あらすじ
「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者が目にした、崩壊する大新聞の中枢
登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション
地方支局から本社政治部に異動した日、政治部長が言った言葉は「権力と付き合え」だった。
経世会、宏池会と清和会の自民党内覇権争い、政権交代などを通して永田町と政治家の裏側を目の当たりにする。
東日本大震災と原発事故で、「新聞報道の限界」をつくづく思い知らされた。
2014年、朝日新聞を次々と大トラブルが襲う。
「慰安婦報道取り消し」が炎上し、福島原発事故の吉田調書を入手・公開したスクープが大バッシングを浴びる。
そして「池上コラム掲載拒否」騒動が勃発。
ネット世論に加え、時の安倍政権も「朝日新聞バッシング」に加担し、とどめを刺された。
著者は「吉田調書報道」の担当デスクとして、スクープの栄誉から「捏造の当事者」にまっさかさまに転落する。
吉田調書報道は、けっして捏造などではなかった。
しかし会社は「記事取り消し」を決め、捏造だとするバッシングをむしろ追認してしまう。
そして、待っていたのは「現場の記者の処分」。
このときに「朝日新聞は死んだ」と、著者は書く。
戦後、日本の政治報道やオピニオンを先導し続けてきた朝日新聞政治部。
その最後の栄光と滅びゆく日々が、登場人物すべて実名で生々しく描かれる。
【目次】(抜粋)
◆第一章 新聞記者とは?
記者人生を決める「サツ回り」
刑事ドラマ好きの県警本部長
◆第二章 政治部で見た権力の裏側
政治記者は「権力者と付き合え」
清和会のコンプレックス
小渕恵三首相の「沈黙の10秒」
古賀誠の番記者掌握術
朝日新聞政治部の「両雄」
◆第三章 調査報道への挑戦
虚偽メモ事件
社会部とは違う「調査報道」を生み出せ!
社会部出身デスクとの対立
◆第四章 政権交代と東日本大震災
内閣官房長官の絶大な権力
小沢一郎はなぜ総理になれなかったのか
原発事故が突きつけた政治部の限界
◆第五章 躍進する特別報道部
福島原発の「被曝隠し」
「手抜き除染」報道と特別報道部の全盛期
◆第六章「吉田調書」で間違えたこと
吉田調書取材班の結成
吉田調書報道の「小さなほころび」
危機管理の失敗
動き始めた安倍政権
「池上コラム問題」はなぜ起きたのか
衝撃の木村社長会見
◆第七章 終わりのはじまり
バッシングの嵐と記者処分
ツイッター騒動と「言論弾圧」
東京五輪スポンサー
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Posted by ブクログ
朝日新聞って、なんか昔と変わったな、と思っていました。
これを読めば理由がわかる気がします。
吉田調書を明るみにし、その結果、朝日新聞を去ることになってしまった、宮崎知己記者、木村英昭記者には是非とも活躍してほしい。これからお二人が書いた本を読もうと思います。
まずは、
「福島原発事故東電テレビ会議49時間の記録」
から。
また、鮫島浩さんにも大手ではなかなかできない仕事で更なる活躍を期待しています。
Posted by ブクログ
著者の鮫島さんは元朝日新聞記者。
福島原発事故当時、第一原子力発電所所長だった吉田氏が、事故直後に所員に現場に留まるよう命じたことに対し、所員の9割が第一原発を離れて第二原発へ退避してしまい、現場ですぐに事故対応にあたることができなかったことがあった事実を知り(東電は隠していた)、もしものことがあった場合の対処方法が出来ていないことへの警鐘を鳴らす意味で、スクープ報道を決める。
社内外での反響が大きく、その少し前にスクープし新聞協会賞を受けた「手抜き除染」報道に引き続く快挙と思われたが、「待機命令を知らずに退避したのを命令違反と言えるのか」と言うコメントがネットに出だすにつれ、「現場を離れた所員たちの個人的責任を追及することが報道目的ではなく、過酷事故の混乱下ではそうした事態が当然起こりうる現実を直視し、その時に誰が対処するのかをあらかじめ明確にしておくべきだ」と言う説明文を載せるべきだと考え、上部に提案する。しかしせっかくのスクープをトーンダウンする必要は無いと、当時の木村社長と、それに同調する役員から一蹴される。
その後、朝日新聞が慰安婦報道問題についての報道を取り消ししたことに対し、定期的に掲載していた池上さんのコラム「新聞ななめ読み」で、池上さんが遅すぎると批判した原稿に対し、木村社長が激怒しコラムの一部を書き換えて掲載すると言う問題が発覚、その謝罪をすることになるが、朝日新聞は反対世論の的となってしまう。
そして更なる追及をかわすためか、反対意見が多くなっていた福島原発問題の報道は誤報だと謝罪するに至る。
責任は現場に転嫁され、鮫島さんの元で情報を集めスクープとした2人の記者は退職し、徹底的に干された鮫島さんも退職した。
読んでいて、朝日新聞社上層部のことなかれ主義、覆い尽くす忖度する雰囲気が垣間見られた。
いや、これはどこの一流企業も同じなのかもしれない。
きっと著者のように社内で浮いた人は、叩かれるのだろうな。
安倍政権でジャーナリズムの劣化が進んだと感じるが、「言論の自由という価値にどれだけ重きを置くのかが問われる大切な問題で、社員個人に多少の言論の自由を許さないようでは、国家権力が国民の言論の自由を抑圧してきた時に「おかしい」と声をあげることができるだろうか?」とあるように、まさに今新聞社には真実の報道に徹して欲しいものだ。
朝日新聞の長年の講読者である私も、このまま継続することに対して躊躇してしまう。
近年の「日曜に想う」に寄稿しているのは、曽我豪編集委員だが、洞察に優れた視点と巧みな言葉の選択にはいつも感嘆している。しかし彼も所詮社内権力の流れに従う人だったのかと思うと残念だ。
Posted by ブクログ
吉田調書事件で報道界全体は国家権力の犬になり下がった。2014年9月11日は新聞が死んだ日である。
この本は吉田調書スクープの当事者である鮫島浩氏が朝日新聞の凋落を克明に書いた本である。
Posted by ブクログ
いやはや小説より面白く、読み進めるほどにのめり込んだ。
半ばまでは言い訳めいてるなあと感じていたが彼が闘っている朝日新聞という会社の正体を知るにつれ、鮫島頑張れとなった。
吉田調書、慰安婦、池上コラムのことをあらためて学習し、調査報道つぶしやオリンピック推進の内実を読まされると朝日新聞への期待も吹き飛んだ。
やってる感を強調したりアリバイ作りをしたりする会社だから五輪中止の社説にも信をおけず斜めから読んだが、根本清樹さんごめんなさい。
鮫島タイムス読みます。朝日新聞はやめるかどうか考えます。
Posted by ブクログ
読んでよかった.
そして,こうやってメディアは自壊する,と言う過程を知り,絶望的な気分になる.
今までにも新聞記者さんの本は読んで来たが,どちらかと言うと権力がいかにメディアを殺すか,に視点が置かれていて,そこにはまだ権力の監視機構としての気概はありつつ「権力と対峙しつつも薙ぎ倒されていく」絶望があったが,これは「学ばす,闘わず,腐り落ちる」メディアの姿を見せつけられた出口のない絶望感を感じずにいられない一冊だった.
そして,記者さんのこういった作品にありがちな「自叙伝的なお手盛り作品」とは対極にある「1人のジャーナリストのファインダーを通したメディア崩壊の現実」が臨場感満点に描かれていて,これこそ読みたかった作品だった!
Posted by ブクログ
記事としての「吉田調書」に対する評価はともかく、大新聞社や時代への評価、記録として非常に面白く読める。現段階での新聞メディアの役割を批判的に、生々しく総括した価値は高い。
Posted by ブクログ
おもしろかった。何かストーリーが面白かったとか、著者に魅力を感じたとかではないのだが、自分の知らない世界である新聞社の内側をすこし垣間見ることができたところにノンフィクションとしての面白さを感じた。
吉田調書については、正直それほどよくわかっていなかったので、朝日新聞でこのような動きがあったことには単純に驚いた。こうした組織の危機管理の在り方は本質的にはどこの組織にも起こり得ることなのかもしれない。新聞は部数が減ったといわれるようになって久しいが、身近な情報媒体であることには変わりない。そんな身近な新聞の中身を作っている人たちの話はやはり興味深い。
Posted by ブクログ
愚かな新聞社、愚かな経営陣だなぁというのが率直な感想です。
たぶん、この本には本当の事が書かれているんだと思います。危機管理、危機対応がまるでなってない組織って感じです。
東日本大震災での「吉田調書」事件については、理解が深まりましたよ^_^
Posted by ブクログ
吉田調書報道に翻弄された元朝日新聞デスクによる新聞ジャーナリズムの実像を詳細に描いた渾身の1冊。
巨大メディア組織内において、何が行われ、どのように意思決定され、記事として世の中に報道されるのか、その実情を、筆者が体験してきた出来事に基づき、実名を挙げて生々しく記されている。新聞報道の構造的限界を変えようと奮闘した筆者達の足跡をリアルに感じさせてくれる。
新聞報道に対するリテラシーを高める必要性を改めて考えさせられる。
Posted by ブクログ
福島原発の事故についての吉田調書に関する朝日新聞の記事が誤報とされた件についての担当記者による反論と内部告発の本である。
読みながら感じたのは、もう何が真実なのか分からないというこどだ。新聞社が誤報だったと謝罪したからと言って、それは圧力に屈して言わされていただけなのかも知れない。また、著者のチームが入手した吉田調書だって本物かどうかもわからないではないか。吉田所長はもう亡くなっているのだから。
本書が面白く、読みやすく書かれているから尚更、作者の企みに絡め取られそうで怖かった。しかし、朝日新聞社が正しい報道をする事よりも、社内の出世競争への忖度や、色々な圧力に屈する事を選んだ事への怒りは本物だと感じた。
Posted by ブクログ
【313冊目】原発事故時、福島第一原発から東電職員が所長命令に反して退避したことを報じたいわゆる「吉田調書」問題の責任を問われ、左遷された末に辞めた元朝日新聞記者による回顧録。
確かに2014年あたりは朝日新聞あたりがゴタゴタしてるな〜とは思っていたし、世間ではそれなりに騒いでいたと思うけど、当時の自分はほとんど関心なかった笑。「え!?慰安婦報道って嘘なの!?やばいじゃん。今までのはなんだったの?」ぐらいは思った記憶。ちなみに、これは「吉田証言」問題らしく、筆者がお辞めになるきっかけとなった「吉田調書」問題とは別らしい…そりゃぼーっと生きてたら訳分からんとなるわ笑
さらに、「池上コラム」問題というのと3つ合わせて、2014年以降の朝日新聞の凋落のきっかけと言われているらしい。池上彰さんが朝日新聞のコラムで吉田証言にかかわる過去の記事の取消しは遅すぎたと批判するコラムを載せようとしたら、朝日新聞社長が激怒してコラム掲載拒否した問題。これは朝日社内からも相当の批判があったらしく、確かに自分の知っている記者もこのときをきっかけに会社に対する不信感が芽生えたとかおっしゃってたな〜
いずれにしろ、この回顧録は一連の騒動(読むまでほとんど知らなかったくせに、「一連の」とか言っちゃいますが汗)について良い勉強&復習になる。さすが記者さんだけあって、文章も読みやすく、表題の重々しさは良い意味で裏切られてサクサク読めた。ただ、当事者のひとりの視点から書いてあるだけなので、騒動について、本書だけをもとに評価を下すのは拙速だろうし、筆者の望むところでもないでしょう。
本書は、筆者が「吉田調書」問題で転落していくのが後半の白眉なら、前半は書面どおり政治部記者が何を考え、どんな仕事をしているのか知れるのが面白い。
政局は政治部、政策は経済部(だから政局報道が一定量存在し続けるのね〜)という区分け。
ある時期まで朝日新聞社長は、政治部出身者と経済部のたすきがけだった(社内の力関係が分かるな〜)。
政治部記者は、担当の政治家に食い込む働き方をするから、時に政治家の擁護者になってしまったり、あるいは政治家の情報戦に利用されてしまうこと。
その他、政治部記者時代に筆者が見た政治家の横顔も書いてある(竹中平蔵、菅直人、古賀誠…)けど、悪口と評価が上手くまざった、読みやすい文章でした笑
Posted by ブクログ
政治家と新聞記者との関係が面白かった。このような関係性が、現在は失われていることが残念だ。
新聞は使命を果たしたと考えられるが、新聞記者のような個人が独自に取材をして、あらゆるメディアを通じて発表する場ができるだろうと思うし、その願っている。
Posted by ブクログ
朝日新聞の内部告発本ではあるがその時々の政治家とマスコミの駆け引きが赤裸々に語られ、鮫島氏の視点ということを割り引いても面白かった。そして政治家によって報道が規制されていく様子に危機感を持った。
朝日新聞もやっぱりお前もかという状態。自分の出世と事なかれ主義体質、鮫島氏も辞めなければ本に出来なかったわけで、辞める経緯は腹立たしいけれど辞められて良かったです。
Posted by ブクログ
去年が毎日新聞150周年、日本に新聞制度が生まれた年ってことになっていて、本書の舞台の朝日新聞も1879年創刊だから140年以上の歴史を持っています。同じ頃生まれたのが鉄道だったり学校制度だったり郵便制度だったりするのを横目で見ると新聞って近代社会のインフラだったのでしょう。でも今、改めての新聞ってなに?って問いへの答えは実は新聞経営者も新聞記者も持っていないのではないか…思っています。本書は朝日新聞「吉田調書」問題の当事者の赤裸々な回顧録として生々しい記録です。生々しさと同時に感じる鼻につく匂いもあります。その発生源は、冒頭で著者が妻に指摘される「傲慢罪」というキーワードにあるように思われます。権力に対抗し、同時に権力に取り込まれることから生まれる傲慢、それがこの本の奥底にずっと流れている裏テーマなのではないでしょうか?それは著者だけのものでなく朝日新聞という会社のものでもあり、それ以上に「社会の公器」を自認する新聞という存在の発する権力のものかもしれません。全体で序章、終章除いて七章建てですが、それぞれの章の扉の裏に小さく記載されている新聞の発行部数が、この本の影の主人公だと思いました。1994年朝日新聞822万3523部、前年比-9872部、1999年朝日新聞829万4751部、前年比-2万3104部、2005年朝日新聞818万5581部、前年比-6万9335部、2008年朝日新聞803万8100部、前年比-2万2489部、2015年朝日新聞675万3912部、前年比-51万3414部、2021年朝日新聞466万3183部、前年比-39万1536部…この衰退は朝日新聞だけではなく新聞というメディア全体の一直線の下り道なのであるのです。たぶん構造的に新聞の「傲慢」が端的に現れているのが朝日新聞なのでしょう。そして朝日の「傲慢」の発生源が本書に生々しく描かれている社内の権力闘争に由来することが詳細に描かれています。これをもって朝日叩きの材料とする人もいるでしょうが、政治部という権力と密着することによって存在しているシステムの根本問題がある限り、この問題は解決できないかも、と思ってしまいました。ロシアのウクライナ侵攻でも露になりましたがタス通信や新華社通信のような国策報道一社ではなく、報道機関が複数存在している国の幸せを感じていますが、それはそれで危機なのだと思います。折しも外務省機密文書問題の元毎日新聞記者、西山太吉が亡くなりました。記事を書かずに国を動かした読売新聞主筆、渡辺恒雄の鏡面対称の存在だと思っています。彼らを含めたすべての新聞記者の本書についての批評を聞きたいと思います。
Posted by ブクログ
書店で気になって、本屋大賞ノンフノミネートってことで読んでみることに。巨大組織に潰される個人のリアルレポートが恐ろしい。これは、まんま日本という国家に当てはめてもあながち間違いじゃない怖さ。政権の腐敗に合わせ、マスコミの矜持を失っていくさまがありありと浮かぶ。
Posted by ブクログ
朝日新聞政治部
著者:鮫島浩
発行:2022年5月25日
講談社
タイトルは地味だけど、無茶苦茶おもしろかった。
「吉田調書」とは、福島第一原発の事故直後、最前線で危機対応した吉田昌郎所長が、政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた内容記録。政府は極秘文書として公開せず、隠し続けた。これを入手した朝日新聞は、2014年5月にスクープ報道し、大きな衝撃を与えた。しかし、同年9月、木村伊量(ただかず)社長は記者会見し、その記事の一部を取り消した。この記事のデスク(次長職)と吉田調書を入手した2人の記者(年上の部下になる)は、「捏造記者」として激しくバッシングされ、どういう理由かは不明だが個人情報がネットに晒され、家族も含めて考えられないような個人攻撃を受け続けた。
「吉田調書」は、どう読んだって「捏造」であるわけがない。後に他紙も入手し、政府が公開した内容そのものであり、どうして「捏造」と言われるのかは全く理解できない。吉田所長が「すぐに現場に戻れるように待機」を所員に命令していたにもかかわらず、約9割が福島第二原発に退避していたことが判明したが、それを「命令違反」と報じたことが朝日新聞の間違いだった。いや、間違いではなかったかもしれないが、中には知らなかった所員もいる可能性があり、最初からそう言い切るのは不適切であることは間違いない。
では、どうして「捏造」といわんばかりの詫びようで取り消してしまったのか。当事者がその真相を明かしているのがこの1冊。そこには、同じ年にやはり記事取り消しを行った「慰安婦」問題が重厚に絡み、ネット時代における発行部数の低迷が関わっていた。
この本は、それを話の核にはしているが、筆者が大学を出てから記者として経験した様々なことが織り交ぜられていて、無茶苦茶おもしろい。自伝的ノンフィクションは大げさな面や正直でない面があるかもしれないことを割り引いて考えても、とても面白い本だった。それにしてもタイトルが地味すぎる。内容的には合致しているが、もっと別のタイトルにすればもっと売れるのにと思う。
「吉田調書」事件の経緯と真相を先に記すと・・・
2012年6月、ライバル吉田慎一(後のテレ朝社長)に勝ち木村伊量(ただかず)が社長に就任。
2014年5月14日、「吉田調書」第一報。
2014年9月11日夜、木村社長の緊急記者会見。「吉田調書」を「間違った記事だと判断」し、「『命令違反で撤退』の表現を取り消」した。
2014年11月、木村社長辞任
著者は「吉田調書」報道でのデスクであり、記事そのものには自信があったが、「命令違反で撤退」の見出しや表現については当初から修正の必要性を感じていた。中には命令を知らずに第二原発に避難した社員もいるのではないか、と。著者らは修正記事を提案していたが、3年連続の新聞協会賞を狙う木村社長が少し先延ばしにした。正しい報道より受賞の栄誉を優先した。しかし、協会賞の申請を行ったが、「吉田調書」を入手できない他のマスコミから関心を持たれずに、早々と候補から消えた。
前々から指摘されていた「慰安婦」報道の「吉田証言(吉田清治氏証言)」について、前任の秋山社長が先延ばしにしていたものを、木村社長が自分で決着をつけるとしていた。木村氏は金丸信に深く食い込んでいた記者で、今も安倍総理と連絡が取れると言っていた。2014年8月5日、朝日新聞は特集記事「慰安婦問題を考える」で吉田証言を虚偽と判断し、それを取り上げた16本の記事を取り消した。これを機に朝日バッシングが吹き荒れる。
政府は「吉田調書」を公開するつもりはないとしていたが、他社にリークして朝日批判を展開した。そして、朝日の報道のどこが間違っていたかを説明して回った。8月18日、まずは産経が「吉田調書」入手(恐らく政府がリーク)を報道し、朝日の報道を批判。朝日新聞包囲網が始まった。そして8月25日に菅官房長官が「吉田調書」を9月に公開すると方針転換を発表した。
8月29日朝刊に掲載予定の「池上彰の新聞ななめ読み」が掲載拒否される。内容が「慰安婦(吉田証言)」への朝日の対応が遅きに失したというものだったため、木村社長が拒否。
2014年9月11日、木村社長は緊急記者会見して「吉田調書」記事の一部を取り消す。「吉田調書」「慰安婦(吉田証言)」「池上コラム」の3点セットでバッシングされるなか、「吉田調書」をフィーチャーして他の2点から目を逸らさせ、難を逃れようとの狙いだった。
発行部数減に悩む朝日新聞は、テレビ朝日との連携を強めて打開しようとしたが、ちょうどテレ朝は初めて生え抜きである早河洋氏が社長になり、独自色を強めていた。また、早河氏は安倍や管と密接な関係を築いていた。朝日を嫌う安倍政権は、テレビ朝日との連携強化を阻止したかった。2013年夏の参院選で圧勝したものの、盤石ではなく、NHKに続いて民放各社や新聞各社の「メディア支配」に力を入れ始めた。木村社長を辞任に追い込んで、早河社長のテレ朝との蜜月関係を保ちたかったのだろう。木村社長が辞任した翌年2015年春、報道ステーションは長年受け継がれてきた朝日新聞記者によるコメンテーター指定席をなくした。
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筆者は朝日新聞の内定を断り、新日鉄への就職を決意したが、鉄鋼マンにとしての自分が想像できなかったため辞めて、断った会社にもう一度問い合わせてみたら、唯一OKしてくれたのが朝日新聞だった。
警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。それに怯えて記者たちは従順になる。
朝日新聞の星浩編集委員らは、小渕氏に近く、政敵である加藤紘一が起こした加藤の乱には肩入れしなかった。
1999年春、筆者は27歳で政治部へ。政治部長の若宮啓文(父親は鳩山一郎内閣の総理秘書官)には、「せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」と言われた。
福田康夫内閣で官房長官になった町村信孝を取材した時、「私は自民党の同期で政務官になったのが一番遅かった。私が清和会だからです。日本の政治はずっと経世会が牛耳ってきた。経世会は最初に宏池会に相談する。その次に社会党に根回しする。社会党がNHKと朝日新聞にリークする。我々清和会はその報道を見て初めて何が起きているかを知ったのです」
小渕総理の「総理番」でいろいろ学んだ。官邸と官邸記者クラブとの「癒着」も。官房機密費の使い方には驚きで、さすがに記者に現金は配られないが、政務担当の総理秘書官は連夜、総理番を集め高級店で会食していた。
外務省の担当時、局長や課長らを昼や夜の会食に誘い、情報を聞き出すのがメインの仕事。政治記者が誘う場合はほぼ100%、記者側が費用負担。会社の経費でも落ちず、ほとんど自腹。
小泉政権時、政治部記者として竹中大臣の番となった。彼は政治家ではなかったため、麻生に負け続けた。著者はいろいろ情報提供して竹中と親しくなった。経済部の記者が事務次官や官僚らをいくら回ってもつかめなかった情報を、竹中から引き出して特ダネを連発した。
古賀誠元幹事長付きになった時、家の前で待っても見向きもしてくれなかったが、厄介なのは、月に1、2度、上機嫌で帰ってきてその場に居合わせた番記者だけを引き連れて近くのラーメン屋に行き、政界の裏事情を怒濤のごとく話した。また、週末に地元に帰るが、同行してもカラオケで唄うばかりでなにも言わない。最終の飛行機で記者たちが引き揚げ始める。泊まり覚悟の記者だけが残ると、そこから話し始める。
2005年8月21日の記事、長野総局の記者が田中知事を取材していないのに取材したように装った「虚偽の取材メモ」を作成し、政治部がそれをもとに記事を作成して出稿した。大事件となり、秋山社長は政治部、経済部、社会部などから記者を集めて調査報道に専従させる「特別報道チーム」を新設した。この新組織が、後の「吉田調書」報道へとつながっていく。
「特別報道チーム」の記者はどこの記者クラブにも属さず、ゼロからはじめる。著者たちが注目したのは、トリノ五輪を前にフィギュアの代表選考に疑惑が向けられている件だった。そちらは広がらなかったが、取材する中で、スケート連盟の不透明支出が浮かび、特ダネをものにした。2006年10月には元会長らが背任容疑で逮捕される事件に発展した。
1999年以降、現職総理と他をしのぐ関係を築いた朝日の記者は3人。小渕恵三と星浩、麻生太郎と曽我豪(たけし)、そして菅直人と著者。
自民党政治の限界を痛感し、民主党への政権交代に目が向くと、先取りして星浩や曽我豪は民主党への取材に手を伸ばした。しかし、筆者は民主党が見向きもされていなかった10年前から人脈を耕していた。「自民党こそ政治取材」と信じていたマスコミの諸先輩たちは、民主党政権に厳しい論調を浴びせ、民主党崩壊後に安倍総理が繰り返した「悪夢の民主党政権」のイメージづくりに加担した背景には、二度と政権交代は起こしたくないという各社政治部の先輩諸氏の警戒感があったから。
原発事故直後、なにも情報がない状態。京大の後輩でもある細野豪志首相補佐官に何度も電話したがかかりなおしてこなかった。うたた寝をしているとついにかかってきて、「事態はかなり深刻です。ご家族だけでも避難されたほうがよい状況です」
2012年7月21日、特報チームにいた著者は「被爆隠し」のスクープ。福島第一原発で働く下請け業者の作業員は常に線量計を身につけ、年間50ミリシーベルトを超えると働けないと判断された。下請け業者は働き手を失うと痛いため、線量計を鉛のカバーで覆って数値が上がらないようにしていたことを突き止めた。新聞協会賞を受賞。
「吉田調書」を入手し、スクープに向けて準備中、国家権力が嗅ぎつけてパソコンやスマホに侵入してくることに備え、架空のネタ元が使う架空のメールアドレスを用意し、会社が著者に用意しているメールアドレスから「先日は貴重な情報をありがとうございました」などという架空のメールを定期的に送信して攪乱させる対抗策を取った。
「吉田調書」スクープの日、8階にあるローソンに行くと、知らない記者や社員から握手攻めにあった。ちょうど同じタイミングで林修のテレビに出演して解説をしていたため、顔を知られていた。ところが、4ヶ月後、記事取り消しが発表された日、同じローソンでは社員たちが著者を一瞥するとそそくさと目を逸らしていった。
停職2週間、失望している著者。マスコミ取材には一切答えるなと言われていた。私用電話には顔なじみの他社の記者から電話がじゃんじゃん入る。無視するのも気が引けるので故障したことにして切っていた。すると、会社からあてがわれたスマホに「自殺していないか」との問い合わせメールが会社から来る。自殺したという情報がある、とのこと。
後で詳しいベテラン記者に聞くと、公安は監視対象を見失うと自殺情報を流して所属組織に確認をさせる。それが手っ取り早いから。著者は監視対象なんだ、と解説された。
Posted by ブクログ
著者は朝日新聞の政治部エース記者として長年活躍しながらも2014年に福島原発の「吉田調書問題」の責任を取る形でそのポジションを降り、2021年に退社したのち、現在はメディア「SAMEJIMA TIMES」を運営している。そんな著者が朝日新聞で一体何が起きたのかを、反省と共に綴る一種の内部告発とも言えるのが本書である。
朝日新聞の実態については既に様々な言説が飛び交っているし、本書で詳にされる内実も、そうした言説と大きな違いはなく、それらに対する裏付けであると言える。そうした点で、既に死につつある朝日新聞という企業がこのまま本当に死んでいくのだろうという思いを私個人は抱いたが、それ自体は本書の面白さというわけではない。
むしろ、個人的に本書から強く印象に残ったのは、著者自らの「私は傲慢であった」という強い内省である。
件の問題の責任を負う形で、誰もが羨むエース記者から落伍して落ち込む著者に対して、妻から投げられたのは「あなたは傲慢罪よ」という強い投げかけであった。その言葉で自らの傲慢さに気づき、内省と共に自身が次になすべきことを見つけていくプロセスは、1人の人間として極めて称賛に値するものだと感じた。
Posted by ブクログ
新聞記者と政治家の関係性は持ちつ持たれつの立場。
朝日新聞内のガバナンス問題や、そもそも新聞記者って何なの?と影響力の大きな業界の暗黒面を知ることができた。日本社会が求めている有益なジャーナリズムそのものは、現体制が維持される限りお遊戯会(出来レース)みたいな報道内容に偏重していくんだろうなと少し悲しくなりました。かと言ってナイトクローラー的なアメリカ報道に偏るのも良くないと思うのですが。。隠蔽・保身だけの世界は自分には合わなそう。
Posted by ブクログ
記事の問題については、一方からの意見になるので触れないでおくとして、現在の新聞業界を取り巻く状況と朝日新聞社の内情はよくわかった。そして、著者のジャーナリズムへの信念も。
新聞社でもパワーゲームやってるんですね。
ネット社会になって、批判を避けるのは社会的潮流ではあるが、ジャーナリストは空気を読んだり忖度とかなしに情報を届けてほしいと切に思う。
Posted by ブクログ
大企業、というか朝日新聞やばいねぇ。というか自己保身・・・。というマスコミの凋落を描いたノンフィクション。同時に著者のオレオレ感も気になったのも事実だが、こんな人だから書けたんだろうな。
Posted by ブクログ
「吉田調書」「慰安婦問題」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞は創業以来最大の危機に直面した。当時社長の木村氏は驚くべき対応に出る。巨大組織が一社員に全責任を押し付け襲い掛かる恐怖…エリート記者の著者がその内情を知り尽くした立場からの内部告発である。
Posted by ブクログ
戦後、日本の政治報道やオピニオンを先導し続けてきた朝日新聞政治部。その最後の栄光と滅びゆく日々が、登場人物すべて実名で生々しく描かれる。
吉田調書のことは記憶にはあるが、当時は恥ずかしながらさほど関心を持っていなかったので、結構叩かれていたな・・・くらいの認識だった。それより個人的には池上コラムの方が気になっていたので、本来はそちらが問題だったという著者の解説が腑に落ちた。しかしここまで組織の内部を赤裸々に書いてくるのもすごい。臨場感がそのまま伝わってきて面白かったけど、この人命を狙われたりしないのか心配になるレベル。上司として尊敬していた人が豹変するってとても傷つくこと。それでも自分にできることを考えて再出発を切れる鮫島さんは驕っていたかもしれないけれど、それでも当然なくらい優秀で素晴らしい人材なのだなと感じる。こういう人の報道を自分で探してつかみ取れるインテリジェンスを身に着けたい。
Posted by ブクログ
【感想】
新聞社を含むマスコミが権力に忖度し始めたのは、安倍政権になってからだ。東京新聞の望月記者が「記者会見が出来レースになった」と指摘しているとおり、菅官房長官の就任以降、質問は事前通告しか受け付けず、ぶらさがり取材も無視されるようになった。だが、政治の暴走を許すようになったマスコミも同罪である。官邸からの圧力を受けた新聞社同士が、互いに相互監視をするような空気を形成し、枠から外れた記事を書くことを避けるようになった。マスコミは、権力者に擦り寄りすぎてしまったのだ。
本書は元朝日新聞記者の鮫島浩による「内部告発本」である。鮫島氏は1994年に朝日新聞に入社してから、主に野党(民主党)を担当してきた政治番記者だ。東電下請け業者による「手抜き除染」報道で新聞協会賞を受賞するなど、特ダネを何本も抜いてきたエース級記者である。
「内部告発本」であるため、内容は当然朝日新聞の腐敗に関することである。具体的には、2014年に朝日新聞が「誤報」と認定した3本の記事、「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」に関する一部始終、そして上層部による尻尾切りの顛末が描かれている。メインは6章以降にあるが、1章~5章の間では、筆者が政治の世界に足を踏み入れていった軌跡と、「政治部から見た権力の裏側」(各政党内部のパワーバランス)が明確にまとめられている。時の権力者の番記者をずっとしていただけあり、貴重な記録がてんこ盛りである。
鮫島氏によれば、報道機関が現在弱体化している要因は、「マスコミが官邸に擦り寄りすぎたから」であるという。
政治番の記者であれば当然、取材対象である政治家に近づくためにも、彼らと親密な関係を築かねばならない。他社に先駆けて特ダネを書くことを「抜く」、逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」というが、これら「抜く」「抜かれ」の回数によって、記者のその後のキャリアが決まっていく。ライバルに先んじるための「擦り寄り」や「権力者のたらし方」といった実践技法が、4章までの間に色濃く書かれている。
しかし、記者は政治家に取り入らなければならないが、時に彼らを批判しなければならない。「ここは言うことを飲むから、これは書かせてくれ」というバランスを上手く取るのが記者の本分であり、その両天秤の上で、多くの政治家の間を綱渡りする技術に長けた者が、一流の記者となれる。だが、多くの記者は担当政治家を過度に慮るようになり、批判を緩める。そうしてマスコミの権力監視機能が低下していく。
筆者がデスクとして指揮を執った「吉田調書」が生贄にされ、誤報の責任を取って処分されたのは、そうした「権力者とのお近づき」が、朝日新聞全体で起こってしまったからだ。この「吉田調書」事件後、社内統制は急速に厳しくなり、今や大多数の記者が国家権力を批判することにも朝日新聞を批判することにも尻込みしているという。
「朝日新聞は頭から順々に腐ってしまった」。かつて権力と生活を共にしながら、決して権力になびかなかった筆者の言葉は、なかなかに重い。
――政治取材は長らく、権力者側の「善意」や「誠意」に支えられる側面が大きかった。新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう。
――今の新聞が読者から見放されている最大の要因は「怒り」や「悲しみ」といった記者の心の震えや息づかいがまったく伝わらず、客観中立の建前に逃げ込んで差し障りのない傍観的な記事を量産していることにあるのではないか。国家権力が隠蔽してきた「吉田調書」を入手して歴史の検証にさらすことができたのは、原発事故の真相を隠蔽してきた東電や政府に対する木村・宮崎両記者の「怒り」があったからこそだ。
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【まとめ】
0 まえがき
2014年、「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していた。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。
木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者、つまりデスクであった筆者の鮫島と記者二人に全責任を押し付け、処罰すると宣告した。
だが、筆者にも罪はあった。それは「傲慢罪」だ。執政者に擦り寄り、会社内で権力を作り上げ、一人ひとりの読者を蔑ろにした。そして、その傲慢罪は、今でも朝日新聞社に問われているのだ。
1 新聞記者はこうしてできあがる
新聞というムラ社会の中だけで評価される特ダネを積み重ねることが「優秀な新聞記者」への第一歩となる。逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」という。それらが続くと「記者失格」の烙印を押される。サツ回りで特ダネを重ねた記者が支局長やデスクに昇進し、自らの「成功体験」を若手に吹聴して歪んだ記者文化が踏襲されていく。
駆け出し記者は特ダネをもらうのに必死だ。あの手この手で警察官にすり寄る。会食を重ねゴルフや麻雀に興じる。風俗店に一緒に行って秘密を共有する。警察官が不在時に手土産を持って自宅を訪れ、奥さんや子どもの相談相手となる。無償で家庭教師を買って出休日も費やす。とにかく一体化する。こうして警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。
警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い。
政治記者であっても同じだ。出世の階段を駆け上るには、まずは各社の番記者を出し抜いて政治家に食い込み、特ダネを書かねばならない。大物政治家になると、テレビ局や新聞社、通信社の約15社が番記者を張り付ける。その中で「一番」を目指す。初当選から20年の大物政治家なら15社×20年= 300人の元番記者がいる。数百人規模の元番記者のなかで、政治家が長年にわたって信頼関係を維持しつづけるのはほんの数人。ライバルは現在・過去・未来にいる。
担当政治家と運命共同体となった番記者が政治家批判に及び腰になるのは当然である。そればかりか政治家に社内の取材情報を漏らして点数を稼ごうとする者さえいる。番記者制度が政治取材を劣化させ、マスコミの権力監視機能を低下させていることは間違いない。
しかし、政治家が政治記者にオフレコで話す情報には必ず思惑がある。ある一面から見れば真実であっても、自分に有利に働くように大なり小なり加工が施されている。まったくのウソであることさえある。彼らは権力闘争を有利に進めるため、政治記者を使って日々情報戦を仕掛けている。政治家に食い込んだと思ってうつつを抜かしていると、気づかぬうちに「情報操作の手先」と化す。
2 政治部で見た権力の裏側
1999年、筆者は朝日新聞政治部へ着任する。時は小渕政権であり、自民、自由、公明の連立政権が動き始めていた。
筆者が着任した当時の政治部長、若宮啓文が駆け出し政治記者にこう投げかけた。
「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」
「権力って、誰ですか?」筆者がとっさに聞き返す。
「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そして、アメリカと中国だよ」
この後の政権は、森、小泉、安倍、福田と、清和会所属者が4代続く。
清和会は日本政界で長らく干されてきた。清和会の目に映る「戦後日本の権力者」は「経世会、宏池会、社会党、NHK、朝日新聞」だったのだ。若宮が「政治記者なら権力と付き合え」と訓示した「権力」の枠外に、清和会は常にあった。戦後政治で長く隅に追いやられてきた清和会が、陽の当たる道を歩んできた「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、NHK、朝日新聞」に対して抱くコンプレックスに思いを致さずして、小泉政権から安倍政権に至る「清和会支配」の本質を理解することはできない。そこには「報復」の感情がある。
政治の地殻変動が起こったのは、小泉政権時代になってからだ。経済財政担当大臣になった竹中平蔵が、自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。
これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった。政策決定の中心が「自民党・霞が関」から「首相官邸」へ移り始めた。
3 虚偽メモ事件
2005年、朝日新聞で、長野総局のN記者が田中知事を取材していないのに取材したように装った「虚偽メモ」事件が発生する。これによりN記者は解雇、編集局長と長野総局長が減給処分のうえ更迭された。また、真偽を確かめることもなく記事にした政治部への批判が社内で高まり、政治部長と曽我次長も処分を食らった。
虚偽メモ事件は社内政治上、大きな意味を持った。謝罪会見をした当時の秋山耿太郎社長を筆頭に、処分を受けた吉田慎一常務(編集担当)、木村伊量編集局長という中枢ラインはいずれも政治部出身だった。朝日新聞の経営や編集の主導権は政治部が掌握していたのである。
朝日新聞の社長職は政治部と経済部が入れ替わりで担ってきた。記者数で多いのは社会部だが、経営や編集の実権は政治部と経済部が握ってきた。「政経支配」に対する社会部の不満は強く、不祥事が発生すると社会部から批判の声があがることが多かった。虚偽メモ事件を検証したチームも社会部記者たちだった。
虚偽メモ事件で傷ついた信頼を回復するため、政治部、経済部、社会部などから記者を集めて調査報道に専従させる「特別報道チーム」が結成される。筆者もこのチームに配属された。
筆者たちは特別報道チームを、従来の調査報道のしきたりを外れる特殊なチームにしようと決める。警察や検察を含む当局は回らず、タレコミも扱わない。自分たちで取材したいテーマを決めてそこに深彫りしていく「オフェンス型報道」だ。
特報チームは、発足2ヶ月でフィギュアスケート連盟幹部のスキャンダルを当てる。筆者の社内での求心力は一気に増した。
4 政権交代
2007年春、第一次安倍内閣のときに、筆者は特報チームから政治部に戻る。
第一次安倍内閣と麻生内閣の基盤が揺らぎ、民主党への政権交代が現実的になってきたころ、民主党代表だった小沢一郎をターゲットにした東京地検特捜部の強制捜査が行われる。衆院任期切れ前を狙った、あまりに強引な捜査であった。
東京地検特捜部の強制捜査を受け、総理の座を目前にしていた小沢は民主党代表辞任に追い込まれた。しかし、その後も民主党の勢いは止まらず、2009年8月の総選挙で圧勝して政権を奪取した。小沢と検察の闘いはこの後も続くが、検察の捜査は本格的な汚職事件に発展せず、小沢秘書の「虚偽記載」という形式犯で終わった。それでも裁判は長期化し事件の余波は消えることなく、民主党政権の分裂、そして自民党の政権復帰への伏線となっていく。
検察が立件した罪の軽微さと、民主党や小沢に与えた政治的ダメージを比較すれば、あまりのバランスの悪さに驚くほかない。検察の狙いが民主党政権を妨害することにあったとすれば、その目的は十分に達成されたといえるだろう。にもかかわらず、朝日新聞をはじめ報道各社はこの捜査が残した爪痕をいまだに十分に検証していない。
2009年に民主党政権が誕生する。
いままでずっと民主党人脈を広げてきた筆者はもちろん官邸クラブに抜擢されると思っていたが、与えられたのは野党に転落した自民党を担当する「平河チーム」のサブキャップ。事実上の降格だ。
しかし、筆者はめげなかった。特報チームで培った「テーマ設定型調査報道」を実践し、従来の政治記事とはまったく異なるスタイルを確立しようとした。
しかし、社内デスクたちはあまりいい顔をせず、結果として平河チーム内の主要メンバー3人が異動を通告され、事実上の解体となる。
筆者に与えられた次のポストは、なんと半年前に追い出された政治部のデスクだった。案の定、政治部内は騒然となった。数ヵ月前に政治部を追われるように出て行ったキャップ未経験の若輩者が、政治部デスクとして戻ってくる。政治部内の秩序を揺るがす大事件であった。
政治部に異動した後、政治献金問題、東日本大震災の政府対応といった記事に取り組んだ後、民主党政権自体が瓦解する。筆者は元いた特別報道部に再び戻ることとなった。
5 特別報道部の躍進
筆者が戻った特別報道部は、東電下請け業者による「被ばく量隠蔽」、除染作業で回収した汚染物質を山中に不法投棄する「手抜き除染」といったスクープをすっぱ抜いた。
筆者は特別報道部の運営ルールの整備を急いだ。はじめに特別報道部の目標を「隠された事実を暴く特ダネを連発し、朝日新聞の報道機関としての影響力を高めること」と明確化した。そのうえで「新しい取材方法や報道モデルへ挑戦すること」と「スター記者をつくること」を掲げた。
次に特別報道部の特色は、①記者クラブに属さない(当局発表を取材する必要がない)、②持ち場がない(他紙に抜かれる心配がない)、③紙面がない(穴埋め原稿を書く必要がない)、④組織の垣根がない(年功序列や縦割りがない)、⑤ノルマがない(主体的に取材できる)とにあると分析。その強みを最大限にいかすため、部の運営を大胆に変更した。
2013年には、特別報道部の功績が認められ、新聞協会賞を受賞した。華々しい活躍の裏、筆者は確実に傲慢になっていた。
6 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」、そして朝日新聞の瓦解
福一の事故直後、吉田所長が政府事故調の聴取に答えた公文書である「吉田調書」は、長い間極秘文書として公開されていなかった。しかし、2014年に朝日新聞政治部の木村記者がこれを入手する。木村を特報チームに招き入れ、吉田調書取材班が結成される。
木村・宮崎両記者は、朝日新聞の記者たちに不信感を抱いていた。原発事故以降、経済部や社会部で東電を取材する記者は多かった。東電の隠蔽体質を徹底的に批判し、情報開示を迫る最前線で戦ってきた二人の目に、多くの記者は「東電にすり寄っている」「ウラで通じている」存在と映っていた。その思いからか、吉田調書取材班は信頼できるたった4人のチームで結成されている。得られた情報を自社内部にも明かさないという、徹底的な少数精鋭ぶりだった。
吉田調書第一報は2014年5月20日。内容は、所長が地震発生後第一原発に待機するよう命令したにもかかわらず、9割の所員がそれを無視したこと、そしてその事実を3年近く伏せてきたことである。この報道は大反響を呼び、朝日新聞内部は一気に加熱していく。
しかし、6月に入ると「待機命令を知らずに退避したのを命令違反と言えるのか」という指摘がネットでちらほら出始めた。筆者は渡辺局長や市川部長に、①待機命令を知らずに第二原発へ向かった所員がいた可能性はある、②第二原発へ退避した所員の責任を問うことが報道目的ではなく、過酷事故のもとでは待機命令に反して現場から事故対応にあたる人員がいなくなる事態が起こりうる現実を指摘し、原発の危機管理のあり方について問題提起することを目的とした報道であると読者に丁寧に説明する特集紙面をつくること、を提案した。第一報の「説明不足」や「不十分な表現」を補おうと考えたのだ。
しかし、紙面化がなかなか確定しない。編集担当、広報担当、社長室長ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれないということだった。その理由は「木村社長が吉田調書報道を新聞協会賞に申請すると意気込んでいる。いまここで第一報を修正するような続報を出すと、協会賞申請に水を差す」というものだった。
結果として、世論の批判が高まる前に軌道修正しなかったことが、その後の危機管理の失敗を引き起こす。
事態をますます悪くしたのは、8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える」だった。朝日新聞はその特集で、植民地だった朝鮮で戦時中に慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言(吉田証言)を虚偽と判断し、吉田氏を取り上げた過去の記事を取り消した。これを機に、安倍政権やその支持勢力による「朝日バッシング」が吹き荒れたのである。
吉田調書はこれに引きずられる形でバッシングを受けた。加えて、菅官房長官が吉田調書を非開示とする従来の姿勢を転換すると発表する。読売や毎日も朝日に批判的な立場で吉田調書の報道を始めた。官邸とほか新聞社で朝日包囲網が構築されていったのだ。
安倍政権はなぜ、朝日新聞をそこまで追い込もうとしたのか。安倍首相はそもそも朝日新聞を敵視し、朝日バッシングで支持層を固めてきた。それに加え安倍政権はこの時期、集団的自衛権を行使できるようにするための「解釈改憲」を進めていた。2013年夏の参院選で圧勝して政権基盤は安定化しつつも、盤石とは言えなかった。安倍首相や菅官房長官はNHKに続いて民放各社や新聞各社の「メディア支配」に力を入れ始めていたのである。
トドメは8月29日の「池上コラム拒否事件」だった。ジャーナリストの池上彰氏が朝日新聞8月23日朝刊に掲載予定のコラム「池上彰の新聞ななめ読み」に、慰安婦問題をめぐる「吉田証言」を虚偽と判断して過去の記事を取り消した対応は遅きに失したと批判する原稿を寄せたが、このゲラを見た木村社長が激怒し、コラム掲載を拒否したことが9月2日夜以降、週刊文春のウェブサイトなどで報じられたのである。
世の中の朝日バッシングは頂点に達した。ついには社内からも社長退任を求める声がツイッターで公然と噴き出したのである。木村社長は自ら墓穴を掘ったのだ。
「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の不祥事を受け、木村社長は9月11日夜、朝日新聞本社で緊急記者会見に臨んだ。しかし、そこで読み上げられたのは「吉田調書報道を誤報と認める」「社長自身の退任および、取材記者を含む吉田調書報道関係者を処罰する」という内容だった。慰安婦問題は軽く触れる程度、池上コラ厶は触れさえもしなかった。
「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」のうち、木村社長が強く関わったのは後ろ2つだ。しかし、これらをパッケージで処理し、「吉田調書」に世間の批判を集中させることで、木村社長を直撃する「慰安婦」「池上コラム」への批判をやわらげようとした。木村社長は引責辞任の理由を「吉田調書」にすることで即時辞任を回避し、当面は社長職にとどまって後継社長を指名し「院政」をしくことを狙っていたのではないか。
木村社長の影響力維持のために、「吉田調書」は生贄にされたのだ。
その後、木村・宮崎記者は「捏造記者」のレッテルを貼られ、筆者もバッシングを受ける。筆者たちの個人情報はネット上にさらされ、週刊誌にすら追いかけられた。朝日新聞社は、筆者たちを守るどころか黙殺した。それと同時に、関係者への取り調べは容赦なく続いていき、彼らは組織から孤立していった。
筆者たちへの懲戒処分が下ったのは、2014年12月5日付だった。
7 報道機関の「壊死」
朝日新聞はネットに屈した。ネットの世界からの攻撃に太刀打ちできず、ただひたすらに殴られ続け、「捏造」のレッテルを貼られた。それにもかかわらず朝日新聞はネット言論を軽視し、見下し、自分たちは高尚なところで知的な仕事をしているというような顔をして、ネット言論の台頭から目を背けた。それがネット界の反感をさらにかき立て、ますますバッシングを増幅させたのだ。
すでに既存メディアをしのぐ影響力を持ち始めたネットの世界をあまりに知らなすぎた。テレビや新聞は情報発信を独占することで影響力を拡大し、記者は恵まれた待遇で働いてきた。しかし、ネット時代が到来して誰もが自由にタダで情報発信できるようになり、テレビや新聞が情報発信を独占する時代は終わった。筆者たちはそれに気づかず、古い時代の仕組みの上に胡坐をかいてきたのである。
自由な社風はすっかり影を潜めた。2014年の「吉田調書」事件後、社内統制は急速に厳しくなり、今や大多数の記者が国家権力を批判することにも朝日新聞を批判することにも尻込みしている。
2021年5月25日、朝日新聞に五輪開催中止を主張する社説が掲載された。新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず五輪中止の世論が高まるなかで今夏の開催が「理にかなうとはとても思えない」と断言し、「開催の中止を決断するよう菅首相に求める」と訴えた。ツイッターでは「五輪スポンサーの朝日新聞がついに開催中止に舵を切った」と歓迎する投稿が相次ぎ、朝日新聞は久々に株をあげたかにみえた。
ところが、この社説に対して、五輪報道を担う社会部やスポーツ部を中心に編集局から強い抗議が沸きあがったのである。社説掲載前日にゲラが出回り、編集局は騒然となった。デスク会では冒頭から「取材現場への影響を考えているのか」「スポンサーは降りるのかと読者に聞かれたらどう答えるのか」と批判が噴出。「今日載せる必要はあるのか。差し替えるべきだ」と、社説掲載の見送りを求める意見まで飛び出した。
彼らは読者の立場から権力を監視するジャーナリストというよりも、上司から与えられた業務を遂行する会社員だった。経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけた「吉田調書」事件以降、朝日新聞は頭から順々に腐ってしまった。
Posted by ブクログ
朝新聞社に30年近く勤務した著者が赤裸々に語る業界の裏事情。情報は人を伝って来るため、ライバル社に差をつけるべく足で稼ぐ。人脈を作る。泥臭い現場の話が多くリアルで面白かった。
Posted by ブクログ
リスクマネジメントが発生したとき、舵をとり誤ると巨大組織は軋みを上げる。そのとき、誰が責任をとるのか。
「吉田調書」問題において、責めを現場記者に負わせたとき、朝日新聞は終わってのだなあ。いまでももちろん真摯に働く貴社の方たちは多かれど、新聞メディアに対する読者の信頼は崩れ去ったのだな。
他山の石!そしてそれを告発する勇気をもった著者は立派だ。
Posted by ブクログ
時代は変わっていく。しかも加速度的に。しっかり仕事をして、頭を使っていれば、分かるはずなのに、その変化を見ようとしない人たちが実に多い。気づいても気づかないふりをして、変わりたくない人たちが実に多い。
朝日新聞は崩壊のカウントダウンを始めた。ひょっとしたら会社は残るかもしれないが、良質なジャーナリストが集う媒体ではなくなるのは必至だろう。しっかりした人ほどやめていく。そういう現実が、この本ではっきりと描かれている。
さて、この手の「新聞社崩壊」系の本は最近よく出てきたけれども、問題はその先だろう。玉石混交となった政治報道・社会報道のその先に、健全な民主主義社会とか、あるいは秩序があって自由な社会とか、そういうものが維持されるだろうか。実は、国民生活の大きな崩壊が待ってやしないか。新聞がなくなってもまったく構わないが、そこだけが心配だ。