堤清二のレビュー一覧
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「ファスト風土化」:駅前にファストフードや居酒屋のてぇーン店ができたり、郊外に大型ショッピングセンターが登場したりして、駅前の商店街がさびれ、画一化が進むこと。
「無印良品」は「反体制派」商品である。体制とは「アメリカ的豊かさ」と「ファッション性」の2つを追求することである。
「共費」:部屋をもので満たすのではなく楽しい時間を共有しようとする消費。
堤が無印良品について語るところは読み応えがある。
これまでのアメリカ型の豊かさである大量生産大量消費がここにきて転換して、よりシンプルに、そしてあまりものにお金をかけないで生活しようとする世の中になっている。
三浦は雑誌「アクロス」を編集し -
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ネタバレ[ 内容 ]
T型フォードの発売からリーマン・ショックまで一〇〇年。
自動車の世紀だった二〇世紀が終わり、消費文化は大きな曲がり角を迎えている。
大流通グループ「セゾン」を牽引し、無印良品を生み出した堤と、地域の文化の衰退を憂慮する三浦が、消費の未来、日本の将来を語る。
「これがいい」ではなく、「これでいい」という「無印」の思想は、企業主導ではない個人主体の生き方を勧めるものである。
本当の消費者主権とは何か。
[ 目次 ]
1 アメリカ型大衆消費社会の終わり(自動車の世紀が一〇〇年で終わる 派遣切り メディアへの懸念)
2 戦後日本とアメリカ(アメリカ体験 地元への愛着 百貨店とファストフ -
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ここのところリンク読みしているセゾン文化もの。今更ながら、堤清二という存在の「深さ」と「軽さ」に興味津々なのです。そういう意味で、本書は辻井喬名で書かれているものに比べ、自己批評性が薄く感じられました。やはり、セゾングループの総帥、堤清二とグループ企業、アクロスの編集者であった三浦展との組み合わせが、ちょっとタテの関係過ぎたのかなぁ…語られている内容はTPP問題で待ったなしになった論点の先駆けていたりして十分、刺激的なのですが、なんか全体としては、モヤッとした感じで…サブタイトルに「20世紀消費社会の終焉」とあるのですが、そう!なんか「20世紀消費社会」のお通夜で交わされる会話みたいに感じまし
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ネタバレ色々と言われていましたが、堤清二のある一面が良く分かる本。
消費を是とするアメリカ文化、その影響を大きく受けた世代のしがらみと、それに対するアンチテーゼ。消費を礼賛しない。ブランド信仰しない。肩の力を抜いて、「こんなもんでいいでしょう。」という生活スタイルを提案した無印。
三浦氏言うところのファスト風土化する日本は、今後どっちに向くべきなのか。
画一化と多様性とを対比すると、概して多様性に共感する意見が多いが、一面、多様性とはどこに居ても何でも手に入り、広がりを基本とした形態だが、そこではローカリティがどんどん希薄になっていく。反対に、ある意味排他的な画一性こそがローカリティの基礎になるのでは -
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堤清二×上野千鶴子×三浦展のお三方。消費社会の次を考える上で外せないこの三人ですが、おのおのの対談で本にするというパターンですでに二冊でていました。
上野千鶴子×三浦展で『消費社会から格差社会へ』、堤清二×上野千鶴子で、『ポスト消費社会のゆくえ』ですね。
ということで最後の1ピース、堤清二×三浦展の巻。
すでに前二冊で、百貨店の時代は終わり、とか、地方は壊滅的、とかいった方向性は見えていて、それ自体に変化はないものの、
リーマンショック以降ということで、いよいよそれに拍車がかかった感が、言葉の中にありあり。
その対抗軸として、三浦さんは、無印良品をさかんに褒め、堤さんの慧眼を持ち上げるのですが -
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数年前、東京から地方に異動することになったとき「なんとかなるさ」と思っていた。でも、行ったあとすぐ「なんともならない」ことがあることに恐怖して、事あるごとに帰京した。帰京ができないときは近くの大都市に行った。そのくらい、そのときは「そこにないもの」を欲していた。今考えると愚かだよなぁ、自分は。いまや、「便利になった」と実感することは、東京をはじめ大都市にあるものが大都市でないところで同じように存在して、その恩恵を享受できることなのかもしれない。地方でちょっと暮らしてみて、また都会に戻ってきたら、都会は、どこもかしこも金太郎飴なことに気づいて、ちょっと息苦しい。堤さんが池袋のデパートで具体的なモ