【感想・ネタバレ】小説の読み方のレビュー

あらすじ

本書は、現代の純文学からミステリーまでの11作品を題材に、物語をより深く楽しく味わうコツを、人気小説家がわかりやすく解説。小説を読んだ後、SNSで、作品の感想を書いたり、意見交換ができるようになる1冊です。

「冒頭で、私は、動物行動学者のティンバーゲンによる『四つの質問』を紹介している。これは、文学に限らず、映画にも美術にも通用する問いであり、何かを鑑賞したあと、人とそれについて話をしたり、自分で感想を書いたりする際には有効な着眼点となるだろう」(本書「文庫版によせて」より抜粋)

<本書で解説する作品>
●ポール・オースター『幽霊たち』
●綿矢りさ『蹴りたい背中』
●ミルチャ・エリアーデ『若さなき若さ』
●高橋源一郎『日本文学盛衰史――本当はもっと怖い「半日」』
●古井由吉『辻――「半日の花」』
●伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』
●瀬戸内寂聴『髪――「幻」』
●イアン・マキューアン『アムステルダム』
●美嘉『恋空』
●フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』
●平野啓一郎『本心』

PHP新書版に、『罪と罰』『本心』の解説を新規追加し、再編集。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

小説とはなにか
究極の述語に至る過程で著者の思惑をどれだけ映すことが出来るかを楽しむもの
主語を充填するか、前進するか
プロットの舵の切り方と進路が力量を推し量れる指標となるものだと感じた。
これから小説を読む際は参考にしていきたい。

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2025年01月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

4つの質問
1.メカニズム → どうしてそうなっているのか?そう書いたのか?
2.発展→作者の歴史の中で、その本はどういう立ち位置
3.機能→作者と読者にとってどういう役割を果たすのか
4.進化→文学史の中でどういう立ち位置なのか

大きい矢印(プロット)があり、それを進める小さい矢印がたくさんある。この矢印は、主語と述語の述語から方向性が分かる。

また、述語には2種類あって
1.主語充填(深み)
2.プロット(速さ)
このバランスが読み応え、読みやすさに関わってくる。

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2024年12月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

⚫︎受け取ったメッセージ
小説を読む上でのアプローチの仕方がわかる本
実際の小説を用いての実践編が充実している
小説家による読み方指南であり、
大変興味深かった


⚫︎感想
絵画、音楽、芸能…芸術はただ漠然と受け止めて楽しむのもいいだろうが、枠組みをベースに味わうことは、その作品への理解が深まり、自分にとってとても有意義なものになる。一冊の本との出会いを大切にするためにも、読み方を知っておくことは大変有用だと思う。

一冊の本を読み、「なぜ」と考えることが、その作品や作家と向き合い、自分と向き合う時間となる


以下勉強になったこと。
2.4に関しては、意識的に考えていたが、
1.3については、個人的に意図して深めて考えたことはなかったなと思い、参考になった。

⚫︎小説を4つの質問から考える
1、メカニズム
作者の提示する一つの世界を動かしている仕組みについて理解しようとする態度で、これまでとは違った感動を味わえる

2.発達
1人の作家を追い、その作家のテーマの発展や変化の過程を追うと、気付きがある

3.進化
社会の歴史、文化の歴史の中でのその作品の位置付けを考える。

4.機能
作者が伝えたいこと、読者が受け取るもの。その小説が、作者、読者双方に向けて持っている機能について考える。本のジャンル分け(ミステリー、ホラー、SF、恋愛…)は、この「機能」を単純化して示したものである。「この小説は、読者に対してどんな意味を持っているのだろう」「自分は、この小説と出会ったことで、どう変わっただろう」「作者は、この小説でどんな考えを深めたのだろう」…そうした小説のふるまいを考えるのが機能の問題

これら4つのアプローチから批評をするとわかりやすく、どういう点に着目して議論しているかがよくわかる。

⚫︎知りたいという欲求と主語+述語
⚫︎究極の述語への長い旅
⚫︎大きな矢印は小さな矢印の積み重ね
⚫︎主語になる登場人物
主題や主役が際立つように工夫する。
(絵画と似ていると思った)
⚫︎話の展開が早い小説、遅い小説
「主語充填型述語」と「プロット前進型述語」
⚫︎述語に取り込まれる主語
主語が人物像を他の登場人物や出来事によって補填される
⚫︎期待と裏切り バランス
⚫︎事前の組み立てと即興性
⚫︎愛し方に役立てる

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2024年01月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「機能」というのは、ある小説が、作者と読者との間で持つ意味である。人間の優しさを伝えたいと作者が意図し、読者がそのように作品を受け止める。あるいは、自分を理解してもらいたいと思って小説を書き、読者がそれを読んで、少しだけ作者のことが分かったような気になる。現代社会の複雑さが映し出す。人間の心の暗黒面を追及する。いずれも、その小説が作者、読者双方に向けて持っている機能である。もちろん、作者の意図と読者の意図とが擦れ違ってしまうことは幾らでもある。
 この「機能」を単純化して示したものが、ジャンル分けである。
 小説は、ミステリーや恋愛小説、SF、ホラー小説など、様々なジャンルに分けられている。実際のところ、個々の作品は、それほどすっきりと分類されるわけでもなく、弊害が多いのがこのジャンル分けだが、にも拘らず、これがなくならないのは、読者がその作品の「機能」を知りたがっているからである。欧米の出版界でも、ミステリーなどは、「ジャンル小説」として扱われている。

 小説の登場人物たちは、どんな人間なのか、最初は当然分からない。社会的な属性や家族内での立場、年齢、性別、性格。良い人なのか、嫌なヤツなのか。かわいいのか、憎たらしいのか。先ほど例に挙げた、アリョーシャについての一文を思い出してもらいたい。
「アリョーシャは、ほかの者たちと逆の道を選択しただけで、すぐにでも偉業を成しとげたいという熱い思いに変わりはなかった。」
 ここに見られる述語は、修道院に入ったアリョーシャという登場人物がどんな人間か説明したものである。一方、ドミートリ―についての一文を参照されたい。
「ミーチャはすぐに窓に駆けより、ふたたび部屋のなかを眺めだした。」
 これは、主語となっている登場人物の行動を表しており、具体的には、後に容疑をかけられる、父親が殺された晩に、その家に忍び込んでいる場面だ。ミーチャ(ドミートリ―)が、どんな人間かを説明する述語ではない。
 ここで、プロットという<大きな矢印>と、この一文ごとの<主語>+<述語>との間に見られる<小さな矢印>との関係を見てみよう。
 アリョーシャについての一文は、プロットを前進させるものではなく、その述語は、助詞を挟んで、主語に向かって<↑>向きに作用する(主語充填型述語)。
 他方、ドミートリ―の一文は、プロットの<大きな矢印>と合致しており、述語の記述は<↓>向きに機能し、プロットはこれによって一歩前進する(プロット前進型述語)。
 一般に、「話の展開が遅い」とされる小説には、ピックアップされる主語が多く、更に、文章に主語充填型述語が多い。逆に「展開が速い」とされる小説には、「誰某と会った、どこどこに行った、……」と行動を意味するプロット前進型述語が多い。

 先が読めるというのは、つまらない小説の典型として語られるが、登場人物の思うことや考えること、更には言うことなすことがいちいち世間並みで、予想通りだと、ああ、やっぱりとがっかりしてしまう。この小さな失望が続くと、最後に辿り着くべき<究極の述語>も、どうせこんなことだろうと冷めた気持ちになってくる。
 かといって、<小さな矢印>の先が、あまりにも突飛なものばかりだと、それはそれで「そんなバカな」と読者をシラケさせてしまう。登場人物も、生きた人間という感じがしなくなってきて、感情移入できなくなるだろう。
 読者の予想をうまく裏切りながら、しかし、突飛すぎるものにはしない。そのさじ加減こそ、作者の語り口のうまさが試されることになる。

 この小説では、「漱石」という名で指示されている<何か>は、単純化すると、「コンセプトをきちんと決めないで書き始める作家」、「鴎外」と名づけられた<何か>は、「コンセプトを決めてからでないと書けない作家」として、いわばモデル化されている。
 そういう「漱石」は、たとえば、『吾輩は猫である』を書いたような夏目漱石だ。最初の章だけで終わるはずだった小説を、なんとなくそのまま続けて、あんなに長くなってしまったのが彼のデビュー作だった。それに対して、デビュー作『舞姫』を書く前の鴎外は、当時ドイツで刊行されていた最新のヨーロッパの小説を何十冊も読破して、「小説かくあるべし」と準備万端の状態だった。
 小説家は、結局、いつもその両極の間を売れ動くものだ。「小説とは何か」というのは、どんな時代にも、小説家を襲う疑念である。しかし、そのことを思いつめていると、必ず書けなくなってしまう。そこで他方では、「とにかく書く」という態度が絶対に必要になる。その間の行ったり来たりが、小説家の一生だ。

 述語の二分類をここで改めて思い出してもらいたい。主語充填型とプロット前進型。
『ゴールデンスランバー』の場合、取り分け、主語を充填するためだけに機能する述語が非常に少ないのが特徴だ。そのために、助詞を挟んだ小さな矢印が、常に前へ、前へと向いている。主人公が、極平凡な青年に設定されているために、内面描写の停滞感がなく、複雑な心理を説明しない分、主語の空洞は、感情移入する読者が各々で充填できるようになっている。
 もちろん、このプロットを前進させる細かな矢印は、単調な運動はせず、非常に小回りの利くコーナーリングで読者を翻弄する。

『蹴りたい背中』の登場人物たちが、まだ高校一年生だというのとはまた別の理由で(?)、『恋空』の途上人物たちは、驚くほど勉強の話をせず、進路で悩んだり、受験勉強で苦しんだりする様子がない。時間軸には未来が存在せず、そのために、過去の整理は、常に現在と結ばれたところで「矢印」がストップしている。
 そして描かれるのは、ひたすらコミュニケーションのみであり、帰属意識を巡る『蹴りたい背中』の物語と比して、その過酷さはほとんどサヴァイバルの様相を呈している。
 大人になって、仕事や趣味の比重が大きくなると、相対的にコミュニケーションの頻度は低下せざるを得ない。毎日友達や恋人に会っていては、やりたいこともできなくなってしまうし、それがストレスとも感じられるだろう。コミュニケーションから束の間遮断されることで、没入できる何かがある。
 ところが『恋空』の世界では、仕事や趣味の成果に期待されているような他者からの承認が、すべてコミュニケーションに担わされているため、友情や愛情が、過重な負担にずっと喘いでいるような状態だ。
 放課後の部活動を学校が推奨するのは、生徒の自由時間を管理する目的以外に、未熟なコミュニケーションへの負荷を軽減する意味もあるのだろう。

 ドストエフスキーの小説が、後世に多大な影響を及ぼす素晴らしい小説と評価される理由は、どの作品にも、「アポリア」が含まれている点だろう。アポリアとは、哲学的には、一つの問いに対する答えとして相反する二つの見解が成立する場合を意味するが、一般的にどうしても解決できない難問のことだ。
 このアポリアがなければ、文学にはならないというのが、私の意見である。理屈で説明できる問題をテーマにすると、どんな物語を書いても簡単に割り切れてしまう。しかし、文学である必然は、解決できない問題に取り組むことができる、ということにあり、そのアポリアに向かって書き続けることで、言葉は熱を帯びていき、その熱が読者にも伝わっていく。
 たとえば、ラスコーリニコフが例に挙げるナポレオンは、多くの人間を殺したにも拘わらず英雄視されている、だったら、世の中を進歩させるために、「しらみ」のような強欲な金貸しの老婆を殺したところで、何が悪いのか? こうした理屈で罪を正当化するラスコーリニコフは、ある意味、非常に単純だが、しかし、彼のこの問いに読者は虚を衝かれるのである。

 小説を書き始める前は、第1部でドストエフスキーについて説明した通り、モヤモヤした想念や感情が渦巻いている状態だ。その漠然とした想いや感情を、それぞれの登場人物たちに割り振って代理させて、表現しながらモヤモヤが整理されていく。このプロセスは、名前を付された人物やキャラクターが立ち上がっていくプロセスでもあり、その際、逆に言葉そのものが私の想像した世界意味を与える役割も果たしている。

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2022年12月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

速読が流行る中、本書は「スローリーディング」を軸に、小説をどう味わうかを提示している。

印象に残ったのは「述語」の二種類――主語を説明するものと、物語を前進させるもの。これを意識するだけで小説のテンポの違いが見えてくるのは大きな発見だった。

一方で、理論編と実践編のつながりがやや分かりにくく、登場人物が多い小説の攻略法が示されていないのは残念。そこで自分なりに「人物を主語として整理し、述語の役割で物語を動かす人物を見極める」という読み方を提案したい。

小説を論理的に読む試みとして刺激的な一冊。自分なりの読み方を模索するきっかけになった。

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2025年09月21日

Posted by ブクログ

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後半の具体ケースは読んでいないが、小説とは正式でない物語であること、観点のフレームとして、①メカニズム、②発達、③機能、④進化はわかりやすい。プロットの大きな矢印と小さい矢印のバランスはまさにアートだなと思った

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2024年03月31日

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