あらすじ
古代ギリシャの演説の技術、弁論術をめぐり、ソクラテスがゴルギアスら3人と交わした対話篇。人びとを説得し、自分の思い通りに従わせることができるという弁論術の正体をあきらかにすべく、ソクラテスは弁論術教師のゴルギアスと弟子ポロス、アテネの若き政治家カリクレスを相手に厳しい言葉で問い詰め、論駁する。理想政治を追い求めるプラトンが、この時代の社会と政治の現実に対して投げかけた、告発と批判の書。
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Posted by ブクログ
「プラトン怒りの対話篇」などと帯のあおりがついていたが、確かにきびしく論破していくという姿勢が目立つ対話篇。けど前に読んだプロタゴラスよりもはっきり潔く論破に振り切った今作のほうが、かえって読んでいて嫌味に感じなかった。
言論が非常に力を持った古代ギリシアで生まれた「弁論術」なるものはいったいなんなのか、そして人間の生において善と悪とはなんなのかを巡ってゴルギアスやその弟子たちと対峙するソクラテス。三人目の政治家カリクレスは特にホップズの言うような「自然状態」が善で、力を持つものがすべてを支配し欲望のままに生きるのが当然だと開き直って論破されまいとするのだが、快楽と善との違いを指摘することから始まるソクラテスの丁寧な議論の前に敗北してしまう。
刑罰の意義や快楽に良い・悪いを認めるかという点など「プロタゴラス」と矛盾する点もあるけど、プラトンの考え方の発展を意味するのか、ソクラテスが相手に合わせて持ちネタを変えている設定なのかはよく分からない。
魂の善と悪についての議論を補強するためなのか、最後に死後の審判の神話が長々と語られているあたり、当時は欲望のままに生きる価値観のほうがよほど説得力があったのだろうか。まあ、ギリシア悲劇もそんな感じの話が多いしな…。いい年して哲学なんかやってるんじゃない、と途中でソクラテスが説教されていたりもするし、「善い生き方」は思春期で卒業するべき幻想だったということか。その幻想を全力で擁護する話なのだとすると、思ったより熱い話なのかもしれない。