あらすじ
職業を数十回変え80人以上の男性と関係を持ち生涯19回結婚。妖婦と呼ばれた奇想天外な明治時代の女傑、その謎の生涯を追う。
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Posted by ブクログ
明治から昭和にかけて生きた破天荒な女傑を描いたノンフィクション。当時は誰もが知る有名人にして偉業は成し遂げていないという歴史の裏面な方。賛否両論あるが父親及び愛人が冷淡、婚約者擬きから強姦されて堕胎を要求されたとなればおかしくもなるだろう。その後の職業の数と夫の数とご性交された相手の数が桁外れであるが針小棒大な物言いと妙なところで律儀というか明確な悪事はしないところに哀しさと信念を感じた。
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驚き!明治十二年生まれの問題の女…本荘幽蘭…よく歴史の中から拾い上げて来ました。よく喋り、よく動き、よく男女関係を結び、だからこそ、よく問題を起こす、問題を起こすから有名になり、人と繋がり、また問題を起こす。その問題を著者・平山亜佐子は、いいぞいいぞとはやし立てる書きっぷりなので、まるで赤塚不二夫のマンガのキャラクターのよう。決して、後ろを振り返らず、未来も見ず、ひたすら今を騒々しく生きている。例えば、「村に火をつけ、白痴になれ」で出会った伊藤野枝の「生き方」のディープさ、に比べ、圧倒的にシュールな「生き方」。伊藤野枝がその革新性と悲劇性によって朝の連続テレビ小説の主人公になれそうもないのに比して、本荘幽蘭はその表面性と喜劇性によって同様にヒロインになれないはずです。野枝は殺され、幽蘭は戦後も生き延びる…だけど、その「今を生き延びる」生命力は、社会の同調圧力に声を潜めている気分の中で、ものすごく眩しく見えます。女性と社会の接点が摩擦を起こし始めた時代、平塚らいてうや伊藤野枝や相馬黒光、羽仁もと子にように後世語られる女性たちだけじゃなくて、幽蘭のような何も残さないけど存在感を発している女性も果たした役割は大きいのかもしれません。彼女が今、発掘されるのもだんだん大きくなっていくマスコミによる「問題の女」というタグ付けがあったからで、それはまさに明治、大正、昭和と大衆の欲望がむき出しになっていく歴史の合わせ鏡なのかもしれません。もし幽蘭が現代に生きていたとしたら、きっとまったくSNSの炎上を恐れないであろう、彼女の無邪気さと楽天さと軽さは、めちゃくちゃ先進的に思えました。
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明治から大正、昭和にかけて、その奔放な行動で世間を騒がせた本荘幽蘭の評伝。
著者の本としては「破天荒セレブ」や「明治 大正 昭和 不良少女伝」の系譜に連なる自由な女についての一冊。
当時の新聞や雑誌の記事など幽蘭に関する細かなテキストを集約し時系列に並べて、そのいきあたりばったりの人生を浮かび上がせる労力はどれほどのものであったろうか? まさに労作としか言いようがない。とりあえず作者にはお疲れさまでしたといいたい。
本荘幽蘭という人は何かをなした人ではない。今よりも遥かに女性が生きづらかった時代に、常識や世間に縛られずただ好きなように思うままに生きただけのように見える人だ。本人の気持ちはともかくその結果に捕らわれない生き様は軽やかで人を魅了するものがある。彼女が自身の人生を楽しく思ったかどうかは判らないが、楽しく生きたいと思った人だったのだろう。
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何かを成し遂げるとは何なのかを考えさせられる。自らの欲望に正直に、何事にも貪欲に、いつの時代であってもそれこそが理想であり、だからこそ難しい。
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本荘幽蘭というひとは、明治から大正にかけて有名人だったようである。きわめてゴシップ的な意味での有名さであり、いったいなにをしていた人なのかといえば、ただの奔放な一般人ではある。
有名になった要因は主にふたつある。
ひとつは本荘幽蘭の挑発的振る舞いがある。いまでいうとSNSで注目を集め、承認欲求を満たすために過激なことを繰り返すようなものだろうか。ふたつは、新聞というメディアと識字率の上昇がある。それ以外にメディアといえるものがない以上、有名になるのも頷ける。
さて、それで本書がおもしろいかといえば、微妙なところ。つまらなくはないし、幽蘭自身の振る舞いも、いまの視点で見ても奔放ではあるのだが、だからといってしょせんは一般人であり、高が知れている部分もある。それと、著者のリサーチは苦労されているのだろうが、けっきょくはゴシップの人物であり、限界はある。信憑性があるものとしても、そこまでおもしろいものでもない。