あらすじ
ナチによるユダヤ人虐殺といった史実について、意図的に歴史を書き替える歴史修正主義。フランスでは反ユダヤ主義の表現、ドイツではナチ擁護として広まる。1980年代以降は、ホロコースト否定論が世界各地で噴出。独仏では法規制、英米ではアーヴィング裁判を始め司法で争われ、近年は共産主義の評価をめぐり、東欧諸国で拡大する。本書は、100年以上に及ぶ欧米の歴史修正主義の実態を追い、歴史とは何かを問う。
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23 陰謀論の特徴 証拠を必要としない
証拠がないこと自体が、真実の隠蔽の結果として説明される
43 ニュンベルク裁判が歴史修正主義を生んでしまった
歴史修正主義とは、完全に根拠のない主張により組み立てられるのではなく、事実も盛り込まれている 単なる暴論ではない
49 言葉の選択 それによる犯罪性の希釈
52 アイデンティティの喪失をうたうなど
未来の問題として歴史の修正の必要性を訴える 正義 倫理として議論が展開
70 歴史修正主義は、人々に認識の揺らぎを呼び覚ますことを意図している
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歴史修正主義について、経緯、問題点、否定論との違い、確立している法制度などが分かりやすく説明されていて、歴史学とは縁遠い自分でもとても分かりやすかった。
歴史学自体が、研究者の解釈やその時代が共有する価値観の影響を受けるものであり、歴史修正主義はその前提を都合よくきっかけとしている事や、取るに足らないデタラメな内容であっても、それが誤りであることを証明する事の労力がばかにならない事など、改めてよく理解できた。
今読んでいると、イスラエルが進めているジェノサイドをヨーロッパの中でどう扱っているのかニュースでは断片的に聞くけれども、歴史学者はどのように考えるのか、とても気になった。今現在起きている事ではあるので範疇にないのかもしれないけど、アルメニアの虐殺のようにヨーロッパから遠く、因果関係の薄い事象ではないと思うので。
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個人メモ
・イデオロギー要素なくフラット
・ナチス関連の記述がメイン
・ヴィシー政権へのフランス国内での複雑な評価を背景にドイツだけでなくフランスにかなりページを使ってる
・EU共通アイデンティティとしてのホロコースト認識
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歴史修正主義。著者はこれを、歴史的事実の全面的な否定や意図的な矮小化、一側面のみを誇張することなどと定義している。この主義に立つ人たちは、ランケ以降の可能な限り客観的にまた価値中立的に歴史を記述するという歴史学の合意事項を受け入れることがない。また主張の際にその証拠を示すことがない(むしろ、証拠を示せと繰り返し主張することさえある)。
従って彼らは、そもそも学問の枠内で議論する相手ですらないのだが、繰り返し主張することにより、当初取るに足らないようなものが「ひょっとして正しい主張なのかもしれない?」という印象をもつものに変化し得る。これは陰謀論などにも通じることであり、SNSなどで盛んに主張すると、同調する者が少なからず現れ、社会を不安定化する要因にもなると著者は指摘する。
では、学者でない我々のような一般人は、こうした歴史修正主義にどのような姿勢でいればよいのだろう。まず、学問の成果は尊重すべきだろう。すなわち、歴史修正主義のような主張があったり、そのような本が書店に並んでるような場合には、主張のソースがどのようなものか(あるのかないのか)、ある場合にもそれが主張する者の恣意的な解釈に依っていないかなど考慮する必要があるだろう。後者は、一般人には難しいかもしれない。しかし、関連するトピックの主張なり論文なりをいくつか当たれば、少なくとも多様な見方が存在することがわかり、それらの見方の一つに過ぎないことくらいは分かるだろう。我々一般市民も、昨今は特に情報を分別する力を求められていると実感する。
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「歴史修正主義」と書くと何か歴史学という分野の一つのような印象を受けます。
でも、この本を読むと、それはただ自分の思想というか政治信条を発言するだけの戯言だとわかりました。
歴史学というものは、事実を様々な角度から捉えて、過去の事象をより良く理解しようとするものです。
対して「歴史修正主義」は、結論ありきで、都合のよい言説だけをとりあげたり、そもそも、なんら証拠を提示しないものです。
このような「歴史修正主義」を信じている人が、いまの社会に一定数いる、ということが、哀しいというか、考えさせられます。
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近年、「もうひとつの事実」「フェイク」「陰謀」という言葉がメディアに頻繁に登場するようになりました。また、今年5月の対独戦勝記念日で、米ホワイトハウスのサキ報道官はプーチン大統領を「歴史修正主義者」と批判しています。本書は「歴史とは何か」という切り口から歴史修正主義の実態、発生、法規制、司法での争いを記した中公新書の力作。歴史修正主義概論入門書というような性質の本ですが、事例が多く、面白く読みました。
著者の武井彩佳さんの専門はドイツ現代史とホロコースト研究。したがい、本書は主にヨーロッパで発生した事例がメインであり、慰安婦問題といったアジアにおける歴史問題は触れられていません。
本書で記されているのは下記の通りです。
1)歴史学の観点から歴史とはどのように記されるのか、その基本的な姿勢や手段についての記述。
大雑把に言えば「歴史学とは過去が全体としてどうであったかを示す学問であり、一点から、一個面からのみ解釈することはしない。また複数の証拠を付き合わせることで判断する。これには専門性と長年の訓練が必要とされる」。一方、歴史修正主義は全体を見ず、ごく一部しか見えていないにも関わらず過去を結論付けてしまいます。「自分の考えと矛盾する事実は単純に無視することが多い。学術的には極めて適切であるだけでなく、事実に対して不誠実なのだ」。
さらに「最初から事実と異なる歴史像を広める意図で、あからさまに真実を指定する主張を欧米では歴史修正主義ではなく否定論と呼ぶようになっている。日本では歴史修正主義と否定論は必ずしも区別されていない」。例えば、「ホロコーストは存在しなかった」という類の主張が否定論です。
2)ナチズムとホロコーストについて歴史修正主義(および否定論)は何を目的としどのような形態で現れたのかを検証。「中でも1980年代以降にホロコーストの否定が拡散し、これに欧米社会が対応を迫られる経緯」を追います。この部分は非常に面白いと思いました。ドイツ親世代の自己防衛からくる問題となる歴史の矮小化、イスラエルの軍事強国化がきっかけのようです。ただ、その動機にはサルトルの「反ユダヤ主義は情熱である」を引用して、合理性はないと分析します。
「歴史が被告席に」置かれたとするアーヴィング裁判については詳述されています。歴史改竄の方法は興味深く、ちょっと笑える箇所もあります。
3)現在、欧米社会は歴史修正主義や否定論とどのように向き合っているのか?
欧州では多くの国がホロコースト否定論を法的に禁止しています。それと言論の自由の侵害について考察します。
歴史修正主義者は自分たちにとって都合の良い過去を繰り返し、人々の認識の揺らぎを呼び起こすことを意図しています。ファクトとフェイクの間の境界が曖昧になれば、当然視されているあらゆることの土台が緩み、その上にある社会制度が軋む恐れすら生じると言われています。
SNSでいろいろな主張が拡散している現在、本書は読むべき1冊と思いますが、何よりも読み物として面白い本書はお勧めです。
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「アウシュビッツにガス室はなかった」「南京事件は捏造」「慰安婦はみんな職業的な娼婦」といった話しを耳にしたことがあるだろうか?歴史的な事実の全面的な否定を試みたり、意図的に矮小化したり、一側面を誇張したり、何らかの意図で歴史を書き換えようとすることを「歴史修正主義(revisionism)と呼ぶ。日本の団体の中には「歴史戦」などと叫び、歴史修正主義を「戦い」とする愚かな発言が物議を呼んでいる。
本書は、世界史が専門の著者が、あえて日本の歴史には触れず、世界史の中での歴史修正主義との闘いを、各国の情勢や司法の判断などの事案も交えて紹介する。ニュンベルグ裁判、ホロコースト否定論者の勃興とツンデル裁判、アービング裁判などを通じて、ヨーロッパです進む歴史修正主義への法規制が歴史的経過と共に整理される。
著者は、「歴史修正主義は、表面上は歴史の問題を扱っていても、本質的には政治的・社会的な現象であり、歴史修正主義はむしろ社会と民主主義との関係から考える必要がある。」との説明には、我々が考えるべき点ではないだろうか?
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ちょうど鎌倉時代の歴史を読んだ後に読んだ。歴史はいろいろと利用される。学術的なお勉強は騙されないために大切だな。
あと、歴史を歪めなきゃならんほどの体験をするってのもなかなか気の毒だと思った。
それと、確信犯的に嘘だとわかってて自分のために利用するの賤しいなと…
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この本から特に得たことは「特定の歴史言説が社会の前面に押し出されるとき、背後にある政治的意図や経済的利害を読み取るメディアリテラシーが必要となる」という部分だ。
特に、個人での発信が容易になった現代において、その人物が発信しているコンテキストも理解した上で、判断をするリテラシーの重要性が特に顕著であると思う。
この重要性を、歴史修正主義という視点から指摘した良書。上記なコンテキストも含め、善悪のような単純化された二項対立をわかりやすさから簡単に迎合する我々の弱さを認知し、それに対抗していく意思を持ちたいと思った
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新書では珍しく満点評価。とても良い本だった。最近の動向から歴史修正主義について知りたくなったのだが、ナチスドイツ以降、長い歴史修正主義の問題がある事を初めて知った。非常に勉強になったし、歴史学という学問にも興味を覚えた。良書。
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ヒトラー賛美、ホロコースト否定論を例に挙げながら、歴史修正主義の勃興、衰退について考察した新書。排外主義が台頭する近年において、この本は歴史というものがどのように形作られていくのか、なぜそれが真実として語り継がれることになるのか、手法的なアプローチを教えてくれる。
「フェイクニュースは無視」「ホロコースト否定=やばいやつ」のような雑な処理をすると、ますます勢力拡大を助長する羽目になるので、いかにして向き合っていくべきか、なぜこういった発想になるのかを理解する一助となる。歴史学は批判検証が絶えず繰り返されている学問だからこそ、陰謀論のような思考が停止した発想とも向き合っていく必要があるのだと思った。
表現の自由の制限の観点では、欧州と米国では法規制の度合いが異なる点も興味深い。ヨーロッパではヘイトスピーチをはじめ、表現の自由を制限するケースも少なくなく、ホロコースト否定論を唱えると違法なる場合がある。一方アメリカでは合衆国憲法修正第1条で表現の自由が言及されているように、言論の自由に対する介入は消極的な姿勢。
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歴史修正主義、いわゆる歴史否定主義について、ホロコースト否定論を主張する人についての裁判例を示したものである。日本のこともほんの僅かであるが言及しているものの、ほとんどがアウシュビッツを中心とするユダヤ人の虐殺について、これを否定する人の裁判を説明する。したがって、日本の歴史修正主義、例えば従軍慰安婦や南京大虐殺の歴史を否定する人の根拠について知ろと思って読む人には物足りないかもしれないが、欧米でのユダヤ人虐殺の歴史修正主義者の主張とその裁判を知りたいと思う学生には役立つであろう。
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歴史修正主義は、証拠の揃った定説を敢えて(無意味に)疑い、一面だけを切り取り、重要な点を無視する。また狡猾にも、完全に否定するのではなく「疑い」を提示するのに留めることで批判をかわす。
恥ずかしながら大学生の頃、そのようなインターネットを見て歴史修正主義こそ真実と思っていた頃があるが、あれは間違った態度であった。もちろん検証は続けられるべきだが、歴史学の蓄積に敬意を払う必要がある。
それはそれとして、時代や社会により受け入れられる言説は異なる。冷戦中か後か、私たちのアイデンティティ形成に対する重要性などがその判断に使われる。
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【感想】
日本では「歴史修正主義」という言葉を、日常の中で耳にすることは少ない。社会科教師の私がそう思うのだから、他の多くの人にとっては尚更だろう。
2022年度に、都立高校の附属中学校で時間講師と勤務した際に、育鵬社の歴史教科書が採択されていることに驚いた。もちろん、生徒には育鵬社の相対的・絶対的な立ち位置について説明したうえで、教科書を使用せざるを得なかった。
日本では、ヘイトスピーチに対する法規制も2016年になるまで行われてこなかった。今なお、十分な法規制があるとは言えない現状だ。
今後、日本でも歴史修正主義的な動きが出てくることは可能性として存在する。その際に、本書に出てくるような“出鱈目な”言説を取り締まる力を、日本の社会はもてるだろうか?
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●所感
歴史修正主義者は歴史(過去)を現在または未来に使役させる。彼らの政治的、文化的イデオロギーに都合の良いように歴史認識を読み替える。しかし、歴史が「客観的な事実」として現前する術をもたず、「解釈」や「過去に対する表象」でしかない以上、修正主義とは無縁の私たちも無意識のうちに、都合の良い歴史認識に陥る危険性はある。
これはイデオロギーの問題ではなく、方法論の問題だ。歴史認識=物語に事実を隷属させるべきではなく、事実の連続を歴史として認識しなければならない。そうなると課題はいかにして物語の呪縛から逃れるか、である。無理ゲーか。純粋に客観的なナラティブなんてものはない。絶対的な「神の言葉」によって語られ認識されるものでない限りは。
本著で特に面白かったのは第5章。ホロコースト否定論者への審問で、ホロコーストがあった/なかったのエビデンスとして収容所のガス室や熔鉱炉の建築設計へと話がもつれ込む展開とか、議論が迂回してるようでちゃんと本質ついてるよなと。アーヴィング裁判、映像化したら歴史×法廷ドラマモノとして面白そうだなと思ったらもう映画があった。(『否定と肯定』)
●以下、まとめ
序章
歴史を書くことについて、ドイツの歴史家ランケは主観を排して事実を収集し記述する実証主義的アプローチを提唱した。だが、デリダに言わせれば、言語で書かれる以上そこに主観的認識は介在し、歴史は過去に対する表象となる。E・H・カーによれば、歴史とは解釈であり、諸事実を並び替え、出来事をより大きな文脈のなかに位置付け、そこから意味を汲み取るのが歴史家の仕事である。
歴史記述は学術潮流や新たな史料の発見等によって修正される。ただし、政治的なイデオロギーで修正を行い、現在における歴史の効用を求める修正主義についてはその是非を考えなくてはならない。
一章
仏語revision(修正)とは、もとはドレフュス事件の事実の解明を求めた、「再審」の意味であった。ドレフュス事件後、20世紀社会主義思想のなかで修正主義が一つの派閥として認識されるようになる。彼らにとって歴史の修正は、主流派イデオロギーによる権力の産物たる歴史観への正義の執行を意味する。
WW1後、各国で戦争の起源に対する歴史修正が試みられた。起こったことをなかったことにすることはできないが、少なくともその解釈を変えることにより、より好ましい歴史像に近づける試みが、政治の側から要請されるようになった。
二章
WW2後の歴史修正について。ドイツの世論調査で約六割が、ナチズムの考え方はよいがやり方がまずかったという意見に賛成した。50年代は、ニュルンベルク裁判での上からの歴史像の押し付けの反発、「ヨーロッパ文明の砦」論などを掲揚する修正主義が盛り上がった。しかし、国の安全保障と経済復興がもたらす生活の安定を志向する大半の市民がナチズムの復活を望まず、大きな勢力には結び付かなかった。フランスでもWW2中の対独協力の正当化、旧来の反ユダヤ主義によりナチスの擁護をする者が現れた。
歴史的な出来事はどの程度まで「公知の事実」(裁判で証明不要な当たり前の事実)と言えるのか。
捏造を主張する側が自説の正しさを立証すべきなのに、疑いをかけられた側が捏造でないことを証明しなければならなくなる。でっちあげと決めつけることで証明の責任を相手にすげ替える。
事実と信じていたことが事実でないかもと示唆されると、疑念はじわじわ広がっていく。歴史事実は相対的なものへと格下げされていく。また、繰り返されると自分の印象が正しかったか不安になる。
こうして修正主義者は人々に認識の揺らぎを呼び覚ます。社会が歴史事実と位置付けてきたものの地位はそれほど堅牢ではない。
三章
ツンデル裁判の功罪。プラス面は、ホロコースト否定論の国際的問題意識の喚起。否定論は歴史の問題というより証人に精神的二次被害を与えうる、公益を損なうヘイトスピーチとして扱うべきとの認識へ。マイナス面は、メディアの注目が集まり、否定論の潜在的な支持者が開拓された(主流の歴史記述への挑戦者)
四章
自国中心の歴史記述は国民の帰属意識を高めるが、交渉の可能性を排除し、対立を再生産する 。
五章
歴史修正主義者や否定論者は「私にとっての真実」というレトリックを良く使う。歴史は一つではない、どの歴史も絶対ではない、私は歴史の一つのバージョンを提示しているにすぎないというスタンス。
アーヴィングの敗訴は、ホロコースト否定論は許容できないというヨーロッパ社会の合意形成を促した。
六章
ホロコーストと、ホロコースト以外のジェノサイドの否定論が法によって規制、禁止される。ただし国によってばらつきがある。アメリカやイギリスは、歴史修正主義に対する法規制はない。大陸系ヨーロッパ諸国は規制している国が多い。これらの国はナチ犯罪の直接的・間接的な当事者であった。
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歴史の不確かさ
歴史修正主義の歴史。歴史のあるところに歴史修正主義あり。特にナチ犯罪の否定について。
法規制のながれ。ヘイトスピーチの文脈から国家の権威づけまで。
法規制にまつわる記述が、このテーマでここまで体系的に記された類書を知らないのでとても勉強になった。ナチ否定も網羅的に扱い、その根深さを示すことにも成功している。
Posted by ブクログ
「歴史修正主義は、過去に関するものであるように見えて、実はきわめて現在的な意味を持つ。・・・歴史修正主義は本質的に未来志向である。歴史が修正されることで将来的に取り得る選択肢も正当化されるからだ」(p 16引用)
ナチスによるユダヤ人虐などを事例にして、歴史修正主義について書かれている。また、歴史修正主義の政治的利用の問題などについて。著者の言わんとするこはわかるのですが、私には難しかったです。
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サブタイトルは「ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで」。著者は二つの理由で日本の歴史修正主義は扱わない、と言う。一つは、著者の専門が西洋史であるということ、もう一つはヨーロッパと日本では「枠組み」が違うと言うこと。
ヨーロッパでは、歴史修正主義の問題は「歴史の否定の法規則」とともに展開してきた過程を明らかにする。ホロコースト、ジェノサイドは否定することのできない事実であり、それを否定することは「ヘイトスピーチ」を禁止することと同意である。つまり、歴史を問題にしているように見えるが、実は人種偏見や民族差別、特定集団への敵意を煽る行為である、と言う。ヨーロッパはもうそこまで「行っている」。
著者は日本の歴史修正主義は扱わないと言いながら、所々に日本の現状、問題を忍び込ませている。そうしなければならないくらいに、この国の学術界は危ういのか、とすら思えてくる。
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一読しての感想は、大変勉強になったということ。
歴史修正主義という言葉自体は知っていたものの、"アウシュビッツにガス室はなかった"などホロコーストを否定したり、自国の歴史に誇りを持つために"侵略"の語を避けたりといった動きの背景にある考え方、といった程度の知識だったので、本書を読んで、歴史修正主義の意味合い、社会に及ぼす深刻な悪影響、放置することなく闘うとはどういうことか等について、大いに考えさせられた。
まず序章では、歴史を再検証して「書き直す」ことと歴史修正主義とはどう異なるのか、学術的に許容される歴史の見直しと、批判される歴史修正主義とを隔てるものは何なのか、という提起がなされる。
そして第1章以降、ヨーロッパそしてアメリカにおける具体的な歴史修正主義的な言説を紹介していく。
(なお、本書は、欧米社会における歴史修正主義に対象を限定しているのだが、例えば、第2章のニュルンベルク裁判への不満ードイツだけが悪いのかーなどを読むと、東京裁判史観のことがどうしても頭に浮かんでくる。)
1950〜60年代のドイツでは、ネオナチの組織化もあったのだが、ドイツが置かれた国際情勢と、それに対応するために作られた「民衆煽動罪」等の上からの法的・政治的規範があったため、歴史修正主義が抑え込まれていた、という。
第3章では、70年代に入り、明白なホロコーストの否定、矮小化の動きが出てきたことが説かれる。欧米では、こうした主張は「否定論(dinial)と呼ばれる。
「AはBでない可能性があると主張する人もいる」⇨「AはBではない」と結論付ける訳で、科学的な根拠はないのだが、自らは「歴史の解釈の一つ」を提示していると主張する。
ではどうしてこの時代にホロコースト否定論は登場してきたのか?一つは戦後世代への世代交代。それから六日間戦争の勝利などイスラエルの軍事強国化が背景にあるという。ユダヤ陰謀論支持者にとっては、シオニストによる世界支配が現実化したと捉え得るからである。
第4章では、1980年代後半のドイツ「歴史家論争」が分析される。ここは大変読み応えがあったし、非常に啓発された。著者は、歴史家論争には二つの中心的議論があったとする。
1 ホロコーストが比較可能かという問い
ホロコーストが唯一無二かどうかが、学問的ばかりでなく、イスラエルの存在や行動に対して政治的に大きな意味を持っていた。
2 歴史の政治利用の問題
歴史が「国民史」(ナショナルヒストリー)であったことから、国家の利益になるような歴史を示すことに問題はないと考える政治家は多いが、他者を排除することにつながるのではないか、自国民のみが満足する歴史は、将来の選択肢を狭めているのではないか。
第3章ではツンデル裁判、第5章ではアーヴィング裁判という、歴史を巡り争われた裁判が紹介される。特にアーヴィング裁判で、ホロコースト否定論が司法の場で「事実でない」と宣言されたことで、ホロコースト否定論は許容できないというヨーロッパ社会の合理形成を促したと、著者は評価する。
第6章では、ヨーロッパで進む法規制の動向や内容が紹介される。この辺りの動向は全く知らないことだったので、大変参考になった。法学的に言えば、保護法益は何なのか、過剰規制される恐れはないのか、そもそも司法が立ち入るべき領域なのかといった論点について、丁寧に説明はなされている。ただ、大陸法系のヨーロッパと英米法系の国では、表現の自由を巡る考え方が異なるし、歴史的・政治的背景も異なるし、難しい問題だ。
そのほか、アルメニア人虐殺問題や、冷戦崩壊後の東ヨーロッパ、そしてロシアにおいて、新たな歴史認識問題が現れていることに言及される。
本書の帯の文言、"歴史とは何か?""事実とは何か?"
そうしたことを考えることは、一人ひとりにとって無縁なことではない。
Posted by ブクログ
高橋新書ガイドから。ドイツには、ナチス賛美やホロコースト否定に対する罰則がある、ってのはどこかで読んだことがあったけど、裏を返せば、そういう規則が必要ってことは、少なからずそっち系の論者がいるってこと。結局どこにでもいる訳だしという話ではなく、対内的のみならず、対外的にもその姿勢を示すということに異議がある。大前提としてのそれが、日本には足りない訳だけど、戦争を知る世代が確実に減っていく以上、ハードルは高くなる一方と言わざるを得ない。直接には知らなくても学ぶことは出来る訳だし、修正主義にノーを言い続けることが、戦後世代にも最低限求められること。戦争反対。