あらすじ
2019年、ペルシア湾の島国バハレーンの古墳群が世界文化遺産に登録された。バハレーンには今から4000年前、南メソポタミアとオマーン半島、そしてインダス地域を結ぶ海上交易を独占して繁栄をきわめた海洋の王国・ディルムンの人々が、約7万5000基もの古墳を築いた。資源に乏しいメソポタミア文明を物流の面から支え、この文明の生命線を握っていたのが、ディルムンであった。この王国を築いた人々は、それまでほぼ無人の地だったバハレーンにどこから移住してきたのか? なぜ、紀元前1700年頃を境に急速に衰退し、王都や神殿が打ち棄てられ、巨大な王墓の建造が終焉を迎えたのか? 日本の発掘調査団の中心メンバーである著者が、最新の考古学的成果を踏まえ、ディルムン文明の起源と崩壊の謎の解明に挑む。
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Posted by ブクログ
メソポタミア文明の中で、まだ一般的にはよく知られていない、バハレーンにある交易国家について、発掘経験もある著者のマニアック解説本。
いや~面白かった。
人によっては何が面白いんだ、という感じでしょうけど、知らない歴史を知ることができ、ロマンを感じれるところがいい。
今でも、5~7メートルくらいの古墳が、28000基(!)も見れるそうです。
紀元前5000年前くらいから出来初め、ウル第三王朝期にディムルンとして、オマーン半島のマガンから銅の輸送で栄えたそうな。
王の名前は2名しかわかっていないそうですが、その名前(リムム、ヤグリ・イル)からアモリ人の可能性が高く、南メソポタミアの砂漠地帯に住んでいた遊牧民がここにまで来ていたということが分かったそうです。因みに、ハムラビ法典で有名なハムラビもアモリ人。
もう、アケメネス朝時代には文明期を過ぎ、一地方都市のような位置づけだったらしいですが、何気ないナツメヤシの貸し借りの私的な契約書の楔形文字の粘土板に「ダレイオス一世の治世16年目」と書いてあることで、いつの時代かが判明してしまう、というところも発掘は面白いと思いました。
小ネタとして面白かったのが、都市の人々が利用したものの中で、「取っ手が取れるフライパン」がみつかっていること。日本人は1996年にフランスのティファールが初めて取っ手が外れるフライパンを発明したという宣伝がされていますが、それよりも4000年前にすでにあったというもの。
休日のくそ暑い日にクーラーを入れながら砂漠の話を読むのも、おつなものです。