すぎる」「子どもが標準的にやるべきことが多すぎる」ことが挙げられる
・子どもは「社会に出ていくための土台をつくる」ために学校へ行く
・文科省提唱の「インクルーシブ教育」とは、全員が共に学べるような仕組みで教育を行うこと
・曖昧な物事を理解するために、「視覚構造化」の手法が取り入れられることがある。曖昧な環境では子どもたちは「空気を読む」練習をしてしまう
・ユニバーサルデザイン⇒合理的配慮⇒特別な場での特別な教育
・子どもが本当に学ぶときとは、「ここまで来たから、次はもう少しやってみよう」と意欲をもって取り組んでいるとき
・小中学生で最も必要なことは、社会で生きていく力を身につけること。その子の得意なやり方で、すこしずつ、総合的に。
・学校が子どもたちにとって主体的に何かを学びとっているかどうかが大事
・子どもの意欲は準備に現れる
・勉強を通じて、得意不得意を知ることができる
・テストは努力の成果を測るものではなく、現状を知るためのもの
・子どもには、好きな事だけをやらせるのではなく、好きな事を活動の中心に置きながらも、実際にいろいろな体験をしてみることが大事
・成績よりも、モチベーションを大切にする
・特別支援教室では、「居場所」という発想を持つことが大事
・みんなで一緒、よりも、お互いリスペクト
・人に迷惑をかけてはいけない、という考え方は人の悪徳の一つ
・共生社会と作っていくためには、人情ではなく、契約で解決。自分の考えと相手の考えをどこで折り合いをつけるか
・教育は、共通項を少なく、オプションを多く。
・宿題で「むずかしかったらやらなくても良いよ」は子どもに劣等感を植え付けるような結果になることがある
<所感・意見>
タイトル通り、発達障害の子どもたちについて記載されている本だが、子どもとの向き合い方や声掛けの仕方、親のエゴが欲目が子どもに与える影響、という観点でも非常に参考になった。例えば「難しかったらやらなくてよいよ」とか、私も言ってしまってる。反省。
この本は最初に5つの問いが出されていて、おおむね著者の回答と私の回答は似ていたのだが、1つだけまったく異なるところがあった。それは「学力」の定義。
私は、「学力とは、自分の興味・関心がある分野で将来社会貢献していくために、その礎となる知識と考える力のこと」と記載したが、著者はより自分からの自発的なモチベーションや興味関心を主眼としていた。著者の意見が必ずしも正解というわけではないが、私は知らず知らずのうちに、「社会貢献」や「知識」といった成績偏重型の考え方が身についていたんだなと自分のバイアスに気づくことができた。
Posted by ブクログ
しばらく積読になっていたけれど、今年度出会った子供たちの中で気になる子供がいたので、何か参考になることはないかと手に取りました。
とても解りやすく書かれていて、親の立場、先生の立場、協力して出来ること、と書かれているところは良かったです。
障害の有る無しに関係なしに、子供ひとり一人にあった環境で学べたら健やかに育っていくだろうな~と思いました。
また、書名には「発達障害」と書かれているけれど、そうでない通常学級に通う子供を持つ人が読んでも参考になるのではないかと思いました。
Posted by ブクログ
発達障害とそうじゃないとを分けての教育ではなく、ハイブリッド型の教育を推奨している。
家庭と学校とでサポートすることは当然必要で、それでも本人もつらい思いをすることもある。
向き合っていかなくてはならない問題だと改めて認識した。
Posted by ブクログ
学校で生活しにくい子どもたちにをどう理解して支援していくのか。学校で適応する事が全てではない、これからどう長い人生を過ごすか、そのために今からできることをみんなで考えて、話し合っていく事が大切。
Posted by ブクログ
良い本だと思う。
IQの変遷についての部分は新しい学びとなった。
教育は難しい。
子育ては難しい。
発達障がいのある子どもの子育てには、親の力、成熟さが大切だと思う。
Posted by ブクログ
発達障害や知的障害の子どもさんに対し、学校は、どのような場面で、どのような対応をしていけるのか、わかりやすく説明されています。
具体的な場面が例示されることで、観点の持ち方と対応を確認していけるのがいいなと思いました。
Posted by ブクログ
いわゆる発達障害をもつ子どもたちのために、周りにいる大人ができることを書いた一冊
子どもたちの抱えている困難や障がいに対しての基本的な考え方、また家庭と学校の両面に対しての提案がなされている
主張自体はうなずけるところもあるが、個人的には学校に対しての居場所づくりや個別対応の充実に関しては、学校現場の実情と人手不足などを考えると現実には厳しいと感じた
ただ、主張は分かりやすく、内容も平易なので読みやすいとは思う
Posted by ブクログ
精神論(心構え)や規範的な内容に終始し、臨床例が載せられている訳ではない事、教育における一般論的論説が多いため、よく言えば発達障害に限らず普遍的に有効、悪く言えば発達障害の視点が弱い。読んでいても感じたのは、発達障害よりも悩ましいのは、境界知能。発達障害は、定義の仕方で如何様にも取り扱える。
階層的にアプローチ方法を示す箇所は、この本の白眉である。以下に引用する。発達障害に限らず、教育の脱落者一般に使える考え方だと思う。
ー ファーストステージとしてのユニバーサルデザイン。セカンドステージは合意的配慮。サードステージは特別な場での個別の教育。合理的配慮と言うのはユニバーサルデザインでも困難を感じた場合に、音声読み上げソフト等の利用を許可するといったような対処。
ユニバーサルデザインというと、視覚障害者にも視認し易いカラーを用いるというような事だが、もう少し広義に捉え、認知読解力の低い層に対して、動画にテロップを入れる、ルビを振る、発話速度を下げる、ナッジを入れるなども有効だろう。対象の水準に合わせた配慮を先ず。で次に、それが難しければ、個別対応。目が見えない人には音声ツールなど。ツールでもギブアップならば個人的に時間を割いてマンツーマンで、というステップだ。
このケア順序で面白いのは、境界知能に対するAIの活用という点で、今後応用が利きそうだという事。その場合は、AI補助の強度を変えていく。ドラえもんか、10分間で効果切れするタルルートくんか。
ー 学校とは「社会に出るための土台づくりをする」場所である。学力とは「自発的に学ぶ力」である。教育で大事なのは、子どもの「モチベーション」を伸ばすこと。発達障害の子は「小学校入学」から、特別支援教育を利用する。
この考え方で十分機能していると思う。後は、発達障害を見定める手法や、感情的側面をどうケアしながら、最適解に合意するか。
Posted by ブクログ
教育現場での発達障害児童の対応には、まだ様々な課題があるだろう事は推察できるけれど、書店でこの本を手に取った時に求めていたものは、その課題の中でどのように対処していったのかの臨床例を盛り込んだ内容だったので、正直期待はずれの感は否めない。
保護者と教育現場の歩み寄りのあり方とかも若干触れられていたけど、どちらかと言うと、教育現場の枠組みに物申す的な内容として読みました。
または、これから改革をするにあたっての指針的な?
どっちかって言うと文科省に向けた1冊なのかな。
Posted by ブクログ
どちらかというと障害の社会モデルに立って、子どもの学ぶ権利を保障しよう、という趣旨と理解した。親が通常教育が望ましいと思っても、早くから支援教育を受けた方が子どものためには良いとの点、胸に刻みたい。
Posted by ブクログ
精神科医の立場からの考えが述べられており、学校現場的な視点で考えると全面的に肯定できる主張ではないと思う。
「学校の標準の幅が狭い」という主張は正論ではあるが、子どもたちそれぞれに合わせた支援や指導を行なっていくためには、今の現場はあまりにも忙しく、人手が足りていない。
保険的に特別支援学級に入級させるという主張も現場的な視点で考えれば、限られたリソースの中で適切な場所に支援の手を割り振ることができなくなるという点ではかなり困った主張のように感じる。
学校現場にも変わらなければならないところはあるのは勿論わかるが、法律的な教室の設置基準や教員の配置基準などを変えて、余裕を持って子どもに関われるようにしなければ、本質的なところでは変わることはできない。