あらすじ
赤マントシリーズ二二二回記念を期に「二二二」にまつわる新宿のデジタル時計と椎名誠の関係が語られる。また、実はレンコンが怖いことをカミングアウトし、それを「円形多孔物体恐怖症」と名付ける。椎名誠の生活と心の内面が見えてくるエッセイ、赤マントシリーズ第六弾。巻末には電子書籍版の追加として「対談 椎名誠×目黒考二」「電子書籍版あとがき」「椎名誠の人生年表」を掲載。
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Posted by ブクログ
毎度おなじみ、椎名さんのエッセイ集。
今回の【時にはうどんのように】は1994年〜1995年にかけて週刊文春で連載されたものだ。
最近は毎週のように文春を買うことはないが、4月23日号の時点でいまだに連載しているこの【風まか
せ赤マント】は933回を迎えた。スゴイなしかし。椎名さんの場合、長期で海外に探検にいくこともあ
るだろうし、日本中を飛び回っている人なので毎週の〆切りはすごいと思う。時には何本分も書き溜めて
旅に出ることもあるのだろうけど、すごい。すごいすごいとしつこいか。
この【時にはうどんのように】の1本目のエッセイが「222回記念」というタイトルで連載222回目
を迎えたことを書いている。それから712週?(4月26日現在)が過ぎた。クオリティは落ちるどこ
ろかますますキレとコクが増している。
さて、【時にはうどんのように】に納められたエッセイは言うまでもなくどれも面白い。個人的なお気に
入りは【東北ナメンナヨ旅】【駅裏路地裏裏ラーメンの謎】あたり。
で、以前から言っているように椎名さんのつけるタイトルに僕はいつも惚れる。前回紹介した【ネコの亡
命】は、本文にそのくだりが1行程度出てきただけであったが、今回の【時にはうどんのように】に関し
ては、本篇で一切触れられることすらない。
あとがきに「うどんになれるものならなってみたい」とあるだけ(笑)。そして続けてあとがきの中で椎
名さんは語る。※以下、あとがきより抜粋
『ところで、本書がなぜこのような書名なのか、「本文を読んでもそれに該当するところ明確に摑めず、
甚だ困惑しておる」などという指摘がなされるかもしれないが、もうすっかり気分をうどんにしてしまっ
た著者は、すでに何も考えるちからをもたずひたすらのたりのらくらするだけでそのことにはこたえるこ
とができないのである』
さすが椎名さん。理由なんていらないよね。うどんになりたい気分だったんですもんね。
Posted by ブクログ
赤マントシリーズ単行本第6弾。週刊文春1994年9月29日号~1995年7月13日号掲載分が収録されている。おそらく自分が赤マントシリーズの単行本をリアルタイムで買っていはのはここまで。いろいろ忙しくなったり、何かがあったりで途絶えてしまったのだろう。ざっと当時のニュースを見てみると、ナリタブライアンが菊花賞を勝ち、シンボリルドルフ以来10年ぶり、日本競馬史上5頭めの三冠馬に。 大江健三郎がノーベル文学賞受賞。「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」が発生。オウム真理教によって地下鉄サリン事件発生。13人が死亡、5,510人が重軽傷。など。震災とオウム事件が立て続けにあって世の中がザワザワしていた頃だったんだなあ。。テレビのワイドショーで椎名氏の友人である木村弁護士がオウム幹部を相手に堂々と張り合っていた場面は鮮明に覚えている。実に格好良かった。個人的には『傲慢なる饒舌』の巻が興味深かった。テレビにたずさわる当事者の傲慢さに嫌になったという話。最近はネットが普及してきてテレビ・新聞など既存メディアの力が徐々に落ち、やらせ・報道しない自由・MAD編集・偏向報道・ステマ等がすぐにバレてしまうのはとてもよい傾向だと思う。しかし、当時はテレビがメディアの中で最強最大だったからテレビ局関係者の傲慢さがかなり酷かった実態がよくわかった。阪神・淡路大震災のいやがる被災者に無理やりインタビューしたり、哀れさを増すように老人にわざと重いものを持たせるなどの「やらせ」は、311のときにも似たような報道があったよなあ、と怒りがふつふと湧いてくるのであった。
Posted by ブクログ
週刊文春、人気エッセイ新宿赤マントシリーズ。毎回、著書シーナさんが、日々起こった事を題材にとりあげ、面白、可笑しく書いている。また時には赤目で怒り書き殴っている。まちがいなく安心して楽しめる痛快エッセー。
Posted by ブクログ
亡き父が読んでいた椎名本。中には2011年国立西洋美術館で開催されていたレンブラント展の入場券が挟まれていた。1998年文庫本第1刷を購入しているが、この時間差は積読だったのかなと思わせる。中身は1994年から1995年までの椎名さんのエッセイなのだが、この年はもちろん阪神大震災の年で私は渦中の人だったので外部の人がどのように見ていたのかは想像の範囲であった。ほんとにものごとは渦中に放り込まれないと実感できないものなのだと思う。震度7の地震を体感し、神戸の空を文字通り昼間も暗くした長田の街を焼き尽くす炎と煙。あんなこともしたらいい、こんなこともしたらいいと提案されてもその時にはできないんですよ。それは30年たった昨年の能登地震でももどかしい復興までの日々が続いていることに示されている。それでもなにかあの時と違うこころの持ち方ができるとすれば、それは実感を持って被災した方の悲嘆、諦念、無力感に寄りそっていこうとする自分がいることだと思っている。「時にはうどんのように」を震災後30年を経た今読んでそう思った。