【感想・ネタバレ】「猪木」のレビュー

あらすじ

[内容紹介]
“闘魂"を50年撮り続けた写真家の記憶と記録

【アントニオ猪木推薦】
元気ですかーッ!
元気があれば何でも出来る、
僻地も、危険も、顧みず、素晴らしい写真を撮ってくれました!
その一瞬一瞬が人生の宝になる!

【古舘伊知郎氏と著書のスペシャル対談も掲載】
「俺は寒風吹きすさぶ66年11月21日、東京プロレスの板橋焼き討ち事件の時にその場にいたんだよね。お目当てのアントニオ猪木も出ず、暴動が起きて、火が放たれているというとんでもない状況で落胆が半分、もう半分はそういう現場に臨んでいる自分に興奮していたよ」―古舘
「私は十数年前、猪木さんに呼ばれて旧ホテルオークラに行ったら、“俺の死に際を撮ってもらいたい。でも、別に自殺するわけじゃないんだ"と言われたんですよ。あの言葉の意味は何だったのかなと…」―原

[目次]
第1章 初めて猪木を写真に収めた日/第2章 至近距離で目撃した〝世紀の一戦〟/第3章 打ち上げに現れた〝独眼竜〟猪木/第4章 目の前で起きた「舌出し失神事件」/第5章 東京体育館の天井から撮影した「延髄斬り」/第6章 巌流島で感じた「闘いのロマン」と「男の切なさ」/第7章 英語で話しかけてきたイタリアのパキスタン人/第8章 〝伝説の革命家〟フィデル・カストロ議長が流した涙/第9章 感動的だった「人質解放のダァーッ!!」/第10章 素直に、見えたままに猪木を撮る/第11章 猪木は北朝鮮で「力道山」になった/第12章 印画紙に浮かび上がってきた「猪木」

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Posted by ブクログ

ネタバレ

G SPIRITSムックvol.17は
「アントニオ猪木を撮り続けた男」こと、カメラマン・
原悦生氏のノンフィクション。

原さんと言えば、伝説の猪木・アリ戦における「猪木の
ハイキックシーン」を押さえたカメラマン。若かりし頃
から一貫して猪木を撮り続け、この本の記述によると猪
木本人から【死に際の写真】を頼まれているらしい。

この本の中には、僕も足を運び、なんならリングサイド
席で観戦した試合も多々含まれている。にも関わらず、
何故かリングサイドに入っている原さんをイメージ出来
ないのは、原さんがプロフェッショナルである証拠。
猪木の格好いい写真は、おおよそが原悦生撮影の作品な
のが凄い。

いわゆる「猪木本」の類は、これまで何十冊も読んで来
たが、この作品はそのどれとも違う【迫力】、そして
【説得力】がおびただしく溢れている。なにしろ、プロ
レスラーのアントニオ猪木だけでなく、政治家のアント
ニオ猪木の写真を世界中で撮影したカメラマン。元新聞
記者だけに文章も上手く、氏の切り取った“猪木”という
概念が、リアルに届いてくる。

ビックリしたのは、サッカーの写真でも超高名なあの原
さんが、今で言う「カメラ小僧」(^^;)だったこと。
団体の許可を取らずに勝手にリングサイドで撮影を行う
高校生、なんて、今の世では絶対に許されない。そこか
ら今の位置まで上り詰めたのだから、やっぱりこの人も
只者では無い。

考えたくは無いが、おそらく『アントニオ猪木の遺影』
は原さんの写真になると思う。出来ればそんなシーンは
観たく無いけど・・・。

0
2022年11月29日

Posted by ブクログ

450ページもあるが、原悦生さんは猪木と長く行動を共にしてきた写真家で、写真集に説明があるという体裁。
昔の写真はモノクロフィルムも多いのだろうが、近年の写真も含め全て白黒。
リング上での試合以外の写真や、政治家としての猪木の写真も新鮮で、他のプロレス本とは一線を画す。
改め、これはプロレス本ではなく、「猪木寛至」という人物の記録です。
とはいえ懐かしい試合の写真が満載で、猪木プロレスをずーっと見てきた人にとっては貴重な一冊です。

「プロレスラーはスーパーマンで強さの象徴なんだ。そして、同時にアート・芸術なんだ。その象徴がアントニオ猪木なんだ。」

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以下はレビューでなく、私のひとり言なので猪木ファンの人だけ「そんなこともあったね」と思って眺めてくれれば結構です。

第一章
猪木vsストロング小林戦は、私の誕生日に行われたこともあって良く覚えている。
当時は日本のトップレスラー同士の対戦はタブーであり、猪木vs大木の試合も興奮して見た。

第二章
1975年10月9日猪木vsテーズ戦。
この日は昼間にデパートで猪木のサイン会があり、色紙にサインしてもらった。
試合はテレビで観たのだが、開始30秒程でいきなりバックドロップをくらうという演出が印象的だった。
12月にビル・ロビンソン戦、翌年の76年2月のウィリアム・ルスカ戦を経て、76年6月26日猪木vsアリ戦が行われる。

ここで、ふと思う。12章もあるのに「猪木vsアリ戦」が第2章?まだ50ページ。まあ、読み進もう。

第三章
76年10月7日 蔵前国技館アンドレ・ザ・ジャイアント戦。
キーロックをかけた猪木を軽々と持ち上げ、肩の上に乗る形になった猪木がマスコットのように小さく見えた。
77年8月は、モンスターマン戦。
78年2月は、上田馬之助と5寸釘デスマッチ。
ボブ・バックランド、タイガー・ジェット・シン、ローラン・ボックらと戦っている。

78年に原悦生さんは藤波辰爾のメキシコ遠征に同行。猪木は行っていない。
ここを主戦場としていたグラン浜田だけでなく、メキシコで武者修行中の(3年後にタイガーマスクとなる)佐山サトルにも会っている。
他に、カール・ゴッチ、ルー・テーズ、キラー・カーン(当時はテムジン・エル・モンゴルだった小沢正志)なども集まっていた。

79年8月は、夢のオールスター戦 馬場・猪木vsブッチャー・シン
(極真空手のNo.1クマ殺しの)ウィリーウィリアムス戦なども行っている。
この頃が猪木のプロレスラーとしてのピークに近いと思っている。

第四章~

IWGPでホーガンのアックスボンバーをくらった猪木「舌出し失神事件」の頃。
翌年のIWGPは、長州が乱入し場外に落ちた猪木とホーガンの両者にラリアットを見舞うという茶番劇を演出した。

この先は、次第に猪木プロレスが見せられなくなり、後継者作りの時期になる。
政界進出を含めて取り上げられた話題をズラズラと書いておく。

猪木・谷津vsハンセン・ブッチャー 谷津がボコボコにされた試合。
アンドレvsハンセン 田園コロシアム 伝説の試合。

81年 猪木vsハンセン NWF王座決定戦がメインで客を呼んでいた。
メインを完全に食ったのが、セミファイナルのタイガーマスクvsダイナマイト・キッド。
入場時は馬鹿にした笑いまで起きた、タイガーマスク初登場の衝撃的試合。私も興奮した。

蔵前国技館の最終戦 猪木vs長州
両国国技館の初戦 猪木vs藤波 の予定を直前に変更した 猪木vsブロディ。ブロディとはかみ合わない。

IWGPタッグ 優勝候補のブロディ・スヌーカー組が試合当日にドタキャン。
急遽 猪木・坂口vs藤波・木村 が優勝決定戦となり、藤波が猪木に初フォール勝ち。

原悦生さんは、ワールドカップを見たいので半年間の休職届を出すも、認めないと言われ会社を辞めたのがフリーランスになったきっかけ。
マラドーナの神の手も現地で観ている。

前田vsドン・中矢・ニールセン
猪木vsレオン・スピンクス

猪木vsマサ斎藤 ノーロープ手錠デスマッチ
この後、昭和62年10月4日 猪木vsマサ斎藤 無観客・時間無制限 巌流島の戦い。猪木は2日前に倍賞美津子と離婚していた。
 
待ちに待った黄金カード 猪木vs長州。リング上にはなぜか北野武 当然の「たけし帰れ」コール。
猪木vs長州戦6分の反則裁定の後、突然の 猪木vsビックバン・ベイダー戦追加 しかも僅か3分で猪木フォール負け。もちろん大暴動。

中田英寿がプレーをするようになるまで、イタリアで最も有名な日本人だったのが猪木。

1989年 ソ連の格闘家の開拓 猪木vsチョチョシビリ 裏投げ3連発で猪木の負け。

スポーツ平和党「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」の古舘伊知郎の標語で、政界に殴り込み。

福島で公演中に暴漢にナイフで頭を切り付けられる。

ブラジルでは(原悦生さんが)ジーコに会い、「日本に来て、サッカーを教えて下さい」と言ったら、まさかのJリーグ入り。
ジーコはセリエAにいたころ、イタリアで放送される新日本プロレスの試合を見て猪木をよく知っていた。

アントン・ハイセル、アントン・リブなどプロレス以外にいろいろ手を出す。

イラクのクウェート侵攻で、中東危機・湾岸危機と言われた時期。国会議員は誰も行かない。外務省もかかわるのはやめとけとしか言わない。
サダム・フセインが、人質をイラクの軍事施設に確保し攻撃を避けるための人間の盾としていた。
そんな時に猪木は平和の祭典としてプロレスを行う、そして人質を日本に連れて帰る。
猪木という人間の持つ力を感じた出来事だ。

BIそろって同日(もちろん別会場)の30周年記念試合。タッグパートナーも申し合わせたよう。
新日は、猪木・シンvsベイダー・浜口
全日は、馬場・ブッチャーvsアンドレ・ハンセン

猪木vs天竜 身体の張りもなく、筋肉の衰えも見て取れる猪木の敗戦。天竜は馬場と猪木の両方に勝ったレスラーとなる。

猪木vsムタ(武藤でないのは、緑の毒霧を浴びるため)
猪木vsルスカ(50歳) 初対決から18年のお約束的試合

力道山繋がりで、北朝鮮でも平和の祭典プロレス興行を強行。
猪木vsリック・フレアー モハメド・アリも駆けつける。猪木の気持ちの引退試合「ガウンは平壌に脱いできた」と発言。

本当のレスラー猪木の引退に向けた試合。卍固めも延髄切りも原爆固めもフィニッシュ技にできない。
猪木vsタイガーキング(佐山サトル) グラウンドコブラで勝利 最も評価するレスラーは佐山だと猪木談
猪木vsドンフライ 引退試合 グラウンドコブラで勝利

猪木vsドリー が一番だったと猪木本人談

村松友視「私、プロレスの味方です」新日本プロレス、猪木プロレスの解体新書。私もこれが最初に読んだプロレス本。

馬場がいることによる猪木映え。確かに、馬場がいなかったら今の猪木像はないかも。

現在の猪木の病気の薬「ビンダケル」、「ビンタ」と「蹴る」。

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2022年08月06日

Posted by ブクログ

2022.0717受領。猪木ってやっぱり人を引き付ける何かを持っていたんだな~とわかった。リック・フレアーがアリの前では緊張して直立不動になり「サー」と呼んでいたというシーンには笑ってしまった。

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2022年07月23日

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