【感想・ネタバレ】小説 太平洋戦争(8)のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ 2010年06月03日

 ついに終戦を迎えた・・・
 極東の小国である日本が連合国相手によく戦ったと思う。当時の日本人の気持ちとしてはどうだったのだろうか?複雑な思いだったのだろうと思う。現在に住む我々には想像もつかないことだろう。
 原爆投下にソ連による日ソ不可侵条約の蹂躙・・・ 終戦間際はあまりにも悲劇的に過ぎる。

0

Posted by ブクログ 2023年04月29日

いよいよ武器もなくなってくる沖縄戦。当時の指揮官が、最後の戦いに臨む際に打ったいわゆる決別電報が多く出てきますが、申し訳ないという気持ち、愛国心が偲ばれる内容で、読んでいて何とも言えない気持ちになりました。そして原爆。著者は、人を殺し合う戦争が行われていて、科学技術も進歩するのだから、高度な兵器が使...続きを読むわれるのはやむなしとの意見。戦争そのものが良くないということなのでしょう。そして思ったのは、戦争を始めることの簡単さに比べて終えることの難しさ。原爆を落とされてさえ、なおポツダム宣言の受諾に逡巡する幹部や軍の将校たち。そう思うとウクライナ問題もなかなか治らないのかなあとそんな気持ちにもなりました。

0

Posted by ブクログ 2013年09月18日

悲惨な沖縄戦、戦艦大和の最後、原爆投下、そして終戦に向けた動きを描く第8巻。

終戦直前の日本にに、ソ連へのすり寄りといった動きがあった。そして連合国各国の思惑が渦巻く中で、戦争継続か降伏かで揺れ動く日本。一歩間違えば国が亡ぶか、日本人が全滅するかという瀬戸際にあったことをあらためて知る。

著者は...続きを読む、沖縄で戦争に巻き込まれて亡くなっていった人々について、あのまま進めば、本土の日本人も同じ運命をたどったと指摘する。300万人もの日本人が亡くなったというこの戦争をなぜしなければならなかったのか。日本は、いまでもやはりここを起点に何事も考える必要があると思う。

0
ネタバレ

Posted by ブクログ 2012年06月03日

そして,戦艦大和の登場だ。当時,世界第一を誇った超弩級戦艦大和が遮二無二沖縄目指して海上特攻を決行し,満身創痍,途中の海上で沈没してしまった。戦死者の数は大和だけで2,740名。行動を共にした第2水雷船隊の981名を加えると,3,721名がこの世から消えてしまった。わずかに戦場を離脱しえた人々もまた...続きを読む大半が戦傷者で,その数も459名だった。

沖縄へのアメリカ軍上陸の責任をとって,小磯内閣は退陣し,鈴木貫太郎海軍大将を首班とする新内閣が成立した。当時,天皇の意志を最も良く体し得る者は,長い間侍従武官長として側近にあった鈴木大将をおいてほかにはない。大将ならば誤りなく陛下のご意志をこの超非常時の政治に活かしてくれるだろうと考えた。すなわち,我々は,大和民族の生命的な中心であり,帰一点である天皇のご意志に従おうということになったのだ。

もはや大和を惜しむべき時ではない。戦力が空に移った近代戦に対し,大和は隆盛日本の象徴でもあり,かつ,重大な荷物でもあったのだ。もしもこれを敵の手にゆだねたら,それこそ子孫は相当期間世界の嘲笑を浴びねばなるまい。おそらく,大和を残したまま終戦を迎えた場合,7つの海を引き回されて,嘲笑の的になりかねない,そういった世界的な存在なのだ。戦艦大和の海上特攻は,一見無謀な出撃に似ているが,その実,終戦と,その後の民族復興のための祭壇に供える帝国海軍最後の悲しい供物の一つであったのだろうと著者は言う。『我々は敗れた,だが,最後の一兵まで戦ったぞ!』というのが,民族復興には絶対必要なのだ。世界に軽蔑されるような敗戦の仕方では,民族復興はありえないと考えたのだ。

そして,大和は海上特攻し,4月7日の12時35分に敵襲来を受け,14時25分にはその雄姿は海底へと消えた。

近代戦では既に日本は敗れているのだ。世界一の戦艦大和をもってしても,沖縄まで辿りつけなかった。ということは,沖縄は一切の補給連絡の方途を断ち切られたということだ。そんな事情の中で,どうして孤立した沖縄軍が勝ち得よう。日本国全体が降伏しない限り,沖縄軍に生き残る余地は全くない。しかも中央では本土決戦を考え,その準備に全てを賭けている。まだまだ降伏などは考えられないし,考えてはならない。とすれば,現実には,沖縄戦においては,進んでも死,退いても死,すなわち死しかないというギリギリの答えになっていた。

沖縄陥落までの期間に本土にも爆撃が加えられている。沖縄上陸戦への援護だ。東京,大阪,名古屋,鹿児島,西宮,浜松,豊橋,今治,宇部,岡山,熊本,門司,下関,延岡と次々と焼きたてられていった。3/17硫黄島陥落後の世界的な出来事を順を追って見てみると,4/1アメリカ軍沖縄上陸,4/5ソ連が日本との中立条約延長拒否,4/12ルーズベルト死去・トルーマン大統領就任,4/22ソ連がベルリン突入,4/28イタリア首相ムッソリーニ処刑,4/30ドイツのヒットラー自殺,5/2ベルリン陥落,5/8ドイツ無条件降伏と,日本の陸軍が高く買っていた三国同盟は完全に崩壊し,第2次世界大戦はヨーロッパでは終わっているということになっている。その事実に対し,ますます日本は孤立し,本土決戦に向けて腹をくくるしかない状況になっていった。6/22戦時緊急措置法公布(軍に全面的な受権を許す法),6/23国民義勇兵法公布(男子は15歳から60歳まで兵役を義務化,女子は17歳から40歳まで),7/11食糧配給1割減と突き進んでいく。本土決戦にはとにかく,戦闘員150万人,兵站要員40万人の人数をどうして掻き集めるかが問題だった。召集しても,軍服や軍靴も武器も食糧もなかった。集められた兵隊は,まず敵が上陸してくる海岸線へ貼り付けられる予定だった。その,はりつけ部隊は,敵が上陸してきたら,それぞれが,爆薬を抱えて敵に体当たりするというものだった。今までの経験からして,これが勝利に繋がるとは思えず,要するにこれは,死ぬまで戦うという,民族ギリギリの意地と決意に過ぎない,そんな準備をしている真っ只中だった。

そんな状況で本土決戦に向けて,着々と準備を進めつつある日本国であったが,6/8に行われた御前会議では,終戦工作を進めていくことも真剣に討議しだした。この御前会議では,陛下から『今日は一同と懇談したい』と仰せられたという。慣行の御前会議では,予定された議事が予定のとおり進められ,予定のとおりの決定事項が奏上されるだけで,陛下のご意見などはお述べになる余地がない。輔弼の責任を持つ者の議決をそのまま承認される形になる慣行なのだ。懇談という形で遂に陛下は万民のために口をお開きになられた。『命令ではないが,本土決戦の用意をすることと同時に戦争をできるだけ早く終わるように工夫もしてもらいたい』と。これは,当時としては絶対に外部に漏れてはならないことだった。一部陸軍の思いつめた若手将校などに漏れると,彼らはただちに同席した長老達の暗殺を企てることだろう。陛下の意見が自分達と異なるのは,君側の奸による明智の曇りと断定するのだ。とにかく,この陛下のお言葉により,強硬な陸軍上層部でも,本土決戦と平行して,和平に向けた検討を行うことともなった。

陛下ご自身が乗りださなければ,終戦どころか,本土決戦は避けられないと判断されて,あえて慣例を破るご決意をされたのだろう。ポツダム宣言を受諾するかどうか,受諾するにしても条件をつけるかどうかについても議論がなされた。このまま本土決戦に突入すれば,民族絶滅の危機を招くと案じているのは誰も同じなのだ。これを唯一救えるのは至上命令による講和という名の降伏である。至上命令が発されたとなれば,軍も国民もこぞってこれに従うであろう。こういった,我が国に特異な国体に根ざす信頼によってのみ,民族絶滅を免れ得るのみだと。しかし,このことは易々と口に出来るものではない。これは,憲法を無視することになるからだ。終戦の決断は,輔弼の重臣の合議によって得た結論を上奏し,天皇はただそれに裁可を与えるだけで,この意味から言えば,まさしく天皇は機関的な存在なのだ。と言って,現実にこの終戦を誰が支障なく実施できる力を持っているかとなると,全く話は別になる。総理大臣が命じても,参謀総長が命じても,始めから生命を捨てた気でいる500万の軍隊と,数千万の国民の自暴自棄を押さえ得るものではない。逆に,こうした危機に,憲法を無視しても至上命令の出せる皇室を持っていたということは,何という民族の仕合せであったろう。それなればこそ,講和の中で絶対に譲れないのが『国体の護持』であって,この個性の価値を無限大に認めているのである。しかし,わが陸軍には大きな難関があった。海外にある270万を超える軍隊は,降伏よりは死を選べと教えてきた誇り高き軍隊である。これに今更,何の面目あって現地で敵の武装解除を受けよとむごい事を言えるのか。国体護持は言うまでもないが,これに加え,武装解除は日本軍の手で行い,国際法に背いた戦争犯罪人は日本人の手で裁くとかいった条件は付すべきだといったような,ポツダム宣言の受諾条件について議論しているうちに,広島へ原爆が投下されてしまった。

原爆をアメリカが完成したのは昭和20年7月16日だ。従って,7/26のポツダム宣言を発表するときには,既にトルーマンはこれを日本の頭上に投下する決意があったのだ。日本の海軍は神風特攻隊を残すのみとなっていたが,陸軍はまだ500万の兵力を持っている。これが国民と一つとなり,本土で決戦体制を整えているということは,日本の上陸戦では連合軍側の犠牲は100万におよぶであろうというのが,硫黄島や沖縄戦の場合を参考にして出した連合軍側の答えだった。そのうえ更に彼らに原爆投下を急がせることになった原因が2つある。一つは,ヨーロッパ戦線から太平洋戦線へ再配置されるアメリカ軍の厭戦気分だ。ようやくドイツが降伏したのに,次はドイツより危険度の高い日本軍が相手なのだ。そしてもう一つは,日本の捕虜の死亡率がヨーロッパとは比較にならないほど高いことだ。ヨーロッパにおいて捕虜の死亡率は1%であるが,日本軍に捕らわれた捕虜の死亡率は30%に及んでいる。これは,日本には当時もはや満足な食糧もなく,地上はすべて焼け野原で,医薬の生産も絶え絶えなのだ。そうした戦場で捕虜になる事は,彼らにとって戦慄すべき事だったのだ。このため,原爆投下によって早く戦争を終わらせたいという考えが,アメリカ軍の中にも多くあり,ポツダム宣言を検討していた日本に対し,アメリカは,日本にポツダム宣言を拒否されたと受け取り,原爆投下に踏み切らせたのだ。階級闘争にせよ,民族闘争にせよ,委託戦争にせよ,革命戦争にせよ,それがエスカレートしていくと,行きつくところは『最高の武器』の威力にすがりつくことになる。問題の根は,人間の愚かな対立感情と憎悪感情の底にある。そして,8/6の広島への原爆投下後,8/8にはソ連の満州侵入,8/9の長崎への原爆投下へと事態は進んでいった。

父祖代々,負けたことはないという誇りを持ち,捕虜になるほどなら死ねと教えられてきた軍隊に,敵から武装解除を申し渡されて,素直に応じるとは思えない。ただし,陛下が直接お声を掛けて下されば,日本の軍人である限り,無条件でこれを奉ずるに違いない。と言って,臣下からこのようなことを陛下に指図出来ることではない。『天皇は神聖にしておかすべからず』という憲法第1条の,その神聖を犯すことになるからだ。この天皇と国民の関係は,他の国家,他の民族には全然類例のない,我が国固有の伝統によるものだ。しかもその憲法の慣行は,天皇おん自らが直接命令を下されるというようなことを厳しく抑制し禁じている。もしもそれを許したら,どのような専制政治が行われるかわからぬことになるからだ。

ところが,8/9の最高戦争指導会議は結論を得ないまま閣議となり,閣議も何事も決定しないまま,御前会議に滑り込んでしまった。いや,御前会議によることでしか,結論は得られないと言うことであり,あえて鈴木首相は,陛下のご聖断・ご裁決を仰ごうというものだった。480万の軍隊と,すでに本土決戦を避け得ない運命と受け取りつつある国民に『降伏』を納得させる力は陛下をおいて誰も持っていない。したがって,御前会議でご聖断を仰ぐだけでは済まず,直接陛下に全国民に呼びかけて納得させていくよりほかに,いかなる方法もなかった,というのがまことに特異な日本の本当の事情であった。

そこで,昭和20年8月10日午前3時,ご聖断により,日本民族は民族の命脈を子孫に託して,ポツダム宣言を受諾する事に決定した。国体の護持・天皇の大権をハッキリと認めるという留保条件を付しての受諾であった。この事は当然,連合国側には理解しがたいことだった。ソ連もイギリスも中国も強硬に天皇制の廃止を主張したが,アメリカだけは日本民族の伝統を良く知っており,極力これを認めるよう説得に努めてくれたと言う。

しかし,このご聖断がハッキリした事によって,かえって2つの流れが表面に出てきた。一つは,涙をのんでこれに従わなければならないとする流れであり,もう一つは,ご聖断は君側の奸が陛下を欺いたものであって,まことの聖断ではないのだと決め付けて是が非でも抗戦に持ち込もうという流れだ。明治時代のように歩調のとれた皇軍であれば,聖断の前には必ず従わなければならないという流れになったであろうが,昭和になると,欧米流の合理主義者もあれば,ドイツやイタリア流のナチズム,ファシズムの信奉者もあり,そうした雑多な思想が,この聖断の前に選り分けられることになったのだ。

0

Posted by ブクログ 2019年02月01日

戦艦大和は玉砕に向かった。すでに手の打ちようなく原爆の投下、ソ連の参戦と続く。ポツダム宣言受諾について一発触発。2019.2.1

0

「歴史・時代」ランキング