あらすじ
ヒトラー(一八八九─一九四五)とは何者だったのか.ナチ・ドイツを多角的に研究してきた第一人者が,最新の史資料を踏まえて「ヒトラー神話」を解き明かす.生い立ちからホロコーストへと至る時代背景から,死後の歴史修正主義や再生産される「ヒトラー現象」までを視野に入れ,現代史を総合的に捉え直す決定版評伝.
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Posted by ブクログ
ヒトラーの生涯と死後のヒトラー像変遷について良く纏められている書籍。ヒトラーの独裁者以外の人間像を垣間見れた他、戦後のヒトラーに対する関心や研究についても興味深い内容が多い。近年のヒトラーを一種のネタの様に扱う事例は、現代の権威主義・全体主義的国家の拡大とマッチしたものかなと考えた。
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ヒトラーの反ユダヤ主義は、当初は「異質な人種」としてのユダヤ人から「公民権」を奪い、最終的にはドイツから追放すべきであるというレベルだった。
ナチ党の世界観の本質的な構成要素をなす反ユダヤ主義については、『わが闘争』で、この「ウィーンでの修業と苦難の時代」においてみずからが「いままで内心で経験した最も大きな旋回」経験であったとして、新約聖書のパウロの「ダマスカス回心」にまでなぞらえており、「私は弱よわしい世界市民から熱狂的な反セム主義者になった」と印象的に跡付けている。
ヒトラーは、ドイツ民族にとって生物学的に劣った、危険な「人種」であると見なし、ユダヤ人を「寄生虫」や「疫病」に例え、ドイツ民族共同体の健全性を脅かす癌のような存在だとした。ヒトラーは、「私が本当に権力の座についたなら、私の最初にして最重要の任務はユダヤ人の絶滅となるだろう」と言っていた。
ナチス・ドイツの反ユダヤ主義は、当初の「公民権の剥奪と追放」から「組織的な大量絶滅(ホロコースト)」へと、段階的かつ決定的な変化を遂げた。 この転換の契機と変化は、主に第二次世界大戦の勃発とその後の独ソ戦の進展によってもたらされた。
隔離と追放(1933年~1940年)
ナチス政権初期の目標は、ユダヤ人をドイツ社会から排除・隔離し、最終的に国外へ強制移住させることであった。 1933年にはユダヤ人の公職追放が行われ、1935年にはニュルンベルク法が制定された。これにより、「ドイツの血と名誉を守る」名目の下、ユダヤ人の公民権が剥奪され、ドイツ人との結婚や性交渉が禁止された。
1938年の「水晶の夜(Kristallnacht)」は、ナチスが扇動した大規模なユダヤ人襲撃事件である。多くのシナゴーグや商店が破壊され、ユダヤ人に対する殺害や逮捕が行われ、以後、ユダヤ人に対する暴力が常態化した。
1939年の第二次世界大戦勃発とともに、ポーランド侵攻によりユダヤ人は都市内のゲットー(隔離居住区)へ閉じ込める政策が開始された。
ユダヤ人政策が「追放」から「絶滅」へと転換した最大の理由は、戦争による広大な領土と多数のユダヤ人支配の実現、および戦況の悪化にあった。
1. 独ソ戦と「移動殺人部隊」の活動(1941年6月〜)
1941年6月、ドイツはソ連に侵攻(独ソ戦開始)した。この結果、ナチスの支配下にあるユダヤ人の数は一気に数百万人規模に増加した。追放や隔離だけでは対応できない大量のユダヤ人に対処するため、SS(ナチス親衛隊)の特別行動部隊(アインザッツグルッペン)は占領地で集団銃殺を行い、大量殺戮を開始した。これは、ユダヤ人の組織的絶滅の前段階となった。
2. ヨーロッパからのユダヤ人強制移送の限界
当初、ナチスはユダヤ人を遠隔地(例えばマダガスカル島)へ移送する計画を立てていたが、戦時下の制海権の制約や膨大なコストにより、計画は非現実的であることが判明した。 また、隔離したゲットーも過密化し、飢餓や病気の蔓延により非効率となった。こうした状況下で、ナチスはこの「ユダヤ人問題」を根本的に解決する必要性を強く認識し始めた。
3. ヴァンゼー会議での決定(1942年1月)
この状況の中で決定的な転換点が訪れる。1942年1月、ナチス高官たちはベルリン郊外のヴァンゼーで秘密会議を開催した。この会議において、ヨーロッパ全土のユダヤ人に対し、組織的・計画的に「最終的解決」を実行することが決定された。
「最終的解決」とは、ユダヤ人を絶滅収容所へ移送し、ガス室等を用いて大規模な殺害を行うジェノサイド(大量虐殺)を意味する。これにより、ユダヤ人の隔離・追放政策は、国家の総力を挙げた産業的な「絶滅」へと完全に切り替わった。
この転換は、単なるユダヤ人への憎悪だけでなく、「人種的に劣った者を根絶することでドイツ民族の繁栄を達成する」というナチスのイデオロギーと、戦時下の資源およびロジスティクスの論理が結びついた結果である。
最初は、ユダヤ人の公民権の剥奪、追放、そして暴力的な虐殺、隔離、そして収容所、ガス室での大量虐殺と発展していった。ホロコーストが突発的な狂気ではなく、ナチス体制下での段階的な政策決定と、戦争の論理によって導かれた結果だった。
Posted by ブクログ
ヒトラー関する歴史学的な徹底検証がなされている。歴史は曲解されがち。ファクトに忠実でありたい。
(vページ)
神話や過大評価に踊らされぬよう、できるだけ正確な事実にもとづくヒトラー像を分有することが、あらためて要請されているのではないだろうか。
Posted by ブクログ
ヒトラーという人物について、何者でもなかった若年期からその生涯を追い、過度な神格化や悪魔化をされがちなヒトラーの「正体」を見極めていく本。
様々な伝説や喧伝、はたまた罵倒や悪評に埋もれがちなヒトラーの等身大のラインを浮き彫りにしていく本と言えるだろう。
ヒトラーの歩みに合わせて、自然とドイツ第三帝国の興亡も辿れるので、そこらへんのドイツ史の通史的理解にも良い。
後半では本人死語のヒトラー評について解説しているが、『帰ってきたヒトラー』まで挙げられているのは少し驚きであった。
ヒトラー率いるナチスが国民に提供し、人気を博したのは「無責任さ」であったとする下りがある。他責傾向が増し、自身の持つ困難の原因を他所に求めがちな現代の世の中、再び帰ってくる萌芽はすでにあるのかもしれない。
Posted by ブクログ
ヒトラー個人に焦点を絞った伝記と思って手に取ると肩透かしを食らう。ヒトラーと同時代のドイツ史でありながら筆の濃淡が大きく、著者の関心のない日独関係などはほとんど閑却される。「おわりに」から読み進めることをおすすめする。
あと、聞き慣れないドイツ語の名詞や人名が頻出するので、巻末に索引を用意してほしかった。
Posted by ブクログ
あの独裁者がどのようにして生まれ、そしてこの世を去っていったのか。コンパクトに要点がまとめられ、よく理解できた。そして今から何年後かに、あの侵攻国の独裁者も同じように語られるのであらう。