あらすじ
現在も続く老舗の頑張りから、伝説の名店の思い出まで。
グルメ、ショッピングに個性的な建物……。
当代一のコラムニストが東京文化の変わらぬ姿を記す、“銀座街並細見”エッセイ。
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Posted by ブクログ
街をブラブラするのは楽しい。銀座をブラブラすることを「銀ぶら」と言うが、誰が言い始めたのか気になる。
諸説あるが、昭和の初めに刊行された銀座案内の本「銀座細見」の著者の安藤更生によると、大正4、5頃からだ。虎の門の「虎狩り」などと一緒に、都会生活に対して、特別警抜な才能をもっている慶應義塾の学生たちから生まれてきた言葉だそうだ。
著者の泉麻人は、初めて銀座に連れて行ってもらったのは、幼稚園児だった1960年頃と記憶しているそうだ。
最初に文房具店「銀座・伊東屋」を取り上げている。1904年創業の文房具で有名な店だ。泉は好きな手帳があり歳末恒例の銀座散歩にしているそうだ。そのお気に入りの手帳は、アメリカ製のAT-A-GLANCEで、カレンダー型のマス目に毎日のスケジュールを書き込むスタイルとなっている。
伊東屋が開業した当時のヒット商品は何かと言うと、日露戦争がらみ身の絵ハガキだった。かつての伊東屋はデパートのようだった時代もあった。
1930年に誕生したビルは、地上8階で地下2階の鉄筋コンクリート、ネオルネッサンス様式の建築だった。B1Fにはなんと千疋屋フルーツパーラーがあり、3Fにはカメラ、4Fには貴金属、7Fには吉行あぐり美容室もあった。吉行あぐりは、吉行淳之介・和子の母親で、当時の銀座有名人だった。
泉が子供時代を振り返ると銀座数寄屋橋にある不二家は外せないようだ。不二家は1910年に横浜の元町で藤井林右衛門が洋菓子店を始めた。
不二家と言えば浮かぶのは「ペコちゃん」だが、意外と誕生は新しく、1950年だった。
1964年の東京オリンピックの頃開高健はルポルタージュ「ずばり東京」の連載で、銀座の不二家を取り上げていた。1963年のクリスマスには2日間で約28万個のクリスマスケーキを売ったとある。東京の洋菓子店で約250万個売れたそうだ。
当時の不二家は、アニメやドラマのスポンサーになっていて、クリスマスケーキの売上に貢献したようだ。
今度、銀ぶらするときは、この本で読んだことを思い出しながら巡ってみるかな。