あらすじ
ちょっとした子どもの絵、データをもとにしたグラフ、美術館に展示される数々のアート作品。世の中には、言葉以外の形で表現されているものが無数に存在する。しかし、それらから何を読み取り、言葉にすればよいかはあまり教わる機会がない。そこで、様々な実例を挙げながら、特徴の摑み方、解釈の方法、言語化する術、社会での論じ方を段階的に解説する。アートと思考と言語が結びつけば、新たな知の興奮が生まれてくる。
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Posted by ブクログ
これは良かった。
たとえ専門的でなくても、自分の視点からモノを眺め、少なくとも、何か出来合いでない言葉で表現できれば、「自分」という独特の体験を深く味わい、喜びを得ることにつながるはずだ
これが全て!!
Posted by ブクログ
絵(に限らずヴィジュアル一般)を見るということは、その絵を見る自分と向き合うということなのかなと感じた。いま・ここにいる自分が「何を見ているのか」「何を感じたのか」「何を考えたのか」を自らに問い掛け、その答えを言葉にしていく。そういうことなのだと思う。
Posted by ブクログ
ヴィジュアルについて「文章で」表現する際のフォーマットを、わかりやすく説明。「いとおかし」的に感覚で腑に落ちるだけでは、発信する表現にまではならない。細部を具体的に分析的に見ることが必要だが、そのときに、できるだけ多様な視点、角度、切り口でアプローチできるように引き出しを増やしておけば、より充実した視覚体験になるだろう・・・てなこと。
パウル・クレーについての章が印象に残った。
Posted by ブクログ
ヴィジュアルを読みとくとは何をすることなのか。
その考えを書いた本。
how
1.描かれている要素を丁寧にひろう。
2.要素や関係性を把握する。
3.解釈する
ということを説明している。
2と3の間には解釈をするための違和感のようなものを捕まえる必要がある。この違和感を捕まえるために必要なことが、知識であったり経験であったりする。
ヴィジュアルを読みとくためのお作法というものがあって、それを無視してしまった単なる感想なんかはチープで恥ずかしいものでしかないということ。
でも、単純に作家が生きていた時代や、作家の人生からのみ推測した解釈は、単なる知識のお披露目でしかない。知識は、作品を内在的に、作品の構成要素や関係性から、解釈するために使われなくてはならない。
結局のところ、ヴィジュアルを読みとくとは、作品を内在的に知識に基づいて解釈すること、といえよう。
Posted by ブクログ
最初は頑張って読んでたけどグラフの読み取りあたりからしんどかった…。文章自体はわかりやすいし、会話文や図式、実際の入試問題などもあって実践的でした。後半は自分の世界史や美術に関する知識が薄すぎて難しかったです。感覚を多様な分野の知見や経験と積極的に結びつけて豊かにしていきたいです…。
Posted by ブクログ
「(自分の感覚は)言語情報という異質なメディアに変換しなければ、相手には伝わらない(p39)」。このメディア変換の方法論が、小学生の自由画やMBA入試問題、エドゥアール・マネやモンドリアンの絵画を題材に紹介されている。
どの章も面白いが、第3章で著者自身のエピソードとして紹介されている、シカゴ大学大学院でのシカゴ美術館での講義が興味深かった。著者は美術作品に対する自らの印象をプレゼンする際、「英語という母語でない言語に翻訳することで、身体的・無意識的な了解を、意識的な理解として定着させる」ことができたという。発信者ではなく受け手としてではあるが、これと同じような経験は僕にもあって、同じ英語で書かれた本であっても、英語が母語の著者が書いたものより、母語が英語ではない著者の本を英語に翻訳したものの方がイメージがよく伝わって来る気がするのだ。やはりそこでは、翻訳者の抱いた印象をなんとか言語化しようという労苦が、より伝達媒体として優れたものを生み出すという、本書の著者が経験したのと同じメカニズムが働いているのだろう。