あらすじ
あなたが「思っている」と思っていることは、全部でっちあげだった!
「心の奥底には何かが隠されている」と、誰もが思いたがる。
心理学者や精神分析学者たちは、暗がりに潜むものを暴き出そうと奮闘してきた。
だが、神経科学や行動心理学の驚くべき新発見の数々は、隠された深みなどそもそも存在しないことを明らかにしている。
「無意識の思考」などというのは、神話にすぎなかったのだ。
わたしたちの脳は、思考や感情や欲望を「その瞬間に」生み出している……行動の理由も、政治的信念も、そして恋心さえも。
本書が紹介する数々の驚くべき実験結果を目にしたとき、そのことを疑うことはもはや不可能になる。
世界はどのように存在し、自分はどんな人間であるのか―それも、脳がもつ途方もない即興能力によって創り出されるフィクションなのだ。
認知科学をリードする世界的研究者が"脳と心"の秘密を解き明かす、超刺激的論考!
※原題は、The Mind is Flat: The Illusion of Mental Depth and The Improvised Mind (Penguin, 2019)
【本書「訳者解説」より】
本書の最終結論である「心には表面しかない」ということは序章から明記されており、深みという錯覚で私たちを騙している犯人は脳であるということが、あたかも最初から犯人がわかっている倒叙ミステリーのごとく、はじめから述べられている。そして、心理学実験を紹介しながら進められる論証は、章を追うごとに説得力を増していくことが、一読してわかるだろう。
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チェイター教授は、オークスフォード教授との推論心理学(人間はどのように推論するのか)の共同研究を続けつつ、意思決定や判断、言語や社会的相互作用へと研究領域を拡げ、また自ら会社を共同創業したりイギリス政府へ協力したりと、認知科学のビジネスや政策への応用にも取り組んでいる。
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「心は実体というよりは、外界と接する接触面(インターフェイス)における即興演奏の ”手癖” である」という捉え方を展開する本書の見方の射程はかなり広い。
【本書の内容】
序章 文学の深さ、心の浅さ
第一部 心の深みという錯覚
でっち上げる力/現実という実感/インチキの解剖学/移り気な想像力/感情の創作/選んだ理由の捏造
第二部 即興が「心」を作る
思考のサイクル/意識の経路の狭さ/無意識的思考という神話/意識の境界/原理ではなく前例/知性の秘密
終章 自分を創り直す
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Posted by ブクログ
心はこうして創られる、というタイトル通りの一書。「心などなく、あるのは巧妙にストーリーを紡ぎ、何かを解った(知った)ように思い込ませる脳の働き」。
原題はMind is flat、心には奥行きも闇もなく、ただ表面を漂う、その時の気持ちのみ。
私がいままで自己啓発本や能力開発本を読んできたのと重なるところを列挙すると、
「本を読むとき目に入っているのはせいぜい1語。それを順に追いかけているにすぎない。その一語以外は視野にも入っていない。ページ全体が見えているように思うのは、脳が超高速で視覚画像をつなぎ合わせているから」…これだと速読法の根拠がひっくり返る。速読では、「ページ全体を写真を撮るように」頭に送り込む、としていた。
無意識の力の利用も同様。脳がそのことを考えていないときも無意識のレベルで、PCのバックグラウンド処理のように答えを探すわけではない。しばらく休んだあとに答えが見つかりやすいのはそのような理由ではない。もし、無意識が答えを運んでくれるのなら、難問が解ける割合は休憩の後に上がるはずだがそうなっていない。
同様に直感の正しさ、も単に過去の情報から目の前の事象と類似したものを拾い上げる能力が優れているだけ、ということになる。ユングのいう、広大な無意識や人類共通の記憶など幻想、ということになる。
それを一読しただけ受け入れられるかというと…今まで信じてきたものが崩された、ということ、なかなか受け入れられない。しかし…この本をもとに自分の思考を再構成すること、時間がかかっても必要なように思える。
心についての誤解
本書は、私たちが自分の心について知っていると思っていたことのほぼ全てが誤りであったことを見ていくことができる。多少読みづらさはあるが人間の心理に興味がある方は是非買ってみて欲しい。