長年「広辞苑」「岩波国語辞典」などの辞書作りに関わってきた元編集者による一冊。派手さはないけれど、辞書にまつわる話のあれこれが面白く、辞書や言葉が好きな人には楽しいと思う。
最初の方で出てくる、辞書を使った「たほいや」っていうゲーム、結構愛好者がいるそうだが、いやあ寡聞にして知りませんでした。辞書
...続きを読むに載ってはいるがほとんど誰も知らない言葉を親が出題して、子は各自その解説をいかにもそれらしくでっち上げ、それらと正解を一緒に提示して、これぞと思うものに投票する、というもの。公式ルールもあるらしい。とても面白そうで、やってみたーい!と思うのだが、著者も書いているとおり「センスがあってヒマもある」人が五、六人は必要で、うーん、これは無理だよ。第一、ちょっと自分でやってみようとしたらわかるけど、辞書の解説らしく書くってほんとに難しい!なんとハイブロウなゲームであることよ。
ちょっとした衝撃だったのは、著者が勧める辞書の備え方。出番を多くするために「置き場所を居間に、できれば手の届くところに」 うんうん、これは当然で、私もそうしてますよ。「函やカバーははずして」 え?ボロボロになったのをしつこく補修してどっちも後生大事に付けてるんだけど…。「できるなら手近なところで開いた状態で寝かせておく」 えーっ?まさか!傷むでしょ!「かざっておくものではありませんから、大事に保護しておくよりは、開くまでに手がかからないことを優先されるようお勧めします」 うーん、そうですか…。
辞書作り一筋の著者が、電子辞書の膨大な容量を使って遊んでみたいこととして書かれていたことの一つが、「岩波国語」や「広辞苑」で、同一の項目について初版から現行の版に至るまですべての解説を収録したものがほしい、ということ。これはまったく同感だ。一つの言葉をめぐって、辞書執筆者、編集者が様々に頭をひねってきた経過を見て、あれこれ考えるのは想像するだけでも楽しい。どこかやってくれないかな。
他社の辞書について論評したくだりもあるのだが、基本的に辞書編集者というのは、自社の他部署の編集者よりも、他社の辞書関係の人との方が共感し合えるものだそうで、その仕事ぶりへの敬意が伝わってくる内容だ。ところがその中で、人気の「新明解」についてだけは、控えめではあるけれどちょっと辛口なのが面白かった。
次のようなところに、著者の辞書を愛するこころがよく出ていて、共感する。
「いま『教養』ということばははやりませんが、直ちに必要ではないかも知れないがあることについて知っている、という豊かさ・贅沢さを味わわせてくれる紙の辞書は、なかなかのすぐれものだ、と私は高く買っているのです」
広辞苑を読み込んだ川柳は数少ないそうだが(そりゃそうか)、著者が「ひそかに愛する」という一句が紹介されている。
人の世や 嗚呼にはじまる 広辞苑 橘髙薫風
私の手元にある一番古い広辞苑は、昭和五十三年発行の第二版補訂版。広辞苑に絶対の信頼をおいていた父が、大学の入学に際して買ってくれた。以来、辞書を引くと言えばまず広辞苑。現在の第六版に至るまで、改訂されれば買い、職場用に買い、子どもの進学時に買い、いったい何冊買ってきたことか。
今もすぐそばにあって、考えてみれば、ずいぶん頼りにしてきたものだ。今やずいぶん老いた父をしみじみ思ったりする。これでちゃんとお礼を言ったりすれば「いい話」なのだろうが、これがなかなか難しいのよ。まあ、広辞苑がピカピカの新品のまま、本棚の重鎮としてまさに「不動」の位置を占めている我が子たちに比べれば、立派な親孝行じゃない?と勝手に思っている。