あらすじ
「モナドには窓がない」という言葉で知られる単純な実体モナド.その定義に始まり,モナドが織りなす表象,予定調和の原理,神の存在と最善な可能世界の創造,物体の有機的構造,神と精神の関係まで,広範な領域を扱うライプニッツの代表作.「理性に基づく自然と恩寵の原理」ほか,関連する論文と書簡などを併収.新訳.
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Posted by ブクログ
モナドロジーや予定調和を提唱した書物で,本番である程度説明は完結している。現代からすると飛躍した議論も見えるが,当時の立ち位置として興味深い事例となっている。
Posted by ブクログ
世界は無限といえるほどのモナドによって構成されており、
このモナドには、部分はなく、縮小や拡大といった性質もなく、単一性でそれのみで完全な非物質的なものとして存在する。
このモナドは宇宙が始まった時からあり、今後も宇宙が存続する限り存在し続けるもの。
0から生まれたものではないものは、消滅もしない。宇宙が存在し続ける限り存在し続ける非物質的なもの。
この非物質なものが、物質的なものに作用して、その形質や性質等を決める。
例えば、動物のモナドのことを魂という。
その魂の性質に合わせた動物の形態をとる。
人間にも動物にも魂はあるが、人間の魂は自己を認識し因果関係を理解する反省的思考を持つために、他動物とは一線を画する理性の高さがある。これを精神という。
このスピリットは地球上では人間が最も優れており、
デカルトの、人間は考える葦とも通ずる。
ここでいう魂は前述したように、消滅しない。ゆえに輪廻はないという立場。
では肉体が滅びた時に魂はどうなるのか?
肉体の死というのは、あくまで変態の過程であり、完全に消滅するということはないとする立場。
詳しくは本書を参考に。
前半のモナドロジーの部分は理解が難しいが、
モナドロジー以外にも、
複数の論文と書簡があるので、
全体を通読した際にまた前半を読んでいくと、モナドロジーの理解が進んでいることがわかる。
Posted by ブクログ
体調にあわないか?体質にあわないか?
あまり読めず
ライプニッツのモナドロジー
モナドロジーまでは読んだが、ほかの著作は読めず
ライプニッツの業績、その広さ、数学的感覚なんかはとても面白く感じるけども、なんか、モナドロジーは、ちょっといまいちよくわからん
性質は、ひとつひとつのモナドでなく、やはりモナドとモナドとの組み合わせや構造から生まれるのでは、と思うけど、それは原子論なのか
形而上学的原子論とでもいうのか?
どうも腹に落ちない
ただ、なんとなーくはわかったので、必要性がみえたらまた戻ってこよう
次いこ
Posted by ブクログ
性質が量に先立つ。
量は性質が生む。1と言えるならば、その大きさが観測できているので、つまりよりちいさな、その性質が示す量の可能性を、その観察者が示唆している。観察対象の量が観察の精度限界と同等なら、その観察は不可能である。無と実質的に区別がつかない。
性質が時空間に先立つ。
ある観察方法で分解可能なある性質があり、その性質は分解可能な性質まで還元できるまで我々が認知可能なら、ある法則性、配慮によってある次元で同等と言える条件でその因子が認められるとき、その性質因子か損複合体がある時空間を占めていると認識する。
時空の次元分解は配慮の因子分解と対をなす。
時空の次元への時間性の割当は配慮が生む現象に過ぎない。時間軸は観察者からみた、自身の発生と成長、死滅の目的性の上に据え置かれる。それ以外の、推移の仕方に据え置いても良かったはずである。ある観察者の古典物理学によれば、空間は時間を固定した後に開かれるが、それはその様態のつまり現存在の形態に依存しているに過ぎない。
モナドは我々の様態の開在性である。。11
彼が言うモナドの内在性は現存在の存在作用に依存する。
性質の量の変化連続的に見えるとき、その性質か次元は十分に因子分解されてない。よってそれはモナドではない。十分に因子分解されたとき、性質は跳躍的現象の確率の性質を示す。13
表象という代わりにシステムといえば、彼の言う欲求による推移も破綻なく説明できるだろう。15
魂は自分の襞を一挙にすっかり展開することができない。61
モナドはそれぞれに宇宙全体を表現し、、、魂も物質も宇宙全体を表現する。62
Posted by ブクログ
モナドなるものの大前提として、神という概念がある。この時代においては「神」という存在は大前提だったことがみてとれる。
意外なほど簡潔で、それゆえにモナドロジーとはなんぞやという点は難解に感じる。しかし、併録されている論文や書簡においてやや異なる角度で語られるため、なんとなくの理解を補間してくれる。
訳はとても読みやすい。
Posted by ブクログ
宇宙を構成する「モナド」の存在や「予定調和」、そして「悪の問題」など、まるで困難や失敗を避けようとする人々の行動に注意を呼び掛けているように感じた。現代社会に自然災害や犯罪など「悪」の事象が神の「最善の選択」として起こっているのは、人々に困難を乗り越えるための方法を考えてもらうためではないのかと思った。これを踏まえると、最後の節のように、宇宙をすべて知り尽くしてしまったら現在をより良くしようと行動しなくなるなと感じた。宇宙と同様に追及し切れない「悪」があるからこそ、日々考える努力ができるのだと感じた。
Posted by ブクログ
フッサールの『デカルト的省察』相互主観性(間主観性?)でモナドが出てくるので、理解しようと読んでみた。
知は人類全体の表象=「精神の共和国」(データベース、百科全書etc.)→シュッツも影響うけている。
モナドは単なる原子論ではない。モナドの一つ一つは表象へのエネルギーを持っており、形而上学的説明がなされる。モナドの表象への運動は、アリストテレスの言う、可能態から現実態へという欲求の運動に対応している。単一のものから変化が生まれるため、単一のなかに必然的に多を含む。記憶が連続的である事(表象の連結)や意識についての言及は興味深い(20~23、26節)。
一つ一つが表象であり、人間の場合魂と呼ぶが、必ずしも人間を特別視していない。
注意すべき点は、モナドは「実体」で、「現象」とは異なるということ。イギリス経験論の物質の実体を疑う考えとは相反する。
モナドは物理的性格+形而上学的性格と考えると腑に落ちる。
『ダンジクール宛書簡』は、形而上学的点、数学的点、物理的点を区別している。←ここが難しい。
(『モナドロジー』1節、3節、65節対応)