【感想・ネタバレ】リベラルアーツ 「遊び」を極めて賢者になる(インターナショナル新書)のレビュー

あらすじ

大学などの授業でも取り上げられるリベラルアーツ。だが、真のリベラルアーツとは、その歴史をひもとけば、授業で教えられる教養のようなものではなく、より深い「遊び」の精神であるという。本書は、リベラルアーツの本質を個人個人がどのように活かし、生きやすい未来へつなげていくべきか、その方針を提案する、まったく新しいリベラルアーツ本。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

【要旨】
「リベラルアーツ」という言葉を聞いて、一般的には大学の「一般教養」や「リベラルアーツ学科」と言うように、「教育」と結び付けられることが多い。しかし、著者は言う。リベラルアーツに教科書はない、と。

これからの時代は「答えのない時代」だと言われる。そのような時代を、生きるのに値する時代にしていくためには、知識偏重の教育ではなく、分野の枠に囚われず互いの領域をつないでいく力が必要だ。

それを養っていく力になるのがまさにリベラルアーツ。すなわち人生を「遊ぶ」こと。異なる文化に触れる、そして読書を通して時空を超えた旅をすること。そして、それにより自分自身の生きる世界の地図を描くことである。ただしその目的は設計図を定めて、可能性を狭めてしまうことではなく、身体ひとつでどこへでも行ける自分になることだ。

子供は、「知りたい!」という好奇心のままに遊ぶ。「遊び」の中から、自然と「学び」を得ていく。本来はこのように、「遊び」と「学び」の境界はない。そしてまた、そこに教科の境目など存在しない。そこに大人が勝手に境界を作ってしまっているのだ。いつまでも子供の持つ無邪気さを持ち続けていたい。

【心に残ったフレーズ】
知識という娯楽は飽きがこない。知るべきことは無限にあるから。楽しみと結びついた知識の働きは検索で代替できない。(「教養の書」戸田山和久著)

【感想】
我が娘が未就学児だった頃は、子供にはぜひ学びの楽しさを知ってほしくて、子供の興味の赴くままの活動を軸にした教育である、モンテッソーリ教育に大変興味を持った。時を経て、その娘も小学生。結局、モンテッソーリ教育とは縁がなく今に至る。娘は自我をより持つようになって、親として子供とぶつかることも多くなるにつれて、親にできることはあまりないのかな…と私の教育熱も下がりつつある。ただ、今回この本を読んで、大人が教えられることは決して多くないけれど、興味のあることをできるだけ多く経験させること、そしてうまく学びに導く(ファシリテートする)役割は持ち続けていかなくてはいけないと改めて思った。

そして、著者は「遊び」と「仕事」の境界を作らない、ということも言っている。つまり、自分のできることで、どのように役立てられるだろうと自由に考え、実践するということ。
「自分のできることで、どのように役立てられるだろう」と問うた時、「警察官」や「パイロット」と言うような、一言で簡潔に言い表せられるような、肩書きには必ずしもならないかもしれない。だが、それで良いのだと思う。大人は、子供が「何になりたいか」ではなく、「どのようなことで役立てられると思うか」、そういう問いかけをできるようになりたい。

そして、自分自身は、著者の言う「新世代」では、もはやないが、「旧世代」の人間の一人として、興味の赴くままに、いろいろな世界を覗き、世界を広げてゆく、そんな背中を「新世代」に見てもらえるようになりたい。

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2024年10月14日

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