高瀬毅のレビュー一覧
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広島には、原爆遺構としての“原爆ドーム”がある。しかし、長崎には、原爆遺構がない。あるのは平和祈念像である。
原爆の傷を語る貴重な遺産となるはずだった長崎の浦上天主堂。なぜ浦上天主堂は取り壊されたのかに迫るノンフィクション。
消えたもう一つの「原爆ドーム」、それは、浦上天主堂の廃墟を指している。
無残に破壊された浦上天主堂は、当初は、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずの遺構として存続の方向で動いていた。しかし、一転、取り壊されることになる。
日本(あるいは長崎市)の思惑、アメリカ政府の思惑。
複雑に絡み合った事情と、“浦上”という“場所”が撤去につながった。
当初の目的地でなかった「浦上 -
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広島には原爆の悲劇を後世に伝えるための象徴的なモニュメントとして「原爆ドーム」がある。しかし長崎にはそのようなものがない。それはなぜか。
実は長崎にも「原爆ドーム」になり得る被爆遺構があった。浦上天主堂だ。
戦後もしばらくは撤去もされずに残った遺構を、原爆の記憶として残すことに、市議も市長も保存に向けて前向きだった。同地に天主堂の再建を目指していた司教も、市民が望めば、遺構を保存することにやぶさかではなかった。行政も市民も土地権原者も保存に向けて動いていたのだから、現存していてもおかしくはなかった。
しかし戦後13年目にして、取り壊されてしまった。
ひとつのきっかけとして市長の -
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原爆と聞いてすぐに思い浮かぶ映像は、広島ならば原爆ドーム、長崎ならば筋骨隆々とした平和祈念像でしょう。でも、原爆ドームが被爆した建物そのものであるのに対し、平和祈念像が作られたのは1955年、原爆が落とされて10年後のことです。
実は長崎にも、浦上天主堂という、原爆ドームに匹敵する、実際に被爆した遺構が存在しました。無残に破壊された浦上天主堂は、広島の原爆ドーム同様、保存されて、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずであり、長崎市もその方向で動いていたのですが、一転、取り壊されることになってしまいました。この本はそのような決定がなされた背景、事情を、当時の文書、議事録、長崎の歴史等から明らかにして -
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ネタバレ無知であるということは罪深いことだ。と思った一冊。
今の長崎にもしこの原爆ドームが残っていれば、日本人の、戦争や核を否定する思いはもっと強いものになっていただろうと思う。
それほどの歴史的遺産がとり壊れてしまった謎が、ミステリアスに描かれていく。
筆者の考えすぎでは!?と思うほどさまざまな訝しい点が線になり、それが浦上天主堂の撤去へとつながっていく。まるで推理小説を読んでいるみたいだった。
アメリカの誘導だったということは予想できたが、ソ連の、共産主義の排斥もその背景にあるのではという登場人物の指摘には、自分のあまりの無知加減に失望した。 -
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麦秋の 中なるが悲し 聖廃墟
(浦上を詠む) 水原秋桜子
そういえば、高校の修学旅行で行った広島の原爆ドームは、自らの痛々しい姿を生涯目に焼き付けさせようとするように激しく迫って私たちを迎えてくれましたけれど、長崎では、再建された浦上天主堂がまるで何もなかったかのように美しい佇まいを見せていました。
確かに中で出会った、目のないポッカリ眼窩の空いた被曝したマリア像は、その時はゾクッとするほど衝撃的でしたが、時間とともに記憶の彼方へ消し飛んでしまっているかのようでした。
でも、10年ぶりかで浦上天主堂のフィルムを目にしたとき、実像が出てくる前に、あっ、という感じで思い出しはしまし -
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広島と長崎。世界広しといえども、原子爆弾という人間が作り出した
悪魔の兵器の犠牲になった稀有な都市。
同じ被爆地だけれど、広島と長崎では何かが違うと感じていた。
それが本書のタイトルで腑に落ちた。
そう、広島には原爆の悲惨さを今に伝える原爆ドームがあるが、
長崎には平和祈念像はあるものの当時の姿のまま保存されて
いる建物がない。
否、長崎にもあったのだ。爆心地にほど近い場所にあった浦上
天主堂の廃墟だ。原爆の記憶を留める天主堂の廃墟は、当初は
保存の方向で検討され、長崎市長自らが保存方法について
研究するよう指示を出している。
だが、ある時から市長は廃墟解体へ舵を切る。アメリカから唐突 -
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人間は忘れっぽいものなのだと。「起きてはならないこと」、「起こしてはならないこと」、原爆投下のような必要悪が生まれたとき、人知を超えた自然の猛威が起きたとき、後世にどのようにして教訓を残すのか?そこが問われている。
当事者は心に傷を負っているのだから「忘れろ」と言われても忘れられない。でも当事者ではない同時代を生きた人々も、まったくその事象がわからない次世代の人々も、人間の性とも言えようか、時間の経過とともにやっぱり忘れていくものなのだと。この溝をどのようにして埋めていくのだろうか。
本書は長崎浦上天主堂の遺壁について述べられているが、戦後10年余り残っていたことは知らなかったし、残せる立場 -
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広島には三度行ったが、長崎には行ったことがない。そしてヒロシマの本は何冊か読んでいるのに、ナガサキの本をそう言えばきちんとは読んだことがないことにあらためて思い至った。
"No more Hiroshima, no more Nagasaki"とは言われても、ナガサキだけが独立して語られることの少なさ。それは第二の被爆地であるからだけではないのではないか、というのが、この本の着眼点である。
ヒロシマにあるシンボリックな「原爆ドーム」。原爆への思いを結集させる象徴が、一方のナガサキにはない。それはアメリカ側の圧力によって消されたのではないかという主張だ。
前半、ぐいぐい