あらすじ
戦後、日本の歴史学においては、合戦=軍事の研究が一種のタブーとされてきました。
このため、織田信長の桶狭間の奇襲戦法や、源義経の一ノ谷の戦いにおける鵯越の逆落としなども「盛って」語られてはいますが、学問的に価値のある資料から解き明かされたことはありません。城攻め、奇襲、兵站、陣形……。歴史ファンたちが大好きなテーマですが、本当のところはどうだったのでしょうか。本書ではこうした合戦のリアルに迫ります。
■第一章 合戦の真実
■第二章 戦術――ドラマのような「戦術」「戦法」はありえたか
■第三章 城――城攻め・籠城・補給・築城
■第四章 勝敗――勝利に必要な要素とは
◎内容例
本当に軍師は存在したのか?
川中島の戦いの勝者を考えるポイントは?
奇襲は有効だったのか?
なぜ城攻めをするのか?
各城にどのくらいの兵力を置くか?
お粗末すぎる日本の城壁
合戦のコストを考える
大将の討死は実は少ない
関ケ原の戦いと指揮系統
ほか……
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
2022/4/22
本郷さんの歴史解説の新書はとてもわかりやすくて、勉強になるなと思っていつも読んでいます。
合戦や戦いはこれまでの歴史の中で、戦術や、過度に美化された戦場でのエピソードなどばかりに注目が集まって、合戦の実際に着目してなされた研究が意外と少なかったことを指摘されていました。
思えば確かに…と思いつつ、なぜ今日までそうした面での研究が十分になされてこなかったのか、そもそも合戦は実際にはどうだったのかと、この本を通して、より深い合戦のことを知ることができるのではないかと思います。
大前提としてあるのは「合戦に参加しているのも人である」ということ。
命が惜しいやる気のない人だっていたり、戦術の得意な人もいれば、苦手な武将だっていた。戦略を誤ったり、的確に戦場の状況を見極められることが出来るものもいた。
戦争へと突き進んだ日本が、いつのまにか皇国史観へと走り、少数で多数を倒すことこそ素晴らしく、そこには素晴らしい他を驚かせるような戦術があった…という幻想を、この本ではある意味打ち砕いてくれると思います。
合戦のそもそもの目的は何なのか、何をどうすれば勝利又は敗北なのかというような、根本的な部分で歴史上の合戦について考えていくことができ、人間のよりリアルな同時の様相を感じることができる、考えることができるような一冊だと思います。
Posted by ブクログ
古今東西の合戦の実態を研究した本になります。
「軍師は本当に存在したのか」「奇襲は有効な手段なのか」などを現実的に考察している点が非常に興味深かったです。
Posted by ブクログ
日本の「合戦」、具体的には戦国時代を中心とする大名同士の戦争について、戦法、動員兵力、攻城籠城戦などについて分析している。このような「軍事」については、戦後日本の歴史学では研究されてこなかったため、未だ研究余地の大きい学問分野であるらしい。
本書では、「合戦」の勝敗はいかなるものか、つまり、局所的な戦闘の優劣ではなく「合戦」の目的・意図を達成した・しなかったのはどちら側かという視点が重要という点は新たな発見であった。また、勝敗を決定する基本要素は戦力の多寡であることや、兵站の重要性という点もなるほどと思わされた。そのような意味で、戦闘のリアルを実感することができた。
Posted by ブクログ
<目次>
第1章 合戦の真実
第2章 戦術~ドラマのような「戦術」「戦法」はあり得たか
第3章 城~城攻め・籠城・補給・築城
第4章 勝敗~勝利に必要な要素とは
<内容>
確かに戦後期の流れから、戦争史の研究は薄い。シロウトのずさんな読み物があるだけだ。プロの研究者として、こうした本で啓蒙してほしい。新書なので読み物レベルだが、きちんと見定めているものだと思う。
Posted by ブクログ
合戦、とは何だったのでしょうか。
日本は第2次世界大戦に負けたから、そこから戦争はタブーになった。
だから軍事研究はなかなか進まなかった。
戦争をしないためにも研究は必要かなと思います。
Posted by ブクログ
合戦は奇襲作戦や強い武将などのこの力が強調されがちだが、実際は生身の人間同士の殴り合いなのだからゲームや本のようにはいかないよ、という部分は同意で、士気の上げ方や兵站や指揮命令系統が大事なのはよく分かった。
ただ、本書ではこういった軍事研究が日本ではタブー視され空白となっているとのことだが、あまり内容に新規性がないように思えたので、空白というよりはすでに分かりきってること、、世界では研究されつくしてるから今更、、ということなのかとも思った。
戦国武将のリアルを想像しながら読めて、文章も分かりやすく、その点は面白かった。
Posted by ブクログ
最近5年間で興味を持つようになった分野に「地政学」があり、同じような時期からこの本の著者である「本郷和人氏」の本を追いかけるようになりました。彼は私が今まであまり触れることのなかった「中世日本史」の面白さを解説してくれました。
その本郷史がなんと、地政学の観点から解説した本を出されました。本の中で日本の学会では、太平洋戦争の後からしばらく(つい最近まで)地政学を研究することはタブーとなっていたようです。それが解禁されたのがおそらく5年ほど前だったのでしょうか。
この本では今までの歴史の事件を、地政学の観点も含めて、実際に戦闘に参加させられた多くの人(いわゆる武将でなく農民兵)がどのような気持ちでいたのか、それを知った指揮官がどのように彼らの士気を上げていたのかが開設されています。それを読むと、豊臣秀吉が一代であのレベルまで上り詰めることができたのかがよく分かりました。また、戦争には「お金」が必要で、その経済力が重要であることも理解できました。
本郷氏の本を読むことで、実際にその時代に生きていた一般の人たちの思いがわかるような気がするので、これは社会人生活にも生かすことができるなと感じました。
以下は気になったポイントです。
・戦国時代になると集団戦が基本になり兵力は大規模な人数が動員されるが、幕末・明治維新の頃になると戦いに動員される数はガクンと激減する。これは、平安後期から鎌倉時代の合戦と同じように基本的には戦いのエキスパートである武士しか動員されないから(p22)
・当時(戦国時代)は太平洋側の海上交通は波が荒く危険視されており、日本海側の海上交通が交易ルートとして重宝されていた。そこに面している直江津を押さえておくことは上杉謙信にとって重要であった、日本海側で作られている焼き物を積み、蝦夷地で売買する、そこで仕入れた海産物をつみ直江津へ戻る、さらに越後では青そ、と言う植物が作られており、それを荷としてのせた船が京都へと行く。青そは、木綿が一般になるまでは衣服の原材料として重宝されていた(p53)
・川中島の戦いにおいて、武田は北信濃を含む信濃のほぼ全域を制圧していた、だからその北信濃を奪いたいと責めに来たのは上杉謙信の方である、つまり攻める側は上杉、守る方は武田となる、目的も北信濃をどちらが得るのか(p55)重要なのは、その合戦の目的とは何か、そしてその目的が達成されたのか否かと言う点に尽きる(p58)
・西暦600年の日本の人口は、600万人程度、1600年で1200万人程度、つまり1000年で人口は倍にしかなっていない、中世の頃は1000万人程度(p62)
・一騎打ちをする武士たちにとって重要なのは、まず馬術、そして弓矢の技術、弓の勝負で決着がつかなければ相手を取っ組み合いになるので力は強いほどよい。すなわち、鎌倉時代初期までの武士の理想像は、馬術が巧みで、弓の扱いに秀でている、そして大力であること、刀で切り合うチャンバラの要素はどこにもない。一対一の命のやり取りに唯一割り込めるのが「一の郎党」とも呼べる、主人と一心同体の家来である(p72)
・総力戦が始まるようになると相手よりも多くの兵を準備できた方が合戦に勝利する、合戦の勝敗を決めるのは戦場だけでない、準備の段階から勝負が始まっている。つまりより多くの兵を養える経済力があるものこそ、合戦の覇者となる(p76)
・何のために戦うのか、誰と戦うのか、どうすればその戦いは終結するのか、これが全て戦略の問題となる、これは合戦の勝敗の大前提とも直結する(p95)
・勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、と肥前国平戸藩の藩主、松浦静山は言っている。これは2020年に亡くなった元プロ野球監督の野村克也氏が自分の著書でよく用いたことで有名になった(p108)
・戦場での死に方として多い順に、1)鉄砲で撃たれる、2)弓矢で撃たれる、3)馬に踏みつけられる、刀を持って接近戦できりあって死ぬことは少ない(p115)
・合戦の褒賞は各家単位で行われるものなので、各家からきた兵士をバラバラに配置すると、褒賞を与える際に判断に困ってしまう。ですから、兵種別の編成とはあくまでも机上の空論に過ぎない、リアルな合戦ではそんな編成の仕方はまずできなかったと考えられる(p124)
・一騎討ちだった鎌倉時代初期までの戦いでは、相手の命を奪うことが目的とされたが、戦国時代になり集団戦・総力戦になると、相手の利益や権益を奪うのが目的になった、これは敵の命を奪うための城攻めから、敵が持っている経済的な利潤を奪うための城攻めというのと似ている(p165)
・城に立て籠もるというのは、後詰として他から援軍が来るまで耐え忍ぶということが作戦のメインになる(p170)
・1万人の軍勢を一月動かすだけで、現代の価値で1億円以上かかったと思われる、軍事は経済である(p173)
・江戸時代の初期において、1万石の領地を持っているものは、鉄砲隊20、槍隊50、弓隊10、騎馬隊14、旗持ち3となっている。戦国時代と比べて軍役は半分以下となっている(p242)
2022年3月26日作成