あらすじ
有夢と瑤子と海は、いつも好きなアーティストの話で盛り上がる親友同士。しかし私立女子中学校に進学後、関係が一変する。クラスを仕切る女子に反発した海に対し、報復のいじめが始まったのだ。有夢と瑤子も次第に抗いきれなくなり――。海の母親、担任ら、大人の視点からも浮かび上がる理不尽な社会の「仕組み」。心を削る暴力の輪に組み込まれ、もがく全ての人に、一筋の光を照らす長編小説。(解説・鴻巣友季子)
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Posted by ブクログ
島崎和歌子さんが出てませんが、油断するとすぐ他人を見下し貶める癖のある私は定期的に読み返して何とかして引き返し続けて生きていきたいです。
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過去と今の自分に繰り返し向き合わされた一冊
物語に出てくるルエカとその取り巻き、そしてターゲットにされる子達。読みながら幼い頃の記憶がまざまざと蘇った。同じシチュエーションが自分にもあったと。ルエカのようにリーダーではないが、あるときは取り巻き側、ある時はターゲットとされる側だったと。今の自分の環境が全てでどこにも希望がなく募る無力感。この物語に出てくる有夢、瑶子の一つひとつの描写は昔の自分を見ている様だった。
ルエカのいじめの理由が暗喩される描写箇所を読んだ後では、序盤、得体の知れない不気味な存在だったのだが、打って変わり、まるで怖くて怯えながら吠え続ける犬の様に思えた。
いじめる側の背景に目を向けると自身が過去に深く傷ついた際のトラウマが発端になっていることも多い。
その無意識の闇が新たな被害者を生みだす。
孝の「俺はどうせ安全な、簡単にできることしかしない男なのだから」は、のちに登場する奈緒や施設長、そしてルエカの言いなりになり動く有夢、瑤子の内面描写にも通じるものがあった。
多かれ少なかれ誰にでも潜む、ことなかれ主義な思想、波風たたせず穏便に済ませたい気持ちをさまざまな登場人物の描写を通して示すことで、静かに問いかけられている様に感じた。
波多野さんのメニューCはラストの彼女達の新展開にもつながり、人生を終わらせずに続けていくため自ら新たな選択肢を選びとろうとする展開に救いを感じたと同時に勇気をもらった。
いつだって、誰だってメニューCやメニューDを選んでいい。多様性の受容やその後押しが容易な社会からはまだまだ程遠いと感じるが、せめて自分だけは、物語でペルー行きを後押しする海の母のように決断、行動をしていこうと思わずにはいられなかった。
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メインは女子校で起きてるいじめだったが、その周辺で起きている様々な人間関係も時々混ざり、どの話も読んでいて辛かった。現実でもニュースを見て、人間の醜さに人間でいることが辛くなる。人それぞれ他人には理解されない生きづらさを感じながらも必死に生きているんだなあ、と泣きそうになった。
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かつての恩人に会いに馴染みの街へ行くことになったので、向かう方向とリンクするタイトルのこの本を鞄に入れていた。(……が、その予定は赤子の発熱で泣く泣くリスケとなってしまった。涙)
タイトルの「海」は、場所ではなく登場人物の少女の名前である。主人公の有夢と瑤子は自転車を走らせて、転校してしまった海の住む街を目指す。仲が良さそうな2人なのに、ところどころきな臭いものが見え隠れする。明言はされないが、過去に事件があり、そしてそれがまだ継続していくぞ、という示唆に、一章から何とも言えない苦しさに胸がつまった。
中高一貫女子校における、いじめを題材としたストーリー。遠く離れてしまったが、かつていち少女だった自分にとって、その同調圧力と逃げられない窒息感には覚えがある。だから緻密に描かれるそれが、ぐさり、と刺さるのだ。
視点は主に有夢と瑤子だが、親や先生といった周辺の大人や、いじめ当事者のルエカの主観も描かれる。結果として見て見ぬふりをしてなかったことにする大人、家庭内のストレスで認知が歪まされる子ども。そしてその全ての捌け口となってしまった有夢と瑤子は「ペルー」を目指すことになる。そこまで追い詰められるの、分からなくないけれど、親となった立場で読んでいくの、めちゃくちゃしんどくて悲しい……。ただ作中のアーティスト、リンド・リンディのインスタ投稿の描写が色鮮やかで、その明るさは救いだった。
このまま悲しいだけで終わるかな……と思ったら、最後には光がさした。そこは本当に良かった。絶望の「ペルー」が、未来につながる「ペルー」に。海の母・和子の職場のおばあはん、波多野さんも印象的で好きなエピソードだ。
タイトルは「海へ」となっているけれど、海に会いに行く行程は河口から上流へ遡っていくの、意味と方向が逆転していて面白い。苦しみ抜いたあとの海の、その力強さに眩しさを感じたのだった。
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ああはなりたくないと言う不安からしている。
波多野さんかっこいいと思った。
子供への関わり方は同じではなくてそれぞれ違うのだと感じた。
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女子中学生の間に起こる執拗ないじめ。その構造を微細に描く。
この世に人間の形をした悪魔のようなものは存在する。それを受け入れなければ、いじめはなくならないだろうな。
優しい人は、話せばわかるはずだとか、そもそも性善説を信じているので、悪魔には対抗できない。悪魔は人の弱みを握ることに天才的な才能を持っているから。人がうろたえる様が栄養みたいな奴なんだ。
そいつから離れろ。それは決して逃げではない。そして一人になってはいけない。根っこのところで繋がっている人を幼いうちにしっかりと獲得することが大事だと思う。
悪いのは悪魔のようなあいつなんだ。あなたではない。
と、過去の経験からいろんなことを考えさせられました。
悪魔って、どうやって造られるんだろうね。それを解明することが大人の役割だよな。
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いじめの描写がとてもリアルです。
カースト上位の子がそれとなくみんなから孤立させようとするところとか
結局、何も問題は解決していないし、誰も助けてはくれないという結末…
逃げることも一つの正解だし、波多野さんのように無視を決め込む、というのも一つの正解だと思う
ただ、確かなことは誰かに助けてもらうことや、周りを変えることを期待してはいけないということだった。
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女子中学生のいじめについて、当事者だけではなく、関係者の目線でも描かれている。
じわじわ追い詰めるところ、追い詰められるとこは読んでいて苦しくなる。
いじめられている側の娘たちが、希望を持ち始めたところで終わったのは良かった。何とかしようと、一緒に戦ってくれる大人がいるのといないのでは、全然違うだろうと思った。
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中学からの仲良し三人組が私立女子高でいじめに巻き込まれた。発端は三人のうちのひとりが、正義感から女王様気取りのクラスメイトに反発反抗した。女王様は仲間を募って巧みにいじめてきて、その生徒は転校を余儀なくされる。残った二人はかばいきれず、忸怩たる思い、おまけに身代わりのようにしていじめられるのだった。そして…。
井上荒野さん筆の精緻を究めたいじめの描写は読むのがつらいくらい。しかし、構成が三人の高校生、有夢(ゆむ)瑤子(ようこ)海(うみ)の視点や、いじめる張本人(ルエカ)の言い分、母親、父親、担任立場からもみていて、冷静な目で巧みに描かれ「うまいなあ」と小説そのものに好感を持った。読後、「そう来たか!」と心に温かみが広がったのだけれど。
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いじめっていつの時代も存在する厄介なもの。
ましてや今はスマホがそれを助長する。
しかし、使い方によっては救いにもなる。
クラスの中では弱いのに、有夢と瑤子と海の関係がこんなにもしっかりとしてて良かった。
波多野さんの考え方が素敵!
Posted by ブクログ
女子中学校の親友同士の3人組。
ひとりがあることをきっかけにいじめられ、ふたりはいじめられないために加担させられ‥
2人の女の子を中心に、周りの家族やいじめる生徒側の視点から物語は進みます。
うう、苦しい。
理不尽の一言に尽きる‥でもいじめをなくすのは本当に難しいと改めて思う。
相談してくれたらと大人は思うけど、学校の世界は子供達にとってはきっと全てで、絶対になってしまう。
学校以外の居場所もあって、もっと柔軟に自分に合った場所で学べる選択肢が当たり前にある社会になるといいのに。
Posted by ブクログ
女子特有の嫌なイジメ。
有夢、ようこが主な語り手だが合間に担任教師や父親、いじめのリーダー、海の母親が語り手の部分もある。教師や父親はやはり違和感も分かっているがそれを見ないふりをしているのが語り手の時に分かる。いじめのリーダーは根本的な容姿も経済力も恵まれてる。だからこそ孤独な感じ。
海の母親は働き場の老後施設でいじめにあっている人と自分の娘を重ねていつか居なくなってしまうかもしれない不安を抱えながら、自分なりに向き合う改善方法をみつける。
どこの場所にも人を虐めることで自信を得たり自分の孤独を埋めたりする人がいる。
大人が子どもにイジメはダメですよいけないことですよって言ってても大人だってやっているんだからそりゃ無くならんよな、大きく言えば戦争がなくならないのと一緒なんだなって。
人間は他人より上であることに快楽をえてるから。
その中で支え合える人間を、手を取り合える人を。逃げていい。逃げて絶対にそんな奴らに捕まってはいけないと強く思った本だった。