あらすじ
長い戦乱をへて平和がもたらされた近世とは,世代から世代へと〈知〉を文字によって学び伝えてゆく時代の到来であり,そうした「教育社会」こそが,個性豊かな思想家を生みだした.朱子学から,山崎闇斎,伊藤仁斎,荻生徂徠,貝原益軒,心学,そして国学まで,〈学び〉と〈メディア〉の視点から広くみわたす江戸思想史入門.
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生徂徠、貝原益軒、石田梅岩、本居宣長、平田篤胤、中村敬宇、中江兆民.一度は聞いたことのある名前だが、経歴や著書、さらに思想的な背景などを、これだけ詳細に読んだのは初めてだったが、非常に刺激を受けた.漢文の素読がある程度の家庭では子供たちに強制された江戸時代だとの論評もあるが、上記の人物ではそのようなステップに恵まれなかった人もいる.独学だ.それだけ書物が普及してい事も驚きだが、そこまでして知識を吸収していった人たちも素晴らしい.現代の学校の機能不全を「終章」で指摘しているが、非常に重要な観点だと感じた.
Posted by ブクログ
『江戸の学びと思想家たち』を読んで、素読という学びの深さに強く感銘を受けた。
著者が「テキストの身体化」と表現しているように、言葉を声に出して繰り返し読むことで、知識が単なる情報ではなく、身体の一部として染み込んでいく。
その蓄積が、後に思想や哲学を生み出す土壌になったのだと思う。
貝原益軒のように、膨大な知識を整理し、誰にでもわかる形で伝える努力こそ、真の学びの到達点だと感じた。
私自身も、日々の読書や執筆を通じて学びを自分の言葉として体に刻み、社会に還元できるような人でありたいと思う。
江戸の学びは古くて新しい、生きた知の実践だった。
Posted by ブクログ
闇斎→仁斎→徂徠→益軒→梅岩→宣長→篤胤の順で、漢籍、倫理などの学びがどのように変遷していったのかを、簡潔にわかりやすく。素読百回か、カリスマ的な師の喝を受けるか、同好の士と談論風発が良いか、という軸と、経世の学を求めるのか、魂の沈静を求めるのかという軸が、くるくる回りながら江戸時代が流れて行く。
Posted by ブクログ
江戸時代の「知」は「書く」ことから始め、四書五経を素読(暗記)し、講釈・演説と出版物が「知」を広めた、とある。 その「近代の知」から現代のインターネット社会でのデータ・知の共有、AIとの関連など「未来の知」はどうなるのだろうか。教育では年齢別の授業も変化し、若い博士(10代でも)専門家が現れ、世の技術革新が数倍以上に加速し、人間の「知」がAIロボット支流の世になるかもしれない。
Posted by ブクログ
江戸時代の思想家の、特に教授法がよくわかる。時代のメディアとの関連で考察していることが興味深い。もちろん、各思想家の概略も説明されているが、より詳細には巻末の参考文献に頼りたい。今まで、あまり縁のなかった分野であるが、本書をきっかけに学んでいきたい。学び、そしてその身体化において、基本は、いつの時代においても読書(素読であったとしても)にあるを思う。索引があるとよかった。
Posted by ブクログ
維新ものを読んでいて、改めて江戸社会における儒学者たちに興味が向いたので、知っている著者で手に取った一冊。
近世儒学者たちの思想が、論旨である学びの型という視点から分かりやすくまとめられており、詳しくないわたしにも一人一人の考えが概観できる内容だと思った。
個人的には最終章で取り上げている明六世代について、もう少し厚みがあると論旨が一層際立ったと思う。他の章で取り上げている人物たちと比べると、少し物足りなさを感じた。
しかし、近世の思想の潤沢さについて改めて気付かされたし、知の身体化という観点自体から学びを見つめ直したときに、考えさせられることは多い。
やはり、歴史を通じて生きている今を相対化するという活動は大事なのだと感じた一冊である。
Posted by ブクログ
型の喪失の近代化。
石田梅岩、マスローグ。
やはりデータと統計処理の意味を見出せるまでの、ほんの助走が近世からだった。
今はもう、単なるデータ抽出レベルでは、立ち行かない環境になってるか。
Posted by ブクログ
<目次>
序章 知のつくられ方
第1章 「教育社会」の成立と儒教の学び
第2章 明代朱子学と山崎闇斎
第3章 伊藤仁斎と荻生徂徠
第4章 貝原益軒のメディア戦略
第5章 石田梅岩と石門心学
第6章 本居宣長と平田篤胤
終章 江戸の学びとその行方~幕末から明治へ
<内容>
日本の教育と儒学の関わり、そこから離れていく国学などを説いた本。儒学の教育の仕方=「素読」。貝原益軒はメディアを使って出版化し、儒学を易化。石田梅岩(それよりも手島堵庵か?)は音読に。国学は両者を取り入れて、明治になっても漢学の素養が、国家を牽引していった要素だったようだ。