作品一覧

  • ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」
    4.6
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 浦上天主堂の廃墟が戦後13年目に取り壊された裏に何があった?長崎原爆の隠された真実に迫る、渾身のノンフィクション。
  • 現代の肖像 三島邦弘
    -
    1巻110円 (税込)
    出版は特殊な業界だ。電子出版が進んでも、基本は人がコツコツと生みだすアナログなもの。一部のマンモスベストセラー以外はきわめて多品種少ロット。出版不況に活字離れ。それでも本の力を信じる「老舗業界のベンチャー企業」が旋風を巻き起こしている。
  • 現代の肖像 西田敏行
    -
    1巻110円 (税込)
    福島県の中通りで育った。中学卒業後、役者を志して故郷を離れ、日本を代表する名優となる。福島を離れて50年近くが経ったとき、大好きな故郷を東京電力福島第一原発の事故という「人災」が襲った。親しみやすいルックスの底に秘めていた、原発は「NO」という一貫した信念。表現者として、怒りは隠さない。隠せない。
  • 現代の肖像 木村真三
    -
    1巻110円 (税込)
    2011年3月12日に起きた、東京電力福島第一原発1号機の爆発。放射能が拡散すると確信し、現場に飛んだ。 国が安全との情報を出し続けるなか、職をなげうって、放射能汚染の調査結果を公表する。ありのままの放射能汚染を伝えるために、徹底して現場主義を貫く。一匹狼のような科学者に密着した。
  • 現代の肖像 伊勢崎賢治
    -
    1巻110円 (税込)
    9・11後のアフガン、独立紛争当時の東ティモール、内戦が続いたシエラレオネなど、武力紛争の最前線で武装解除と治安回復にあたった。講演では、あえてこう語りかける。「正義と平和は両立しない」。矛盾と危険に満ちた紛争解決の経験をもとに、新しい平和構築を模索する姿を追う。
  • ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」
    4.6
    長崎にも「原爆ドーム」があった――。それは爆心地の北東500メートルほどの位置に立つ、高さ25メートルの鐘楼を持った浦上天主堂。しかし1925年に完成し、東洋一と謳われたこの天主堂は原爆によって廃墟と化す。当初、被爆遺構として保存に積極的だったはずの長崎市長だが、訪米を経て「原爆の悲惨を物語る資料としては適切にあらず」と発言し、撤去路線に転換。結果として旧浦上天主堂は1958年に撤去されるに至る。世界遺産クラスの被爆遺構はなぜ失われたのか? 市長の翻心の裏には何があったのか? 丹念な取材によって昭和史のミステリーを解き明かした渾身のノンフィクション。
  • ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

    Posted by ブクログ

    広島には、原爆遺構としての“原爆ドーム”がある。しかし、長崎には、原爆遺構がない。あるのは平和祈念像である。

    原爆の傷を語る貴重な遺産となるはずだった長崎の浦上天主堂。なぜ浦上天主堂は取り壊されたのかに迫るノンフィクション。

    消えたもう一つの「原爆ドーム」、それは、浦上天主堂の廃墟を指している。

    無残に破壊された浦上天主堂は、当初は、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずの遺構として存続の方向で動いていた。しかし、一転、取り壊されることになる。

    日本(あるいは長崎市)の思惑、アメリカ政府の思惑。
    複雑に絡み合った事情と、“浦上”という“場所”が撤去につながった。

    当初の目的地でなかった「浦上

    0
    2020年09月30日
  • ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

    Posted by ブクログ

    広島には原爆の悲劇を後世に伝えるための象徴的なモニュメントとして「原爆ドーム」がある。しかし長崎にはそのようなものがない。それはなぜか。

     実は長崎にも「原爆ドーム」になり得る被爆遺構があった。浦上天主堂だ。

     戦後もしばらくは撤去もされずに残った遺構を、原爆の記憶として残すことに、市議も市長も保存に向けて前向きだった。同地に天主堂の再建を目指していた司教も、市民が望めば、遺構を保存することにやぶさかではなかった。行政も市民も土地権原者も保存に向けて動いていたのだから、現存していてもおかしくはなかった。

     しかし戦後13年目にして、取り壊されてしまった。

     ひとつのきっかけとして市長の

    0
    2017年08月15日
  • ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

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     原爆と聞いてすぐに思い浮かぶ映像は、広島ならば原爆ドーム、長崎ならば筋骨隆々とした平和祈念像でしょう。でも、原爆ドームが被爆した建物そのものであるのに対し、平和祈念像が作られたのは1955年、原爆が落とされて10年後のことです。
     実は長崎にも、浦上天主堂という、原爆ドームに匹敵する、実際に被爆した遺構が存在しました。無残に破壊された浦上天主堂は、広島の原爆ドーム同様、保存されて、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずであり、長崎市もその方向で動いていたのですが、一転、取り壊されることになってしまいました。この本はそのような決定がなされた背景、事情を、当時の文書、議事録、長崎の歴史等から明らかにして

    0
    2016年08月19日
  • ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    無知であるということは罪深いことだ。と思った一冊。
    今の長崎にもしこの原爆ドームが残っていれば、日本人の、戦争や核を否定する思いはもっと強いものになっていただろうと思う。
    それほどの歴史的遺産がとり壊れてしまった謎が、ミステリアスに描かれていく。
    筆者の考えすぎでは!?と思うほどさまざまな訝しい点が線になり、それが浦上天主堂の撤去へとつながっていく。まるで推理小説を読んでいるみたいだった。
    アメリカの誘導だったということは予想できたが、ソ連の、共産主義の排斥もその背景にあるのではという登場人物の指摘には、自分のあまりの無知加減に失望した。

    0
    2015年12月17日
  • ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    広島には原爆ドームがあるのに、長崎には「原爆遺構」がない。実は1958年まで原爆で破壊された浦上天主堂があったんです。焼けこげたマリア像や首の折れた聖像も多数。市議会も市長も全員「保存」で合意してたのが、1956年に当時の市長がセントポールとの姉妹都市提携に関連して渡米したら豹変。アメリカのソフトな懐柔路線にしてやられた(らしい)という話。読み応えあります。

    0
    2014年05月03日

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