あらすじ
唯識とは、『西遊記』で知られる玄奘三蔵がインドから中国に伝えた仏教思想の根本。それは「人生で起こるどんなことも、心の中の出来事にすぎない」という教えであり、執着や嫉妬、怒り、絶望、失敗はすべて心の深層部の仕業だと説く。この心の最深部を「阿頼耶識」と呼ぶ。心の表層に生じる感情や思考は、阿頼耶識にもれなく蓄積され、それが無意識のうちに表情や体調となって現れ、美醜にも影響する。表層と深層が常にリンクするという心の構造がわかると、シンプルに強く生きられる。ストレスの多い現代人に向けた心の教科書。
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Posted by ブクログ
唯識論の入門書。
坐禅を実践するかたわらに読むと実感が湧いて良い。
唯,心があるだけであって,目に見える物事は,それ自体としては存在しておらず,心が認識する幻影に過ぎないのであって,「自分」というものすら存在しない。
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ナゾの感動の書である。我々は生きなければならず、そして、他者のために生きて当然だと悟った。
西洋の哲学書は、ハッキリさせる、定義することが基本である。ゆえに全てを語れなかったり、矛盾を生じることもありで、イマイチ信用におけないなと思っていた。
本書では、分からないものは分からない、自分よりも他者を大事にするのは当然だと解く。自分という思い込みがそもそも幻想なのだから。苦しいなどの負の感覚や感情も自分が生み出している。ならそれを捨てれば良い。何と大胆な考えだろうか。
瞑想により自分とつながり、自分と向き合うことで、過去の辛い内容のドキュメント映画、未来のホラー映画を観ることが当たり前になっているココロに気付けば、この本の内容もスルリと腑に落ちた。ブッダという人がこの原理を我々に示してくれたことは本当に有難い。
某ファーストフード店で、こうやってこの文章を書ける幸せも、様々な縁起のなせる技である。その壮大な縁起の全てに感謝したい。
Posted by ブクログ
唯識についての初心者向けの本。本文もはじめて唯識に触れるであろう人を意識した平易な語り口で、図解を多用している。私が存在しなければ、世界は存在しない。すべての物は自分の心を離れて存在しないということが唯識についてのポイントであるらしい。
著者の後半に、なりきり、なりきって生きる。一瞬一瞬にその行為になりきって生きる。対象になりきっていきる。すると、観察される対象ではなく、自分そのものがなりきった対象になるということが書いてある。前半では「自分」の「心」が存在しないと対象は認識できないということと関係は深いとおもうが、対象そのものと自己不可分であるの性質が若干違うように感じるの。だが、生き方の指針として、一瞬一瞬をその行為になりきるというのは深いものがあると感じる。
たぶん、混乱するのは、前半は純粋に唯識の考え方についての解説なのに、後半になると、いつのまにか生き方論になってしまっているからではないだろうか。
Posted by ブクログ
(私なりの解釈)
阿頼耶識は、蔵識とも言われ、人間のこころの一番奥にある、心の倉庫のようなもの。
そこに良い種をまけば、世界をより良い視点で観ることができる、と説かれている。
哲学的な議論(悪く言えば屁理屈)が展開される場面が大半を占めるので、哲学にアレルギーがある人には向かないかもしれない。
また、仏教哲学と近代科学のアナロジーがいくつかあるが、それも好みが分かれるところかもしれない。
Posted by ブクログ
横山紘一の書籍が唯識論にはよいと風のうわさを頼りに手に取ってみました。
図形を駆使して非常にわかりやすく、特に阿頼耶識とは何ぞやを説いてくれています。刊行当時で齢70歳の著者で、文章からすでに覚りの境地へ踏み込んでおられる感が伝わってくるぞね。
一切は阿頼耶識から作られたものであり、もはや自分すら存在しない。と同時に常に阿頼耶識の種子を良いものにするため、新しい自分を発見するよう精進しなければならない。何かぐるぐる回って、まさに諸行無常。本書ではことさら強調はされていませんが、こういったものは禅定による実践を経なければ本当の意味で理解することに達せないとの話です。確かに頭でわかったつもりでも、日常に戻ると常に妬み、恨み、虚栄心などの煩悩に取り付けれてしまう。凡夫たるゆえんか。にしても、世界の現大の常識からかけ離れた新しい捉え方として、実に興味部会です。
Posted by ブクログ
筆者の考え方に偏向傾向が見られるため仏教書を始めて手に取る方には勧められない
ある程度、基礎があれば、偏向に気づき、より思索を深める契機となり得る書
Posted by ブクログ
ひとつの存在論としては面白いんだけど、「最先端の科学でも証明されました!」の連発には閉口する。あと妙な啓蒙書臭もあり、うさんくささは否めない。
もうちょっと冷徹に仏教の論理性を語ってほしかったなあという感想。