【感想・ネタバレ】民族と文明で読み解く大アジア史のレビュー

あらすじ

国際情勢を深層から動かしてきた「民族」と「文明」、その歴史からどんな未来が予測可能か?
ロシアの征服欲、中国の横暴、朝鮮半島の不穏。
力と力がせめぎ合う中で、世界史のベストセラー著者が、日本の生きる道を見出す!

中国とインドの台頭は、多くのビジネスパーソンにとってアジアの歴史や文化に関する基本的な知識を必須の教養にしている。とはいえ、これまで私たちが学校などで教えられてきたアジア史の多くは「中華帝国」とその周辺の「衛星諸国」との関係史だった。しかし、考古学や遺伝子学も含めた近年の学術研究の進歩は、このような画一的な史観に対して再考を求めている。
本書は最新の研究成果を幅広く引用しながら、日本人の源流、中国の歴史的野心、中国・韓国の歴史論争、中国・インドの文明闘争、ギリシアの東方遠征など、さまざまな視点から「大アジア」の歴史と文明を描き出す。「民族」と「文明」でアジア史を読み解くことで、これからも問題となり続ける日中、日韓、中韓、中台の複雑な対立関係の深層がクリアに見えてくる。

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Posted by ブクログ

思ったよりうんと保守的立場からの論考でしたが、そうした立場とは関係なくすごくいい復習になりました。ツングース系とかアーリア人とか、世界史得意でもよくわからないままにしてたことあるよね。

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2025年05月03日

Posted by ブクログ

アジアとは何か。その問いに明確な答えを持つ人は少ない。広大な大陸に点在する民族は言葉も宗教も異なり、時に争い、時に交わって文明を育んできた。――古代のシルクロードが東西を結びイスラムが知の灯をともした。だが西欧列強の波が押し寄せるとアジアは分断され劣等と見なされた。いま再びこの地は目覚めつつある。多様な民族が共有する「調和」の精神を軸に新たな文明の形を模索している。分断の記憶を超え共生の未来を描く羅針盤となろう著作である。

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2025年10月10日

Posted by ブクログ

今年(2024)のGWの大掃除で発掘された本のレビューは大方終わりましたが、その前に娘夫婦が宿泊した時に大慌てでスースケースにしまい込んだ本があり、それらの本のレビュー書きを終了させたく思っています。

記録によれば、日本ではコロナ緊急体制が出された2年程前(2022.7)に読み終えた本です。宇山氏の歴史に関する本はこれで6冊目となりますが、レビューを書きながら中身を振り返りたく思います。

以下は気になったポイントです。

・中国の統一王朝で漢字を使う漢民族が作った王朝は9つある中で、秦、漢、晋、明の四つしかない。秦と晋は短命政権なので、わずか漢と明だけが実質的な漢民族の統一政権である(p17)瑞や唐を作ったのは漢民族ではないので中華帝国ではない、隋の建国者・楊氏も、唐の建国者・李氏も鮮卑民族というモンゴル人の出身である(p18)

・中国では黄河文明とともに長江文明も栄えており稲作も盛んであった遺跡が多く見つかっているが、教科書などにはほとんど扱われていない。理由は、黄河文明を擁した漢民族こそが中国唯一の文明の発現者であるという定型的な中華思想があるから(p27)元々甲賀流域と長江流域とでは、言語や文化の異なる民族が住んでいた、黄河には、シナ・チベット語派の漢民族、長江流域には中国語と関係がないオースロアジア語派(東南アジアのインドネシア半島系)が住んでいた。(p29)黄河文明では甲骨文字、長江文明では、紀元前4世紀、秦に征服されるまで巴燭文字が使われていた(p31)

・長江文明の民が黄河文明に追われ、南西の貴州省や雲南省に逃れて苗族となったとされるが、苗族の子孫の村が日本の古代の村と似ており、急勾配の山地に棚田を作ったり、醤油や味噌の発酵食品を食べることも日本人と共通している(p33)

・GDPの推計(OECDやマディソンによる)では、1820年中国のGDPのシェアはトップであり、欧州全部を合わせても及ばない、当時の清王朝が世界経済において巨大であった、しかし、1820年を境に中国は急激な衰退に向かっている、欧州が覇権を握り、世界を支配していった(p47)

・中国の市場では、イギリスが機械で大量生産した綿製品よりも、中国人が手で織った綿製品の方が安かったので、アヘン戦争でかったイギリスの綿製品は中国では売れなかった。このような状況はインドでもそのまま当てはまった。日本の場合は19世紀の労働コストは中国よりも高く明治維新後は一気に各産業で機械化が進む。中国は商品作物(茶、砂糖、タバコ、桑)の生産が盛んで、大きな利益を上げていたので土地の痩せたイギリスなどとは異なり、あえて工業化する必然性はなかった。(p51)

・イギリスはインドに進出することで画期的な商品(キャラコと呼ばれるインド産の綿製品)に出会った、軽くて丈夫、通気性良いくシャツにも製品化しやすかった。綿花を栽培できない欧州では毛織物が主流、重くて嵩張り加工が困難であった。綿製品が決定的に違うのは、水洗いできること、欧州人は水洗いできない不潔なウール衣料を着ていたので、病原菌に侵されやすく、乳幼児の死亡率が高かった、清潔な綿製品導入により乳児死亡率が劇的に改善される(p52)

・経済学者・シュンペーターによると、経済成長には、1)資本の蓄積、2)技術革新(イノベーション)、3)人口増大、の三つの要件が必要である。イギリスはこの3つの要件が全て揃っていた。中国には技術革新の要件を欠いていた(p54)

・日本人はモンゴロイド系人種の種々雑多な混合民族で形成されていて彼らがやってきたルートは四つ、1)琉球諸島経由(マレー系南方系海洋民)の沖縄ルート、2)東シナ海経由(中国長江流域民)の九州ルート、3)朝鮮半島から対馬経由(黄河流域民)する対馬ルート、4)サハリン経由(北方遊牧民)の北海道ルートである(p58)

・日本語は朝鮮半島の南西部に建国された、ツングース系の古代国家の百済で使われていた言語に共通性があったという指摘がある、古代において日本は任那日本府を中心に朝鮮半島南西部を統治しており、百済と日本は密接な関係であった(p69)

・朝鮮は歴史的に独立した国家ではなく、中国の属国であった、そのため朝鮮の王は「陛下」ではなく一段格下の「殿下」で呼ばれていた。中国皇帝の配下である朝鮮王は「陛下」と呼ばれる一国の主権者でなかった、その世継ぎも「太子」ではなく、一段格下の「世子」と呼ばれる。朝鮮王には「万歳」は使われない、万歳は中国皇帝のみに使われるもので、朝鮮王には「千歳」が使われた、これは「華夷秩序」と呼ばれる(p75)

・日本書紀によると初代天皇の神武天皇の即位日が、紀元前660年(辛酉(しんゆう):天変地異が起きやすく改元されることもある年)1月1日とされ、それをグレゴリオ暦に換算すると「2月11日」になる(p78)古代日本が1年を2年とする年数を使用していた(春に耕し、秋に収穫したことを計算して年紀となす)を想定し、計算をやり直すと、推古天皇以降の歴代天皇の生没年は実年を当てているとされているので、そこから遡って春秋歴を実年で計算すると、神武天皇の即位は「紀元前36年」となる(p79)

・唐は百済討伐のために、13万もの大軍を朝鮮半島に覇権した、新羅軍は5万で合計18万の連合軍に日本はなぜ挑もうとしたのか、日本は4万7000の軍を送ったが勝てる公算はほとんどない。当時の孝明天皇(中大兄皇子:後の天智天皇の母)自らが出陣している、天皇が自ら外政に乗り出すというのは、日本史上、この一件しかない。(p89)

・1609年薩摩藩は、江戸幕府の許可を得て、琉球に侵攻し、尚寧王を捕え、江戸に連行した。秀忠は琉球王の地位存続を認める代わりに、琉球を薩摩に藩属させた(p99)1872年、明治政府は琉球を薩摩藩の支配から切り離し、政府管轄として琉球藩とした。この時、外国との直接交渉は禁止され、琉球の尚泰王は藩知事となる、琉球王は君主としての立場を失い、王室の一族は華族となる。1871年に廃藩置県を実行しているので、政府は琉球藩を廃して沖縄県にしようとしたが、琉球の宗主権を主張する清王朝が抵抗した(p101)1879年に沖縄の廃藩置県(いわゆる琉球処分)が実行されて、琉球藩は正式に沖縄県となり完全に日本の領土に組み込まれ、歴史的に続いた中国との良俗状態が解消される(p101)

・中国の支配が及ぶべきでない独立文明圏は、南モンゴル(内モンゴル自治区)、雲南、新疆ウイグル、チベット自治区などがある(p175)

・北モンゴルはロシア帝政派とソビエト政権の代理戦争となり最終的には共産主義者が勝利、北モンゴルは1924年、世界史上2番目の社会主義国としてモンゴル人民共和国となった。民族の英雄チンギス・ハンの名を名乗ることも許されなかった、1991年ソ連が解体されると、モンゴルは社会主義を放棄し、1992年「モンゴル国」と改称した(p187)

・14世紀には、イル・ハン国などのモンゴル人の後継政権であるティムール帝国がイスラム教国家として建国される。建国者ティムールは、その出自に説いて、トルコ人やモンゴル人の血が混ざっているが、チンギス・ハンの後継者を自称し、モンゴルを支持基盤として台頭した、首都をシルクロードの要衝、サマルカンドに置き、東西交易とともに発展した(’p123)sその後、3国に分裂、この3国を総称して「ウズベク3ハン国」と呼ぶ、トルコ系のこの国は強大な力を持ち、イスラム世界の盟主であったオスマン帝国、イランのサファヴィー朝にも屈しなかったが、19世紀後半にロシアには征服されてロシア支配がソ連商会まで続く(p124)

・中国の不当支配をウイグル人は被っているが、中央アジア諸国は同胞のウイグル人を助けようとしない、中央アジア5カ国のうち、新疆に接するのは、カザフスタン・キルギス・タジキスタンの3カ国だが、これらの国は中国から経済支援を受けている。1996年、中国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタンの5カ国による、上海協力機構を結成し、中国からの経済支援を引き換えに、ウイグル人分離独立運動に介入しないと約束している(p231)

・アフガニスタンは、中国文化圏、インド文化圏、中東文化圏、中央アジア文化圏の結節点にあり、古来「文明の十字路」として要衝の地であった。シルクロードが横断するアフガニスタンを征することは東西交易を征することと同じであり、多様な勢力がアフガニスタンをめぐり争奪戦を続けてきた。イギリス、ソ連、アメリカが侵攻したが失敗している(p242)

2022年7月25日読破
2024年8月2日作成

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2024年08月02日

Posted by ブクログ

遺伝子と言語を主とした文明、文化の系統から、アジア史を説く。
幅広過ぎて殆ど読み飛ばしだが、面白かった。
露国もC国もろくな事せんし、K国お疲れ様という感じ。

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2022年11月11日

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