あらすじ
「おっさん=古いもの、いまの社会の悪しき土台を作ったもの」とみなされる今日この頃。それならいま「おっさん」はどこへ行くべきなのか? 国内外のポップカルチャーをヒントに、「あたらしいおっさん=ニュー・ダッド」たちの姿を見つめるエッセイ。ドラマ『ストレンジャー・シングス』、 映画『20センチュリー・ウーマン』、ブルース・スプリングスティーンやボン・イヴェールといったミュージシャン、 ゲーム『Detroit: Become Human』、漫画『クッキングパパ』といったカルチャーの中のニュー・ダッドたちから、一般人のパパ系インスタグラマー、プリキュア好きのオタクまで。
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Posted by ブクログ
p9
ハラスメントはセクシュアリティやジェンダーによらず問題であるし、ゲイ表象におけるハラスメントが笑いに転化するのはホモフォビックとすら言える。
p147
トキシック・マスキュリニティは便宜上「有害な男性性」と訳されることが多いが、本来「トキシック」には「有毒な」という意味合いがあり、つまり、当の男にとっても毒のようにじわじわ効いてくるものである。
p210
セクシュアリティと関係なく、男性が男性の優しさや思いやりにときめくのは自然なことだし、それがきっかけで悩みが和らいだり気持ちが楽になったりすることもたくさんあると思うからだ。
映画や音楽のライターをされている著者の新しい「おっさん」に関する本書。ニューとオールドが共存する奇妙なタイトル。オープンにされているゲイセクシュアルの方で、記事もいくつか読んだことはあり、興味を持ち購読。
本書は、エッセイでもあり、コラムでもあり、映画や音楽、役者、アーティストの良質な批評でもある、と自分は受け取りました。だから、幼少期のこと、カミングアウトのこと、家族や友人、パートナーのこともあけっぴろげで、著者のバックグラウンドがどのようにカルチャーに接続されているかもわかりやすいかもしれません。
テーマは「ニュー・ダッド」ですが、右往左往しながら書かれていると同時に、その答えが読者や社会に委ねられているのもこれはこれで◎。若干、読み手側のリテラシーや基礎知識的なものも試されるかな、と思う部分もありますが、これからのジェンダーの在り方について考えるには基礎教養として必要なのかもしれません。
自分が子供の頃のテレビではまだ、ホモやオカマやオネエという単語が平気で使われ、それが普通に笑いのネタにされることも少なくない時代でした。『フレンズ』好きだけど、確かにアウトな内容も多い。好きだけど。自分はそれが面白いのかどうかわからずに眺めているだけ、という場面が多くあったように思います。ただ、そこで笑う人と笑わない人の差はどんなところがあるのだろうか、ということを最近よく考えます。今はアウトは、昔はセーフではないのだから。
つまるところは対話や理解の欠如かもしれません。真面目にやると途方にくれるし、大変なことですが、それをカバーするユーモアと優しさが本書には含まれているのかな、と思いました。
シスジェンダー、ヘテロセクシュアル、ストレート、30代、という自分のカテゴリを深く意識したことは少なく、こういった書籍を読むことによって、考えるきっかけや他者への想像を促す良著でした。