あらすじ
坂本龍馬に愛され、認められた男・陸奥宗光――。明治新政府では県知事などを務めるも、政府転覆を企てたとして投獄されてしまった陸奥。そんな彼の才能に目を留め、花開かせたのは、時の総理大臣・伊藤博文だった。外務大臣として入閣した陸奥は、日本を欧米列強に伍する国家にすべく奔走し、不平等条約の改正に尽力する。そして、日本の尊厳をかけて強国に挑まんとする陸奥を支え続けたのは、妻の亮子だった。本書は、著者が最期に「これだけは書いておきたい」と願い、病と闘いながら綴った長編小説。残念ながら未完ではあるが、著者の歴史作家としての矜持を感じ取れる貴重な作品である。陸奥宗光のその後は、解説の細谷正充氏が、連載中の著者の想いは、長女の涼子氏が紹介。坂本龍馬の姉を描いた短篇「乙女がゆく」を特別収録。
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Posted by ブクログ
明治期に外務大臣を務めた陸奥宗光を主要視点人物に据えた時代モノの小説である。
作者は2017年に他界されているが、その少し前の時期、少し体調も好くなかった中で雑誌連載をしていたという作品で、雑誌に掲載された部分までが本に収められている。故に「未完」ではあるのだが、余り「未完」を意識せずに読むことが出来た。そして読後にその「未完」の経過を知り、非常に惜しい作家が他界してしまったと、改めて御悔み申し上げたくなる。
明治期の様々な事柄や、それに携わったという人物に題材求める小説は多く在るように思う。そういう中で「陸奥宗光」の題材を求めるという、そのこと自体に「近代史を見詰める作者の“主張”」のようなモノが入り込んでいるような感じもする。
陸奥宗光は、紀州徳川家中の武士の家の出である。紀州徳川家は“何十万石”というような「大名の中の大名」という大大名で、加えて“御三家”という「並み居る大名達の中で抜きん出た格付け」を有している。その家中に在って、陸奥宗光の家は「800石」という家禄を得ていた。家中の末席を温めているというような立場ではなく、それなりの大切な役職を拝命する場合も在るような家柄ということになる。格付けが高い大大名の家中でも、この「800石」というようなクラスは極限られた人達ということになる。
陸奥宗光は、この「極限られた人達」という場所から踏み出し、食み出し、色々な経過を経て明治時代に入って行くことになる。本作は明治期の陸奥宗光を描くことが主眼であるが、こうした陸奥宗光の来し方が作中で随所に出て来る。
色々な経過を経て外交官として活動するようになり、何度か閣僚に抜擢され、やがて外務大臣になっていく陸奥宗光が在り、陸奥宗光を含む閣僚達を率いる伊藤博文というような人物も在る。こういう世代の人達は、幕末から元号が明治になって新しい体制が登場する頃に中心的であった「第一世代」に対して、「第二世代」とか「第1.5世代」ということになる面が在るのかもしれない。本作では、か「第1.5世代」ということになる陸奥宗光、または伊藤博文が「第一世代」の人達を思い出すような場面も交じっている。
陸奥宗光にとって、思い出す「第一世代」の代表は坂本龍馬である。陸奥宗光は坂本龍馬が運営した<海援隊>に参加していたのだ。「こんな時、あの人なら?」というように思い出しながら考える場面が幾つか在る。更に本作は、聡明で美しく、社交的な女性であったという陸奥宗光の妻の出番も色々と在って面白い。
日清戦争という局面、不平等条約を解消して世界へ向けて日本が進んで行くことを願い、陸奥宗光は自身の在り方を問う。それが本作の題名に通じる。残念ながら、そういう辺りで本作は絶筆となっている…
必ずしも「主流」ということでもない陸奥宗光が、ブレずに理想を追って仕事を成し遂げて行くような様は、何か痛快だった。
そういう余韻に浸っていると、本書には『乙女がいく』という、少し笑える部分も在る、坂本龍馬とその姉の挿話という物語が収録されていて、それも愉しく読んだ。
なかなかに愉しい一冊に出会ったことを感謝したい…
Posted by ブクログ
不平等条約の改正に挑んだ陸奥宗光を描いた未完の遺作。
紆余曲折を経て、外務大臣に就任し、講和条約に入るというまさにクライマックス的なところで未完となり、その先が読めないのは本当に残念の極み。
併録の『乙女がゆく』は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』へのオマージュだろうか。
姉の乙女が竜馬を訪ね、男装で京都の寺田屋まで行き、竜馬の危機を救い、さらに竜馬のフリをして桂や西郷に面会するという、なんとも愉快な短編。
著者の長女涼子氏のエッセイも収録されており、葉室ファンには見逃せない一冊。
Posted by ブクログ
2017年に逝去された作者による、陸奥宗光が主人公の「未完の大作」。妻・亮子さんの出番も多く、薩長や欧米諸国の圧力に屈せず明治の世を闘う夫婦の物語、という見方もできます。
まさに「俺たちの闘いはこれからだ!」のような場面で終わっているので読者としても寂しい限りです。ですが「刊行に寄せて」にもある通り、タイトルの意味&本作が目指したテーマに触れた一文を最後に書き残されています。
個人的に、怜悧さが際立つイメージのためか、陸奥は小説の主人公としては好まれにくかったように思います。
だからこそその生涯をどう描き切って、司馬史観の先を提示しようとしたのか気になります。
自分なりの大局観のためにあえて濁を飲む伊藤(鹿鳴館外交あたりとか)が昔気質の政治家っぽくて良いよ〜