作品一覧 2015/08/28更新 現代の肖像 伊勢崎賢治 試し読み フォロー 現代の肖像 木村真三 試し読み フォロー 現代の肖像 西田敏行 試し読み フォロー 現代の肖像 三島邦弘 試し読み フォロー ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 試し読み フォロー ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 試し読み フォロー 1~6件目 / 6件<<<1・・・・・・・・・>>> 高瀬毅の作品をすべて見る
ユーザーレビュー ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 高瀬毅 広島には、原爆遺構としての“原爆ドーム”がある。しかし、長崎には、原爆遺構がない。あるのは平和祈念像である。 原爆の傷を語る貴重な遺産となるはずだった長崎の浦上天主堂。なぜ浦上天主堂は取り壊されたのかに迫るノンフィクション。 消えたもう一つの「原爆ドーム」、それは、浦上天主堂の廃墟を指している。...続きを読む 無残に破壊された浦上天主堂は、当初は、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずの遺構として存続の方向で動いていた。しかし、一転、取り壊されることになる。 日本(あるいは長崎市)の思惑、アメリカ政府の思惑。 複雑に絡み合った事情と、“浦上”という“場所”が撤去につながった。 当初の目的地でなかった「浦上」。いろいろな偶然が重なり、原爆は「浦上」上空に落とされた。日本のカトリックの聖地的な場所「浦上」である。 原爆遺構として残されなかった「浦上天主堂」。 原爆が落とされたのも、廃墟となり取り壊されることになったのも、数奇な運命としか言いようがない。 出撃する前にアメリカ空軍内でミサが行われ、その後…、というのを考えても、人間の罪は深く、愚かであると痛感。 Posted by ブクログ ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 高瀬毅 広島には原爆の悲劇を後世に伝えるための象徴的なモニュメントとして「原爆ドーム」がある。しかし長崎にはそのようなものがない。それはなぜか。 実は長崎にも「原爆ドーム」になり得る被爆遺構があった。浦上天主堂だ。 戦後もしばらくは撤去もされずに残った遺構を、原爆の記憶として残すことに、市議も市長も...続きを読む保存に向けて前向きだった。同地に天主堂の再建を目指していた司教も、市民が望めば、遺構を保存することにやぶさかではなかった。行政も市民も土地権原者も保存に向けて動いていたのだから、現存していてもおかしくはなかった。 しかし戦後13年目にして、取り壊されてしまった。 ひとつのきっかけとして市長の変節がある。 戦後10年を機に長崎にアメリカのセントポール市との姉妹都市提携の話が持ち込まれた。今でこそ姉妹都市なんてそこら中にあるので珍しくもないが、これはその第1号、日本初だった。 この話を進めるためにアメリカに渡った市長は、行く先々の都市で歓迎を受け、繁栄を極めるアメリカに魅了されてしまい、言うなれば懐柔されてしまった。(アメリカが浦上天主堂の遺構を撤去するように市長に迫ったかどうかは不明。長崎市に対してなにかしらの条件を出したかどうかも不明。なので、市長がただただアメリカに魅了されただけなのか、長崎の発展のためにはアメリカと友好関係を第一にしようと考えたのか、その辺も不明) 当時のアメリカは反共政策のひとつとして、その財力にものを言わせて、世界各国の要人や若者を招いては歓待をし、親米家を増やすということをやっていたらしい。そのための専門機関(USIA)もあった。United States Information Agency の略で日本語ではアメリカ広報・文化交流庁というらしい。日本語にするとちょっとした観光促進とか、文化交流の推進みたいなイメージだが、目的は反共政策だから、その規模は推して知るべしだ。 もう一つのきっかけは土地権原者である浦上天主堂の山口司教が、これまたアメリカ各地を巡り、天主堂再建のための寄付集めに奔走したことだ。でもこちらは変節ではない。天主堂再建は司教にとっても信者にとっても復興の第一の眼目なのだから。 浦上という土地は江戸時代から、何度も何度も迫害を受けた土地だった。隠れキリシタンとして潜伏し数百年に渡り信者は耐え忍んだ。天主堂の建てられた場所はかつて信者たちに踏み絵を強要し、拷問した庄屋のあった丘だった。彼らは自分たちの信仰を弾圧した権力者の建物を壊し、その上に天主堂を建てた。その意味から、遺構を残したいからといって、天主堂を違う場所に移転するということは簡単なことではなかった。やっぱり同じ場所に復興の証として再建したいという思いがあったのだろう。 このような経過で撤去への動きは加速していく。市民も権原者も撤去へ、残りは市議と市民の声が頼りだが、実は市民の関心はそれほど高くなかった。それも浦上という土地に関係している。 当初の原爆投下予定地の長崎市内中心部から浦上は西に少しずれている。原爆投下時、市内が前日の空襲の影響で煙っていたため、浦上に目標がずれてしまったわけだが、市民の中には「浦上は耶蘇教の土地だから天罰が下ったんだ」と考えている人もいた。市の中心付近の人たち比較的被害が少なく、諏訪の神様が守ってくれたんだ、と思った。(有名な『長崎くんち』は諏訪神社のお祭り) 市民の声も、なんとしても保存!というような強いもの、強いまとまりはなかったようだ。 東日本大震災のときも震災遺構の撤去と保存の問題が住民の間であったから、保存ということでまとまるというのはなかなか難しかったのかもしれない。あの遺構をみると原爆を思い出すから早く撤去してくれなんて声もあったろうし。 でも、たぶん市長が変節しなければ、残った可能性は大だ。 一方の広島の原爆ドームは何で残ったのだろう? 調べてみよう。 Posted by ブクログ ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 高瀬毅 原爆と聞いてすぐに思い浮かぶ映像は、広島ならば原爆ドーム、長崎ならば筋骨隆々とした平和祈念像でしょう。でも、原爆ドームが被爆した建物そのものであるのに対し、平和祈念像が作られたのは1955年、原爆が落とされて10年後のことです。 実は長崎にも、浦上天主堂という、原爆ドームに匹敵する、実際に被爆し...続きを読むた遺構が存在しました。無残に破壊された浦上天主堂は、広島の原爆ドーム同様、保存されて、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずであり、長崎市もその方向で動いていたのですが、一転、取り壊されることになってしまいました。この本はそのような決定がなされた背景、事情を、当時の文書、議事録、長崎の歴史等から明らかにしていきます。 一見、平和の象徴であるような「永井隆」「姉妹都市」「フルブライト」などについてあらためて考察しながら、事実を拾い上げていく描写は、ミステリーを読んでいるようでした。自分の仮説の決定的証拠が発見できなかったことは著者自身が認めていて、その仮説を単なる憶測ととるか、貴重な調査ととるかは、読者次第でしょうが、戦争、平和、世界を多少なりとも考えるうえで、大変有益な本であることは間違いありません。 本書を読んだあと、英語の異常な隆盛やディズニーランドの異様な人気、こうした現象の背後に何があるのか、あらためて考えてみることをおすすめします。 Posted by ブクログ ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 高瀬毅 無知であるということは罪深いことだ。と思った一冊。 今の長崎にもしこの原爆ドームが残っていれば、日本人の、戦争や核を否定する思いはもっと強いものになっていただろうと思う。 それほどの歴史的遺産がとり壊れてしまった謎が、ミステリアスに描かれていく。 筆者の考えすぎでは!?と思うほどさまざまな訝しい点が...続きを読む線になり、それが浦上天主堂の撤去へとつながっていく。まるで推理小説を読んでいるみたいだった。 アメリカの誘導だったということは予想できたが、ソ連の、共産主義の排斥もその背景にあるのではという登場人物の指摘には、自分のあまりの無知加減に失望した。 Posted by ブクログ ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 高瀬毅 広島には原爆ドームがあるのに、長崎には「原爆遺構」がない。実は1958年まで原爆で破壊された浦上天主堂があったんです。焼けこげたマリア像や首の折れた聖像も多数。市議会も市長も全員「保存」で合意してたのが、1956年に当時の市長がセントポールとの姉妹都市提携に関連して渡米したら豹変。アメリカのソフトな...続きを読む懐柔路線にしてやられた(らしい)という話。読み応えあります。 Posted by ブクログ 高瀬毅のレビューをもっと見る