篠田達明のレビュー一覧
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ネタバレ徳川将軍15代の健康状態を、医者の視点で解説。
一般的な歴史背景もわかりやすく解説されていて、
歴史好きの方にも健康オタクにも楽しめる内容。
死亡原因はもちろん、年代や、法名が正確に記されています。
【面白いなと思った箇所】
・初代家康はサナダ虫に悩まされていた。
・家康の次男秀康は梅毒で死亡した。
・その息子は躁うつ病。
・3代家光は吃音障害。ホモ。脳卒中で突然死。
・4代家綱は軽度の知的障害か?死因不明。母親は産後の体調不良で死亡。
・忠臣蔵は5代綱吉のマザコンが原因か。
・その綱吉は低身長症。一般的には麻疹で死亡と記されているが、食べ物を気管に詰まらせた窒息死の疑い。
・6代家宣は綱 -
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日本史に名前を刻む人物132名の、身体の状況を推測する内容。
・はじめに・・・身体計測は、遺体の計測の他にも様々な方法で。
第1章 古代・奈良時代・・・ヤマトタケル、聖徳太子など、7名。
第2章 平安・鎌倉時代・・・藤原道長、平清盛、源義経など、14名。
第3章 室町・安土桃山時代・・・足利尊氏、織田信長など、28名。
第4章 江戸時代・・・松尾芭蕉、平賀源内、葛飾北斎など、31名。
第5章 幕末・勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作・・など、25名。
第6章 明治・大正・昭和・・・森鷗外、野口英世、力道山など、27名。
各1ページ、上部にDATA(生没年・出身地・身長・体重・体形
持病・死因 -
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古代から現代まで、歴代天皇の姿を「病」という視点から探る。
一 疫病調伏のための「大王」ー飛鳥・奈良時代
二 怨霊の祟りに置き換えられた病魔ー平安時代
三 肖像画に如実に顕れた健康状態ー鎌倉~安土桃山時代
四 幕藩体制の下でー江戸時代
五 現代医学と生活習慣病ー明治・大正・昭和
六 病録の章
主要参考文献有り。歴代天皇一二五代のカルテ一覧表有り。
前作の「徳川将軍家十五代のカルテ」からパワーアップ!
なんと歴代天皇が対象です。但し、古代は伝説上の人物であり、
史料が乏しい時代もあるので、全員というわけではありません。
それでもまぁ、よく調べたなぁ~といった内容です。
また、天皇周辺の著名人につ -
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歴史上人物の体格がわかると思い浮かべるよすがになる。江戸時代は小さい。西郷隆盛は180㎝110kg(二代目若乃花とほぼ同じ)体だけで威圧感あるが態度は謙虚で背を丸めるようにして話したという。小村寿太郎は162㎝欧米外交官に比べると小さいが(しかも貧乏で割勘を払わず逃げるが常習)度胸は大きく、日英同盟、ポーツマス条約をまとめあげた。昔の人にも長生きはいるが長く生きたとしても今の政治家にできない業績、享年57歳/北里柴三郎60歳にして研究所を取り上げられるが奮起‥北里研究所
江戸時代の体躯矮小化は著しい。コメなど穀類ばかり食べて栄養が偏っていたのと、農業が重労働だったからではないか。島国に -
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読書録「日本史有名人の身体測定」4
著者 篠田達明
出版 KADOKAWA
p107より引用
“ 江戸前期は食生活が質素で武士も玄米を
常食とした。家治の時代になると町民たちは
白米飯を腹一杯食べねば満足せず、江戸城台
所も精白米しか買い入れなかった。このため
脚気患者が多発した。”
目次から抜粋引用
“古代・奈良時代
平安・鎌倉時代
室町・安土桃山時代
江戸時代
幕末”
医師であり歴史小説家である著者による、
日本史上の有名人身体測定結果をまとめた一
冊。
ヤマトタケルノミコトから美空ひばりまで、
実物の遺骨や歴史資料などを手がかりとして
記されています。
上記の引用 -
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[ 内容 ]
多指症で劣等感に苛まれていた秀吉、急性驚愕反応に襲われた家康、高血圧症の信長、ジャイアント馬場顔負けの巨人である宮本武蔵、重度の糖尿病だった藤原道長、男性型脱毛症に悩むセザンヌ、アレクサンダー大王は筋性斜頚、“ヴィーナス”の外反母趾、「四谷怪談」お岩は上顎癌だった―。
歴史上の人物たちを、残された肖像画をもとに、現代医学の見地から診断してみれば、アッと驚く素顔が見えてくる。
[ 目次 ]
第1章 あの「名作」に隠された“病い”(モナ・リザは高脂血症;宮本武蔵の巨人症 ほか)
第2章 壮絶なる戦国武将たちの肖像(秀吉の先天性多指症;驚愕反応に襲われた家康 ほか)
第3章 贅沢病ぞ -
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[ 内容 ]
健康オタクが過ぎた家康、時代劇とは別人像「気うつ」の家光、内分泌異常で低身長症の綱吉、飲酒が高じて食道がんで逝った光圀、そして実は三人も将軍位に就いた障害者…。
芝・増上寺にある徳川家霊廟で発掘された遺体や文献をもとに、歴代将軍を最新医学で診断してみると―。
彼らはどんな養生法を心掛けていたのか、そして死因は、さらに世継ぎをもうけるための苦心とは?
史実には顕れぬ素顔が見えてくる。
[ 目次 ]
家康―初代将軍(一五四二~一六一六)死因・胃がん
秀忠―二代将軍(一五七九~一六三二)死因・胃がん
結城秀康―家康の次男(一五七四~一六〇七)死因・梅毒
松平忠輝―家康の六男(一五九二