あらすじ
啓蒙の合理主義や科学信仰に対する批判を検討した思想史的作品を収める.ヴィーコ,ハーマン,ヘルダーなど反啓蒙の系譜をさぐる表題作の他,冷徹な反革命思想家を鮮やかに描いたド・メストル論,政治的振幅の大きい人物に迫ったソレル論.自らの論敵ともいえる思想家を深く読み解き,その魅力を引き出すことを得意としたバーリンの珠玉の論集.
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Posted by ブクログ
『マキァヴェッリの独創性』『ロシアインテリゲンツィアの誕生』と連を為すバーリンの著書。
表題作の他、フランス革命期の思想家ジョセフ・ド・メストルについて、及び19世紀〜20世紀初頭のフランスの思想家ジョルジュ・ソレルについて書かれている。
本著では全編に渡り、デカルトとヴィーコの時代に端を発し今日に至るまでのヨーロッパ思想史において、ほぼすべてを語ると言っても過言ではない、「啓蒙と反啓蒙」の対比について述べている。
伝統的な宗教指導者による統治に対して、人間の価値を説き市民の権利確保を目指したはずの民主主義は、議会制民主主義という形式に至ることで、「人間の尊厳に対する我慢のならない侮辱」となる。
その後に登場するイデオロギーの専制的統治は、20世紀に民主主義との新たな対立の構図をもたらした。
この統治構造の変遷の中で、各構造に対する個人の経験や感じ方、個人の生きた時代が、各々に啓蒙という言葉を捉える視点を与えているのだと感じる。
バーリンによるソレル論の終盤に、
「社会は鉄のカーテンのどちら側においても、本質的なあらゆる点において同様な力によって制約されている」
という一文を見つけた。
これは、「(冷戦期に於ける)資本主義と共産主義は本質的に同じ」という自分の理解と一致した。
冷戦期のソ連下ラトビアに生まれ、その後イギリスに渡り教鞭を取ったバーリンならではの、冷静な観察であるし、自分の理解が保証されたことを嬉しく感じた。
バーリンは、冷戦期のアメリカの外交官で在ソ連大使も務めた、ジョージ・ケナンと親交があったようだ。
最近ケナンのバイオグラフィーも読んだが、彼の人生に渡って貫かれる「近代化への違和感」というテーマが、バーリンの思想からも感じられる。
互いに認め合う存在である理由がわかる。
バーリンの著書の感想となると、印象が多すぎてついとりとめなくなってしまったが、最後に『ジョセフ・ド・メストルとファシズムの起源』からの一節を引用する。
そもそも何故反啓蒙か、と言う理由は、この一節に尽きるだろう。
ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキー氏の著書に述べられているのと同様のことを、バーリンも主張している。
先のケナンも含め、冷戦期の核の恐怖の下で、「鉄のカーテンのどちら側においても」経済効率性と科学技術発展の追求に明け暮れた時代に、このような思想が生まれたことは、なるほどと思う。
理屈なしに人の心を動かすものは、確かに存在する。
この『反啓蒙思想 他二編』は、人生において何度でも読み返したい名著である。
「社会はこの(合理的人間の)ための道具ではまったくない。それはそんなことよりずっと基本的な何ものかに支えられている。永遠の自己犠牲、家族や都市、《中略》自己を捧げようとする人間の傾向、《中略》わが身を投げ出し《中略》受難し死んでいこうとする熱意、こうしたものに社会は支えられている」
Posted by ブクログ
「啓蒙の中心的諸原理、すなわち普遍性と客観性と合理性、生活と思想の真正の問題のすべてに恒久的な解決を与える能力、そして観察と論理的思考の適切な能力を備えて考える人なら誰にでも合理的方法は開かれているという前提」(45-46ページ)に対する批判、反対である反啓蒙思想に関する論集。
『反啓蒙思想』で、ヴィーコ、ハーマン、ヘルダーなどその思想的系譜が簡潔にまとめられており、良いガイダンスが得られる。
『ジョセフ・ド・メストルとファシズムの起源』。
ここで取り上げられるド・メストルという人物をまずもって知らなかった。1753年生まれで、フランス革命期からナポレオン帝政期の同時代人である。啓蒙思想の有する理性に対する信頼を、全面的に攻撃するのが彼であった。
もちろんバーリンは、彼の主張に賛同している訳ではない。権威への服従や学問・教育を下層に広げてはならないとする彼の考え方をそのまま肯う訳にはいかない。ただド・メストルの人間の本質や社会的秩序に対する考え方(彼の文章がかなり詳細に引用されていて分かりやすい)は、ある面では真実を表していたとも言えると思う。
全体主義を経験し、理性万能や合理的人間感への期待が失われてしまった現代人にとってこそ、警鐘の意味を持っていると思われる。
『ジョルジュ・ソレル』
最後まで読んでも、今一つソレルの全体像について、焦点が結ばなかった。