あらすじ
生物は進化しうる。ではその過程で、生物の体内で何が起きているのだろうか。この問いの答えは、ダーウィンの『種の起源』の刊行後、現在まで増え続けている。生物は実にさまざまな「進化の技法」を備えているのだ。『種の起源』が発表されると、人々は世界中の現生の生物や化石に進化の実例を求め、観察し始めた。そしてさまざまな生物の胚、変態、奇形の個体、染色体を見つめるうちに、飛躍的な進化を起こすからくりを少しずつ見出していく。たとえば生物の体内では、新たな機能の発明よりも、既存の機能の転用がたびたび起きている。DNA内では、侵入してきたウイルスの遺伝子を宿主が奪ったり、破壊と革新をもたらす遺伝子が跳び回ったりしているのだ。本書は、世界中を探検し、化石を探し、顕微鏡を覗きこみ、生物を何世代も飼育し、膨大なDNA配列に向き合い、学会や雑誌上で論争を繰り広げてきた研究者たちへの賛歌でもある。歴代の科学者と共に進化の謎に直面し、共に迷いながら、40億年の生命史を支えてきた進化のからくりを探る書。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
空を羽ばたくいきもの、海から陸に進出したいきものがどうやって進化したのか。とつぜん空飛んだり陸に上がる生物に進化したんだろうか。
というテーマだが、みすず書房なので本の後ろに答えが書いてあった。
〇面白かったところ
・トウモロコシはひとつぶひとつぶ違う胚で異なる遺伝子を持っている。
↑トウモロコシを食べるニワトリもおれもヴィーガンも多様性と進化を脅かす侵害者。
・ホヤの幼生はオタマジャクシのように泳いで回る
Posted by ブクログ
生物はどのように進化してきたか。例えば、既存の機能の転用やウイルスの遺伝子の利用など、進化の多様な手法が紹介される。また、歴代の科学者たちがどのように進化の謎に挑んできたかについても振り返るような内容だ。進化生物学の最新の知見をわかりやすくまとめた良書。
「進化」を思考実験してみると疑問にぶち当たるのだが、例えば、足は速ければ速い方が獲物を狙いやすく、逆に逃げやすくもなる。これに進化の選択圧の作用が働くなら、圧倒的に速い種のみが残っていくという事には何故ならないのか。同様に、腕力や爪の鋭さもそうだろう。これを考えると辿り着くのは、結局、餌がいなくなるほど強くなっても滅びてしまうので、良い塩梅までしか強化されえないという事だ。「進化」は欲深い金持ちが際限なく富を得ようとする行為ではなく、生態系の調和の中における許容範囲内のできごとなのではないだろうか。
言い方を変えると、種は他の種を支配するために都合よく進化していくものではなく、調和の中で生存した結果でしかないのだろう。同様に、人間も直線的に機能強化していくわけではない。そもそも、何が有利で何が正義かという点については、個体にも種にも答えがあるわけではない。知能は優れていれば優れている方が良さそうだが、他者を支配するために利用される知能同士で競争する事は、必ずしもエネルギー効率が良いとは言えない。優れているという必要性は、劣っているものを搾取するという前提の上で成り立つ。競争回避が合理的ならば、強化し続けるのではなく、正規分布の方が利点が多い。一つの種においてすらそうなのだ。
ただ、肉体の限界としてはそのような生態系全体での調和を意識した限界領域がありそうだが、人類の社会制度においては、この点は必ずしも成立しない。その理由の一つは時間軸の違いであり、短期的な搾取の構図が長期的には是正されていく波の中でしか顕現しないからだ。つまり、餌がなくなるまでには時間がかかるので、架空の社会的身分の暴走は暫く止まらない。そしてもう一つの理由は、人工的な調和を齎す「家畜化」が自然な生態系を狂わせるからだ。ここでの家畜化は比喩ではない。人間同士がまさにそれである。
随分、横道に逸れたが、いわゆる進化とは、アニメやゲームとは異なり、徐々に強い存在へと変身していく事、徐々に生産性が高まっていくという事ではないという事だ。人類はその点を少し勘違いしているのかもしれない。
Posted by ブクログ
批判者から「進化は漸進的にではなく一気に進む」と言われたダーウィンは、「漸進的な変化には機能の変化が伴う」と反論した。後世の研究は、正に「機能の変化」こそ、生命史上の大進化が起きたメカニズムを説明するキーワードだと明らかにした。古生物学者が発生生物学、遺伝学、ゲノム研究の成果から進化の謎に迫っていくサイエンス・ノンフィクション。
太古の水棲生物が陸に上がるときに肺を持つことができたのはなぜなのか。飛ばない恐竜の表皮に今の鳥類と同じような羽毛が生えていたのはなぜか。なぜさまざまな動物の種で胚が似ているのか。こうした謎を解き明かす過程で、ダーウィンが残した「機能の変化」という言葉がいかに的確に進化を表現していたかがわかってくる。生物はほとんど同じ材料を共有しながら、それを転用したり複製したり、外部から侵入してきたウイルスを利用したりして個々の姿を変えてきたのだ。
特に、「ジャンク」と呼ばれ、無駄なストックだと思われていた重複遺伝子が今の動物に必須な五感や呼吸の機能を生んだとわかるくだりはワクワクした。重複遺伝子という言葉自体が初耳だったけど、機能が先にあったのではなく無駄に作られたコピーが次の展開に繋がっていくというあたり、おもしろ例え話に使えそう。古代生物の脳にタンパク質が発現したり、卵生から胎生に変わるきっかけがウイルスだった! というのは『天冥の標』のノルルスカインだなぁ。
現在、すべての動物が同じ遺伝子群を使って体を作りだしているということがわかっており、それによって多発的な進化が説明できる。そのことは、つまり初めから生命史をリプレイしたとしても動物たちは同じ発生の過程を辿って今と同じ姿になるだろうことを示すという。これが現代における〈存在の大いなる連鎖〉なのだ。
本書は研究者たちの列伝でもあって、キャッチーな写真とキャプションで楽しませてくれたり、性差別と闘いながら独自に研究を続けた女性たちにスポットを当てている。今研究史を書くなら当たり前に考えなければいけないことだとは思うけど、女性科学者に対する偏見に気を配った書き方がされているのでストレスを感じず読めた。
注釈と別に「さらに勉強したい人のために」が用意されてて超親切! 著者は元々化石を掘る古生物学の人なので、初期両生類の化石発見をめぐる一文はローレン・アイズリーを思わせるセンス・オブ・ワンダーに満ちていた。この人好きだなぁ。他の著作も読んでみよう。
Posted by ブクログ
30年ほどまえ、修士論文のために遺伝的アルゴリズムを研究していた。出来上がった論文はゴミだったが、いくつか知見を得ることはできた。最大の知見は、画像認識あるいは人工知能研究のためには当時の時点ではコンピュータのパワーが圧倒的に不足しているということ。
当時、遺伝的アルゴリズムの研究者にどれほどの人材が参加していたかは不明だ。もともとが遺伝子のふるまいをごくごく単純にモデル化したにすぎないもので、実用に耐えうるのかという疑問が指導教員をして当方にテーマを授けさせたと感じている。単純なモデルに不安を感じたのは指導教員だけではなかったのだろう。門外漢が付け焼刃的な学習から得た遺伝子のそれっぽいふるまいを付け足した、やくたいもない論文だらけだった。この分野に未来はあるのだろうかと思ったものだ。
遺伝子の振る舞いは、これまで思っていたものよりも静的ではない。免疫が外部からの侵入者と常に戦っているように、ウィルスという外敵だけでなく、自らのコピーミスとも戦っている。稀な出来事ではないらしい。
そんなことを本書を学んだ今ならば、少しは面白い遺伝的振る舞いを仕込めたかもしれないなどと懐古する。
「何事も、当然のことながら、私たちが始まったと思った時に始まっているわけではない」
この言葉の意味するところは、進化という言葉に想起される個人的なイメージを払拭した。進化のために遺伝子セットが生み出されるのではなく、すでに存在する遺伝子が必要に応じてオンオフされるということだ。本書ではサンショウウオの例と、浮袋を持つ魚の例があげられている。
サンショウウオの食餌は、水棲時においては吸い込む方式で、陸棲時はカエルのように舌を伸ばして捕食する。舌を伸縮する方法は筋力によるものではなく、いわば指先につまんだなめらかなものを弾き飛ばすようなもので、エラだったものが変化したものだという。環境要因で遺伝子がオンオフされて、同一個体でそう成るという。
地球上の生物の進化は海から始まり、陸に上がったといわれている。陸に上がったから肺が発生したのではなく、まず浮袋に類するものがあり、それが変化したのだという。
そしてまた、遺伝子に対する漠然とした疑問が本書で解消された。すべての細胞に含まれるという遺伝子は、適材適所の発現をなにによって制御しているのかというものである。
遺伝子の中には発生をコントロールする遺伝子がある。中学の理科だったろうか、胚葉の部位が身体の部位に対応していることを学んだのは。遺伝子の並びもそれに準じている、ということらしい。