金嶽宗信のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
■本来無一物
「本来無一物」という言葉があります。自分が所有するものは本来、一つもないという禅の言葉です。
→体でさえも借り物
★この考えは持ち続けたい
玄関は、「玄妙なる関門」、修行に入る入口
→靴の脱ぎっぱなしはよく無い
↑★これ子供に言いたい。
・・・以下メモ・・・
"実は人間、物がないほうが、心豊かに過ごせます。
→ものを待たず心の中に止める
玄関は、「玄妙なる関門」、修行に入る入口
→靴の脱ぎっぱなしはよく無い
■禅の世界観
禅宗は、「自分の心を研ぎ澄ましてみなさい」という世界です。
→神がいて?という他の宗教と異なる
お茶やお風呂も禅から来ている
→ -
Posted by ブクログ
ネタバレシンプルに生きる方法を考えさせてくれる本
・脱いだ靴は棚や靴箱にしまうようにする
・「所有とは、執着」だと考える
・「物がある」のは当たり前と思わない
・物を持たない工夫を楽しむ
・物が豊かになればなるほど、人間は自分の頭で考えないようになってしまう
・物を持つこと=心の貧しさを表してる
・持ってる物を減らそうとするとき「今」必要かどうかを基準に決める
・精神的に持たない生き方=悪い感情を持たないように意識する
・人と比較せず、自分が持てる力を最大限に活かすことに集中する
・今自分の立ち位置でできることに目を向ける
・日々自分ができることを一生懸命やればそれでいい、自分ができる範囲でコツコツ -
Posted by ブクログ
この地球全体が自分の庭くらいの感覚で生きているからです。そういう感覚を持てば、別に何も必要ありません。 自分の家があり、庭があるといっても、公園に行けば、もっと広い庭があります。
→この感覚は面白い。地球全体の中で生きている。そう思えば、自分の所有物にしなくても、ショップに置いてあるものも地球みんなの所有物としてみることができ満足できるのではないか。
自分にとっては本をこの視点で考えることができるようにしたい。書店はみんなの本棚。どうしても繰り返し読みたいものだけ購入する。本屋的にいいのかどうか分からないけど!笑
昔、薬師寺の高田好胤さんという有名なお坊さんが、「最大の努力をするのに、最小の -
Posted by ブクログ
今年の6月頃からミニマリスト生活に魅力を感じ日々行動しているのですが、この著書でも言われている「物がないほうが豊かに過ごせる」は本当にそうだなと共感しました。
部屋にたくさんのモノが溢れていた時は心に余裕がなく、すぐにイライラしたり人間関係も上手くいかない時期がありました。けど、モノが減ることにより同じ部屋なのに広く感じたりモノに縛られることがなくなるので精神的に自由を感じることができ、執着から解放されたような気さえしました。
これからも自分なりのものの見方で探究を続け、自分なりのオリジナリティーに溢れた持たない生活をしようと思います。 -
Posted by ブクログ
禅語にまつわるエピソードを通して教訓を学ぶという内容。
例えば、煩悩妄想を打ち砕く「百雑砕」。物体や器物を破壊するというだけではなく、全ての人の心にある、白と黒、善と悪などの相対的思慮分別のすべてを砕くのだという。学んできた知識、さらに修行で得た悟りさえも打ち砕いてしまう。地位や名誉や財産も。持ち物がとらわれを生み、かえって不自由な生活になっているという。この話の中で、伊達政宗が自分の愛用する茶碗を眺めているうち、つい落としそうになり焦った自分に対し、命がけの戦いをくぐり抜けてきた自分が…と、高価な茶碗を庭の石にたたきつける話が紹介される。一碗に心を動揺させられるとは何事か。
中々できる事 -
Posted by ブクログ
月刊『遠州』に連載している記事に加筆修正したもの。ということで購入する人もそういう遠州の購読者を意識しているのか、まえがきを含めた全体の書き方だったり取り上げるエピソード、コラムなんかも茶や遠州に絡めている感じはある。
一個一個の禅語とそれに絡めた話も面白かったし、心頭滅却すれば火もまた涼しの上の句安禅不必須山水も知れたし、あと個人的には筏の話が印象に残った。ある男が旅をしていたら大きな川にぶち当たり、歩いて渡れず、周りにある木で筏をつくりそれに乗って無事川を渡ったと。男は筏を宝として持っていこうとするか筏は大きくて重く、泣く泣くあきらめてその筏を捨て旅をつづけた。旅は人生、川は難問、そして筏 -
Posted by ブクログ
私という字 着飾ったり自慢話をしたり、自己肯定感を高めるためにSNSをやったり、人生を満足するために色々ことをしたり手に入れたりして来ましたが、キリが無いような気がして来ました。ミニマリストが流行っていますが、不要なものは極力持たずに、必要最低限で足るを知る生活をしても良いのでは無いかと思い手に取った本です。
私という字の中に仏は隠れている。仏は自分の中にいるのです。漢字遊びは好きで、愛には真ん中に心、真心があるけど、恋には下に心があるから、下心があるみたいな。。。私には仏が隠れているってのは面白いですね。
所有とは執着である。持てば持つほど執着は増えるし、物が豊かになればなるほど、人間は -
Posted by ブクログ
一つ物を持てば、一つ執着が増えます。そして、一つひとつの物に対して執着が生まれると心を乱す原因も増えます。ですから、人間には制限があった方が楽だし、精神的にも、日常的にも安定した生活が送れます。
「所有とは、即ち執着である」と考えるべきです。持っている物に付随して、次から次へと色々な執着が発生していきます。それによってどんどん自由が縛られていきます。物でも、人間関係でも、自分にとって本当に重要なのを残せばいいです。
「幸せは自分の中にある」ということをもう一度考えさせていただきました。また、「一日是好日」という禅語も勉強になりました。毎日、できることを精一杯頑張ればそれで十分です。
「 -
Posted by ブクログ
仏教の考え方から筆者の住職さんがモノ、欲、持たないほうが幸せに生きられることを教えてくれる本でした
○物が豊かになればなるほど、人間は自分の頭で考えないようになってしまう
○「足るを知る」
物欲は無くすことはできないが、小さくするとこは出来る
自分は既に十分に満たされていることに気づくようにする
○悪い感情を持たない
○後悔を持たない
過去は変えられません
今、自分の立ち位置で行動できる楽しいこと、充実できることに目を向けていく
○余計な人間関係は持たない
他人を変えることは出来ません
どうしてもイヤな人、ウマが合わない人はいるので余計な人間関係は作らない、もしくは自分か -
Posted by ブクログ
「禅的」持たない生き方
それって本当に必要か、考えるべきことか、人との関わり合いはどうかを問い直させる本。私たちは普段、特に深く思考することなく物を買ったり使ったりしているがそれはなくてはならないものかを考えた方が、幸せにつながるのではないかと筆者は考える。
「物を持つ」とはつまり「執着する」ことである。精神的にも物理的にもそして良くも悪くも物を持つことは執着することなのだ。執着があるということは本来無一物という禅的考え方からは遠ざかり、無駄な反応が増えることになる。だから、あえて持たない、制約を加えることで無駄な反応や悩みを減らすことができる。自由民主主義が絶対とされる現代において、「制約