あらすじ
「死なないで、死なないで……。今日は、大勢の子どもが自殺してしまう日なの」――病室の窓の外に向かってつぶやいた母。「彼女はいったい何を語りたかったのだろう」――遺された娘は、その想いを知るために対話を始める。樹木希林が遺した言葉と、内田也哉子が紡いだ言葉から浮かび上がる「ままならない人生を生きる意味」とは。いま、生きづらさを感じるすべての人に贈る「命」の物語。
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樹木希林さんの本を読んでみたくて、たまたま手にした本だったのですが、まじめに本を読み考える体験となりました。出てくる対談すべて、すばらしかった。今、不登校のことを考えるつもりもなかったのに、どんどん考えさせられ、私の子どもたちがいつか悩んだときに、そっと差し出せるヒントを与えてもらったかんじ。きっと自分で悩んで抜け出すしかないけど、色んなハッチがあって、人とか環境がちょっと変わるだけで、世界の広さを感じられ、新しくなるんだってことを見つける手助けができたらいいなと思う。
-学校に行かない時間は、発酵させる時間。今この時を、やがて自分の大切な経験にできるようになる。
-大人も自分のための30秒をつくること。わたしのためにカーテンを開けて、深呼吸し、気持ちのいい景色をプレゼントする。まず親が感じる心を取り戻すこと。
志村季世恵さん。東京シューレ。不登校新聞。
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最後まで読んで、タイトルの意味がストンと落ちます。
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9/1は、いじめが苦で自殺してしまう子がいちばん多い日。子育てをしているのに、知りませんでした。ごめんなさい。
だから昨年の夏、「9/1までに読み終わらなきゃ」と自分を急かしたことを思い出しました。
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樹木希林さんは、いろんな出演依頼を断っていたけれど、いじめに関することお話の回などは、ノーギャラでも出ていたと。
病床でも「どうか、死なないで」と空を仰ぎながらつぶやいていたそうで、そのことから遺された娘である内田也哉子さんが、「生きることがままならない」いろんな方と対話し、まとめ上げられた一冊です。
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ここ2,3年、わたしも「生きるって、なんて難しいんだろう」と思って過ごしているので、食い入るように読みました。
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「許す、ってなんだろな」っていう問いも禅問答のように、わたしにつきまとってるけれど、それが解けたのが、今回の収穫です。
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「許して、はじめて生きられる」も正解だし、「許せないこと」も「許される」。
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他に学んだことはこちら↓
○本人が傷ついているという、その気持ちを肯定しないと、本人が苦しい
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○学校に行けない人が何に苦しんでいて、どうして命をかけてまでそこに行かないのかという現実をひっくり返したときに、そこには学校を良くするヒントがいっぱいあるはずなんです。
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あと、ロバートキャンベルさんが引用された、井上陽水さんの「海へ来なさい」の歌詞の繊細な達観が素晴らしかったので、貼っておきます。
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太陽に敗けない肌を持ちなさい
潮風にとけあう髪を持ちなさい
どこまでも泳げる力と
いつまでも唄える心と
魚にさわれるような しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい
そして心からしあわせになりなさい
風上へ向かえる足を持ちなさい
貝殻と話せる耳を持ちなさい
暗闇をさえぎるまぶたと
星屑を数える瞳と
涙をぬぐえるような しなやかな指を持ちなさい
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子供がどんな感情を抱いても、受け入れる。
あぁそうか、それもいいんじゃないと逃げ道というか場所を作ってあげる。
“死”を特別視しない。
怖いのは当たり前。でも今と地続きだとわたしも思う。
死を日常として、成熟していくこと。
「もったいない」を貫いた希林さんみたいな人で地球が作られていたら、今の現状はこんなことにはならなかったはず。
1皿の料理は、農家の人が手塩にかけて成し得た野菜と肉、漁師がまだ暗い早朝に過酷な海で釣り上げた魚、それらを何年も修行をして作り上げたシェフの技術でできた結晶。
そう思えば簡単には残せないはずだと。
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死の床に臥しながら、多くの子どもが
命を絶つ9月1日に、「死なないで」と訴えた
樹木希林さんのエピソードをはじめ、
心が揺さぶられる話の連続。
内田也哉子さんの、問い続ける姿勢も素晴らしい。
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偶然だが,この夏,不登校に関するテレビ番組を二つ見た。一つは,『不登校新聞』の編集長も参加していたトーク番組。こういう新聞があることも知っていたような初耳だったような…。その編集長は,いろんな芸能人のところへ行ってインタビューをし,「不登校の子どもたちに一言」をいただいたというようなことをおっしゃっておられた。そのときに,樹木希林さんが「難が有るってのは有り難いことなのよ」とおっしゃってくれたというような話をしていた。
また,もう一つの番組は,樹木希林さんの娘・内田也哉子さんを取り上げた番組だった。今回,彼女は一冊の本を出した。それが。この『9月1日』だ。
9月1日というのは,子どもの自殺が最も多い日だ。内田也哉子さんが,どうしてそのことを知ったのかというと,病室にいた母親の言葉からだったらしい。
「死ねないで,ね…どうか,生きてください」
去年の9月1日,母は入院していた病室の窓の外に向かって,涙をこらえながら,繰り返し何かに語りかけていました。あまりの突然の出来事に,私は母の気が触れてしまったのかと動揺しました。それからなぜそんなことをしているのか問いただすと,
「今日は,学校に行けない子どもたちが大勢,自殺してしまう日なの」
「もったいない,あまりに命がもったいない…」
とひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました。
この2週間後に,母は75年の生涯の幕を閉じました。
(本書「まえがき」より)
母に,9月1日のことを教えたのは,先に紹介した『不登校新聞』の編集長だったらしい。
本書には,樹木希林さんのインタビューやトークが2本と,也哉子さんの対談が4本,収められている。どのインタビュー,対談も読み応えがある。そして,不登校の子どもたちに勇気を与えてくれると思う。
不思議なのは,本書のまとまりのよさだ。それぞれの記事が,それぞれ別々に行われているはずなのに,一冊の本として,とても統一感のあるものになっているのだ。これは編集者の力なのかもしれない。ロバート・キャンベルさんとの対談が一番最後にきているなんて,ホンとすばらしい。キャンベルさんが闘病中に訳したという井上陽水の詞の本『井上陽水英訳詞集』も読んでみたいな。
超オススメの一冊です。
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「9月1日が来るその前に読まなければ」
そんな思いに駆られて、読みかけの本を一旦閉じ一気に読みました。
自分も中学時代に不登校を経験しましたが、その時はいじめなどの明確な理由があったわけでもなく、在籍していた野球部のハードな練習についていけず、しかも自分の下手さも嫌という程痛感していたため、ふと
「こんなに頑張ることの意味って何だろう?人間なんていずれ絶対死ぬのに。自分の様な能無しは努力したところでたかが知れてるんじゃないのか?」
そんな風な気持ちになり、野球だけでなく何に対しても無気力になり、家にこもってしまいました。
一見何の問題もなさそうに見える子が、ある日突然身動きが取れなくなる可能性はある、と本当に思います。
その後学校に戻れたのも、今振り返ると笑い話の様ですが「家にこもり続けるのもつらくなってきた」からでした。
このあたり本書にある内田裕也さんの「グレ続けていくっていうのも苦しいんだ」という言葉は身にしみてよく分かります。
9月1日をただのありふれた1日に戻すには、社会全体の理解が必要だと思います。時間もかかるでしょう。
そのためのきっかけとして本書を少しでもたくさんの人が手に取ることを願います。
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令和元年に書かれたこの本。
9月1日、自殺というあまりに悲しい決断をする少年少女の数が一年中で一番多い日。
その日に際して、死期迫る樹木希林さんが「どうか死なないで」と発した言葉に。娘、也哉子がバトンを渡されたと感じ、引きこもりや不登校に関心を寄せることになった。
母娘二代で関わることになった不登校。
どうしても学校に行けなくなった子供たち。
いろいろな立場の人物たちとの対談集。
『生きる』ということに対して真摯に向き合う対談集。
ぜひ広く読んでもらいたい。
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コロナ禍で学びの多様性(学校に行かなくてもいい)は少し進んだように思えるけど、まだまだ日本では学校に行くというコースに乗らない学び方があまり許されていない。「ハッチ」がたくさんある世の中にしたいな。
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タイトルだけ見て親子の生活のバトンかと想像していた。それは違った。不登校から自ら死を選ぶこどもたちを案ずるバトンだった。いじめられた昔の自分と親の関係、いまの自分と自分の子供との関係を考えながら読み進め、気づきが多くあった。
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不登校をテーマに。
9月1日、最も多くの子どもが自殺する日。
死ぬ理由が事故でもなく病気でもない。社会に、あるいは自分の中にこうしなければいけないという何かがあるために、その葛藤の末に死を選んでしまう子どもがいる。
人生のうちのたかが数年の学校生活のために死ぬくらいなら学校なんて行かなくてもいいと思うし、死ぬほど辛いと思うことがあるならそれを投げ出してそこから逃げればいいと思う。
生きづらいと思うのは無理をしているから。
無理して周りに合わせる必要もないし、やりたくないことを無理してする必要もない。
つらい〜死にたい〜と思うときは無理しているので、休もう、やーめた、と決めることもとてもとても大事(無理してやるよりよっぽど大事)だと思いました。わたしもつらいときは無理せず休む、しない、その感覚を大事に生きていきます。
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てっきり樹木希林さんと内田也哉子さんの親子エッセイかと思って読みはじめたところ、不登校の子どもについての本だとわかりました。
タイトルの「9月1日」は子どもの自殺が一年で最も多い日だということも。
樹木希林さんの女優としての歩みについても語られています。余った衣装を着たり、仕事も「これでい」というスタンスでやってこられて、結果、女優として大成功。
今の人たちがあまりにも失敗をおそれたり、周りからどう見られるかを意識しすぎて、子どもに「外れないこと」を求めるあまり、子どもを苦しめてしまうパターンもあるのだとわかりました。
「色々あっても、自分みたくなんとかなるものよ」と樹木さんは伝えたかったんだろうなと感じました。
内田也哉子さんと識者の方々との対談も読みごたえがあります。
良書です。
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以前樹木希林の葬儀の弔辞か何かを聞いてから、ずっと内田也哉子の何かを読みたいと思っていて、とりあえず手にとった本。
対談形式だったので、内田也哉子の訥々としたしゃべり方が頭の中でそのまま再生されていた。あの話し方だから余計に入ってくるものがあり、受け止めやすかったように思う。
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印象に残ったフレーズ(引用)
難の多い人生は有難い
ダイバダッタは、むかしはおしゃかさんの従兄弟かなんかで、同じように手をあわせていたんだけど、おしゃかさんの方が先に悟りを開いたのを憎たらしいとおもって、邪魔ばかりしてた。ちょっとでかけてるあいだにお弟子さんをつれていっちゃったり、お釈迦さんの名声があがるごとに命を狙ったりね。
おしゃかさんはそのダイバダッタに対して、ダイバダッタは前世で自分の師匠だった、今世ではじぶんがさとりをえるために同じ場所にうまれてさまざまな難を与えてくれているのだ、と悟るわけです。
自分に対して災いを起こし、不本意なことをやってくれるにんげんを、逆に私にとっての「師」であるという気持ちで受け取るのだと。
誰かと自分を比べるような、はしたないことはダメといってました
はしたないと普通に言える昔の人の環境
お釈迦さんがね、人間として生まれてくることは極めてまれなことだって。だったらね生き続けなきゃもったいないじゃない。
誰かがなんか言ってもそれは違うわよっていうのはまずないです。まずは、あ、そうなのと受け入れる。
だから9月1日に「嫌だな」と思ったら、自殺するよりはもうちょっと待って、世の中をみててほしいのね。必要のない人なんていないんだから。
余談ですけどね、宗教とは関係なく、これからrの世の中は、目に見えるものしか信じないか、目に見えないもののも受け入れるかで、ずいぶん歩いていく道がちがってくると思うんですね。
自殺なんていうのは、いきようとする肉体の細胞を無理やりシャットアウトするわけだから、自分の肉体ではあるんだけど、細胞の気持ちと相反しているわけです。
死ぬ理由が、病気でもない、事故でもない。社会に、あるいは自分の中に、こうでなければならないというなにかがあるために、その葛藤の末に死を選んでしまっている子供がいる
不登校の子との対談
シューレ(不登校の子が集う場所)に行った初日、なまえとか、どいう言うところで育ったとか、どんな問題を抱えているのとか、ある意味「情報」がわきに置かれていて、魂同士で交流できていた。
何かを一緒にやっているうちにその人のいいところや考え方が見えてくる理想的な集交流だったという話
トンネルにいるときの時間を「発酵させる時間」と考える
親が感じる時間を取り戻すことが大事
30秒でもいいから自分が感じるための時間にして大切にする
「今日は満月できれいだな」とか
「なんで学校行かないの?」とそういう会話はせずに、まずは親が感じる時間を取り戻すことが大切
違ってもいい はずれてもいいという
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読みやすかったです。
どんな内容なのか知らずに読んだので
引きこもりわ登校拒否の内容とは知りませんでした。
先日、樹木希林展を見てきたので、すごくよかったです。
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9月1日は大勢の子どもが自殺してしまう日-。そうつぶやいた母は何を伝えたかったのか? 樹木希林が遺した言葉と、それを受けて内田也哉子が「不登校」や「命」について考え、様々な人と対話して紡ぎだした言葉をまとめる。
重くて深い。
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バースセラピストの紹介のところで、
「行き詰まった人の心を軌道修正するような心のカウンセリング」って言葉があって、ああいい表現やなぁと思った。
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話題の本。
対談形式で樹木希林さんと娘の也哉子さんがおりなす「不登校」について。
もっと言うなら、不登校が原因で命を絶ってしまうほど追い詰められいく若い命たち 。
なぜ、9月1日なのか。
なぜ、樹木希林さんが不登校の子どもたちの問題にこれほどまで向き合い、その意志を也哉子さんが今受け取って立っているのか。
重く深い内容だけど、也哉子さんの口調や話し方が文面からちやんと声で伝わってきた。
後半はざっと読んでしまうとこもあったけど、教育関係者や不登校に悩みを持つ本人の親、にとって良い本だと思う。
私は不登校経験もなければ全然そんなことと縁がなかったが、振り返るといじめのようなことってもしかしたら誰もが通っていく(悪口や無視など)道かもしれないし。自分もあった。
誰もが、"その"可能性があったんだー。
そうやって読み進めていった
Posted by ブクログ
テーマ性はとても大事な話だし
重要な課題であると思いますが。
ちょっと著者を含めて、ちょっと文体や
言葉があまりにも稚拙な感じがしました。
少し残念な感じがします。
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9月1日は自殺が最も多い日。
樹木希林さんは、亡くなる2週間前の9月1日、「死ななないで、ね、どうか生きてください」と病室から窓の外に語りかけていたという。そのバトンを受けて、娘の也哉子さんが真摯に語っている。
Posted by ブクログ
夏休みが明ける9月1日に最も子どもたちの自殺が増えるという事実は、データとして発表されているにも関わらず、初めて知ったことだった。
日本はなにか大きな事件、それこそいじめによる自殺などが発生しない限り、こういう社会問題が取り上げられることがない。ことが発生してようやく、じゃあ変えていかなければという話になる
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そうではなくて、いまこの瞬間にも苦しんでいる子ども、人がいることをもっと社会問題として捉え、対処していかなきゃいけない。
でも、そうは思っても一個人として何ができるのか。考えても考えてもきっと正解はなくて、内田也哉子さんが言うように、とにかく大人がもっと発信していかなきゃいけないんだと思う。