【感想・ネタバレ】老後とピアノのレビュー

あらすじ

朝日新聞を退職し、50歳を過ぎて始めたのは、ピアノ。人生後半戦、ずっとやりたくても、できなかったことをやってみる。他人の評価はどうでもいい。エゴを捨て、自分を信じ、「いま」を楽しむことの幸せを、ピアノは教えてくれた。老後を朗らかに生きていくエッセイ集。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

ピアノではありませんが、私も大人になってから楽器を再開しました。

共感しまくりです!

昭和のレッスンを思い出し、ビビりながら再開したレッスンで、先生が優しいことに驚き、
YouTubeでいろんな人の演奏が聴けることに驚き、
自分で曲を選んでいいんですよ?と言われて驚き、
あの作曲家、なんでこんな曲を書いたんだー!?と作曲家の検索魔になり…

いつも頭の中にあるのは、理想のあの人の、あのCDの演奏!…なのに、自分の演奏との違いに凹んだり、
先生の見本演奏に惚れ惚れしたり、自分と同じ人間だというのにあまりにも演奏の違いに凹んだり…先生の演奏なんだからそりゃそうだけど(苦笑)

もう、何度『ほんとそれ!!』と思ったことか。

そして発表会のくだりでは「ここまで言語化してくださってありがとうございます!!」という気持ちになりました。私はやっぱり緊張しましたけども。
拙い演奏でも、大人の生徒仲間の演奏って、それぞれの人生が垣間見えて感動するんですよね。

そして、毎日どっぷりピアノ沼にハマって練習頑張っていらっしゃる稲垣さんに尊敬です。

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2025年08月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルに惹かれて買いました。著者は、50歳で朝日新聞を退職して、その後の時間をピアノと向き合うことにした女性。かねてから、子どものころに成し遂げられなかった「ピアノを上手に弾く」ということを、大人になった今ならちゃんと練習して成し遂げられるのではないかと目論んでおり、偶然の出会いに恵まれて、ピアノを持ってもいないのに行きつけのカフェでピアノを貸してもらい、プロの先生に教えてもらうことになったのだ。

さて、実は私もほぼ同じことをしている。著者は小学生まででピアノをやめてしまって心残りだった。私の場合、子どもの頃エレクトーンを習っていたのだが、実はその頃から本当はピアノが弾きたかった。大人になった今なら、もう一度ピアノにチャレンジしたら今度こそ「上手く」弾けるのではないか、と夢想する。
私は我が子が小学生になったのを機に、家に本物のピアノを購入し、「娘と一緒に私も弾く!」「娘のレッスンのときに先生に頼んでちょっとだけ教えてもらう」ということをしている。
するとどうだろう、本当にさまざまな「気づき」が生まれるのである。
私が日々体感しているその「気づき」を、プロの文筆家である著者が言葉にしてくれている、私にとってはそのようなエッセイです。
大人になってピアノを弾く(それに挑戦する)ということがいかに素晴らしいか、いかに難しいか、いかに悩ましいか、いかに迷走するか。そのたびに、悩み、苦しみ、自分はどこへ行こうとしているんか自問自答する。だけど、どんなに下手でも、人前で弾くには緊張しても、ピアノの前に座ることは喜びである。
あぁ、分かる。心から共感します。
私も、必死で練習すればいつかはインスタやYouTubeで見るような人を魅了するような演奏ができるのではないかと夢見て練習を重ねるけど、多分、そんな日はこない。分かっているけど、でも来るような気がしてひたすら練習する。この年になってもし「そこそこに」ピアノが弾けるようになったからって、何になるのかと言えば、何にもなりはしない。家族も迷惑してるかもしれない。っていうか、夫はいつもうるさそうにしている笑。
でもピアノを弾くという行為は、なんとも奥が深いのです。

あと、正直に言うと、楽譜を読んで両手を動かし、音楽を奏でるのだから、きっと脳に良いに違いない、50を前にした今からピアノを始めてそれをライフワークにすれば、きっとぼけ防止になる!なんてことも思ったのですが、この脳との関係についても著者も書いていました。参考文献の「ピアニストの脳を科学する」も読んでみたいと思います。

私が今すごく気になっているのは、今、家族から「テレビのじゃま」「うるさい」と思われながらも練習しているけれど、それでもママが毎日ピアノ弾いていて少しは上手くなってる、くらいには思ってくれているのではないかと思うけど、もし子どもたちが独立して、夫が先に死んで(←先に死ぬ前提笑)家の中がシーンとなっても私はピアノを楽しむことができるだろうか?ということ。家の中にだれもいなくなったら、私はピアノを弾くのがさみしくて仕方がないのではないだろうか。
今からそんなこと心配してもしょうがないんだけど。

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2024年07月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

あいかわらず率直な言葉が心に飛び込んできます。稲垣さん2冊目。
ピアノ?私も習ってた。練習が嫌で中3で転校を機にやめた。でも、大人になってからのピアノが楽しいのわかる!しばらくやめてた楽器を再開し、新しくウクレレを始めた時に思った、オトナの習い事は、昔とは違う!って。
ところが稲垣さんは楽しいだけでは終わらなかった。とことん目指すものを追求する。挑んだ曲がショパンにベートーヴェン、リスト、ブラームス…昔やってた人が再開する時の選曲じゃないし‼️最低2時間⁉️朝晩練習⁉️手を痛めるまで⁉️稲垣さん、行き過ぎです。
剣道では「驚懼疑惑」(きょうくぎわく)驚いて動揺し、恐れ、どんな技を出すのか疑い、迷い…これを「四病」としているそう。人前でピアノを弾く時の私そのものと、稲垣さんは言う。
そして最終的に悟ったことは「上手く」ひくことではないと。曲への瑞々しい愛をいくつになっても持ち続けることだと。「どこかへ行く」ことではなく今のこの場所この瞬間を楽しめばよいのだと!もうピアノではなく人生について語っているのである。
50を過ぎて習い事をしている私、共感できることがたくさんありそうだと選んだこの本ですが、共感をはるかに通り越してもう宇宙だと感じました。

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2023年10月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

老後〜と謳ってる割に稲垣さん自身は50代。しかも、まるっきりの素人ではなく、子ども時代ある程度基本を身につけられた方でした。しかも、今をときめくイケメン先生に教わっていて…タダで使えるピアノもあって、なんかずる~い。そりゃショパンもドビッシーも弾けるようになりますよ。
読む前に思っていたのは老境に達した何にも恵まれない人が趣味としてピアノにさわってみて、ちょっと奏でられて自己満足。ぐらいの感じでした。
稲垣さんの練習時間の半端なさや積み重ねてきた努力は十分理解できましたが。

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2024年10月29日

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ネタバレ

良かった。自分もピアノが弾きたくなった。
毎日5分でも触る。
拡大コピーする。

最後良かった。
「若者は目標を高く持ち、そこに向かって進んでいけばよし。でも老人は違う。遠くに目標を持たず、今目の前にあるミクロのことに全力をかける。野望を持たず、今を楽しむ。自分を信じて、人を信じて、世界を信じて、今は遊ぶ。そこに思いもよらない。美しいものが現れるのである。それをただただ楽しめば良いのではないだろうか。老人は今にすべてをかけるのだ。」

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2024年01月14日

Posted by ブクログ

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何かをはじめて続けることが難しいと思う日々。作者はすごい熱量で取り組んでいる。生きるということ、何か物事に取り組む時年齢を重ねるとき、捉え方が、取り組み度など変わってくるのが普通だ。それを自分事としてきちんと向き合うことができる人だからこそ書かれたエッセイだと思った。まだまだその境地には至らず。

本文で気になった文章
p.256
「これからは手放していく。目標も、野望も。そして小さな一瞬にかける。今にかけう。そこで初めて、生の自分が出てくる。思いもよらぬ自分が自分から出てくる。それを自分で認めてやれば良いのだ。
若者は目標を高く持ち、そこに向かって進んでいけばよし。でも老人は違う。遠くに目標は持たず、今目の前にあるミクロのことに全力をかける。野望を持たず、今を楽しむ。自分を信じて、人を信じて、世界を信じて、今を選ぶ。そこに思いもよらない美しい物が現れるのである。それをただただ楽しめば良いのではないだろうか。」
p.268
「人の一生は限られたものだけれど、私のようなヘボから素晴らしいプロまで、すべての人がリレーのように音楽をつなぎ、育て、そして今があるのだ。つまり私がピアノを弾くとき、私は時間も空間も肉体も超え、偉大な人類の歴史とつながっているのである。その大いなる流れのなかに、会長も、そして私もいるのだ。
そう思うと、苦しいことばかりで意味のないように見える人生にも、ちゃんと意味があるのだと思えてくる。死んでいくことも怖くなくなってくる。人は生きている間に精一杯生きればそれでよいのだ。それを幸福と言うのである。私はそのことをピアノに教わったのである。」

私にとっては読書が偉大な人類の歴史とつながっていると思えるといいな。

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2023年11月17日

Posted by ブクログ

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子供の頃にやっていたピアノと、大人になってからやるピアノとでは全く別物ということだ。子供の頃はピアノと言えば「やらされる」ものであった。つまらない地道な練習に耐えねばその先はないのだと思い、いつになったら「その先」が来るのかよくわからぬまま、兎にも角にも恐ろしい先生に見張られながらびくびくと練習するしかないというものであった。

というか先生の時間も無駄にしてしまった。今にして思えば申し訳ないことこの上ない。

大人の武器は「努力すれば報われると知っている」ことである。

評価されるとか何とかじゃなくて、 曲を自分のものにするために人前で引く。ですと?なるほど そんな考え方があったのか! それなら、たとえ 緊張して失敗してもそれも、自分のため、 曲のためのに必要な過程なのだと思えば、致命的な心の傷を負うことなく、めげずに 次もチャレンジしそうしようと思え そうだ。

世界的ピアニストのリサイタルとなれば、驚くべき テクニックを易々と 観客に見せつけるものと 当然のように思っていた。心のどこかで「老 ピアニスト 、お手並み拝見」と思っていないわけじゃなかったのだ。でもそんなもんじゃなかった。妙な言い方だが、バレンボイム氏は「一生懸命」弾いていた。

野望を持たず、今を楽しむ
いくら これから年を重ねて 体力 能力が衰えようとも、 ああちっとも上手くならないとか、前より下手になったとか、嘆いたり 挫折したりする 心配なんてこれっぽっちもない ということだ。だって、衰えたら 衰えた分だけ、練習の目標を低くすればいいのである 。4小節が無理なら、1小節、1小節が無理なら 1音、それも無理なら 片手だけ、、とどこまでも目標を「割って」いけば良いではないか。たった1音を、右手でポーンと、美しく弾く。それならば 90歳になろうが100歳になろうが絶対にできそうである。っていうか、たった1 音を美しく引きたいという情熱があることが 既にすごすぎる。そう最後は情熱の問題なのである。

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2023年08月10日

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