植村直己のレビュー一覧
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人生は山登りの連続です。自らの選んだ山に設定した目標へ向かって、時には休み、時には歩きしながら登っていくのです。目標に到達した時、人は達成感を得て、支えてくれた周りの協力に感謝しつつ、次の山を目指すのです。エベレストの頂上は8,848mですが、5,000mまで登れば十分なのかもしれません。英語の山など登らずとも、箱根の山だって良いじゃありませんか?
私は、エベレストに登った植村直己よりも、エベレストに登るため、他の人より何ヶ月も先に現地入りし、住込みで働きながら、毎朝マラソンをして高度順応する。折り返しの空き地で、「エベレストよ!いつか登ってやる!」とその頂きに向かって叫ぶ植村直己が大好きで -
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ネタバレノンフィクションの極地での冒険譚に興味を惹かれないわけはなく、ドキドキハラハラしながらページをめくった。
最初、雪が積もっているところはどこへでも犬橇で行けるものだと思っていた。だが読みすすめて分かったことには当地では冬に海が凍結してからしか橇に乗らないこと。陸上でなく凍った海上を橇で進むらしいのだ。
一時的に凍っているだけの極寒の海の上を橇で進むなんて正気の沙汰じゃない。
想像以上の危険と恐怖にヒエーと怯えながら読んだ。
特に3,000キロの犬橇の旅はヒヤヒヤしながら読み進めた。極寒の地でテント泊をしながら、白熊に怯え、食料危機や悪天候に悩まされながら、読んでいるだけとはいえスリル満点であ -
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1982年発行の単行本を再読。カバーは植村の登頂写真ではなくエベレストだ。発行者は当時文藝春秋にいた半藤一利。
あとがきで「原稿を書くということは山登りより苦しい」と記す植村だが、改めて文章もうまいと感じる。平易な言葉を重ね、テンポもあって読みやすい。そして何より、様々な場面で植村らしい優しさや謙虚な人柄が伝わってくる。コックが隊員にどなられると自分のことのようにつらいという植村。10歳くらいの子供も30kgの荷物を背負うポーターには「私たちのような文明人のもつ甘えはどこにもない」と思いを寄せ、「私は日本の山だってろくに知らない」「K2もノー、カンチェンジュンガもノーと偉そうに言うのは、私が -
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冒険家植村直己氏の自伝。
エベレスト登山についての内容をまとめたもの。
登山家がなぜ山に登るのかが、なんとなくだけどわかった気がする。
命がけで、辛くてたまらないのに山の魅力に取り憑かれてしまった男たちの話。
昨日まで元気だったのに突然死んでしまったり、落ちてきた氷の塊に潰されて死んだり、凍傷で指が無くなったりと困難ばかりだけど、世界一の頂点に立つということへの渇望はすごく理解できた。
自分が行こうとは思わないけど、その世界一の景色を想像して読むことができた。
淡々とした語り口ながら、エピソードがインパクトあるため、どきどきしながらも読めた。良書。 -
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明大で山岳部に入る頃から、五大陸最高峰の単独登頂を果たすまでの手記。
(ヤマ屋のバイブルのひとつらしい。ヤマケイ誌の読者投票でも、8位に入っていた)
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読中、何度も浮かんで来たのは「愚直」という単語だった。あだ名は「ドングリ」だった。不器用だった。でも逆にそれをバネにして、余人の到達し得ない高みを踏んだ。
冒険には才能がいる。
へこたれない、諦めない。そして、思いこむ力である。
功名心がまったくなかったとは言えない。が、動機はいつも単純だった。心の赴くまま、ただ行きたい方向へと、思いこんだら一途に、どこへでもひょいと出かけて行く。実行に躊躇はない。
ふつふつと沸き上がってくるもの、そ -
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僻地へ旅に出る人の本が無性に読みたくなり著者の本を手に取る。登山用語もエベレストがなんたるかもよくわからないまま検索片手に読み進める。
とても驚いたのが、報道等では、登攀した人個のすごさを全面的に表に出しており、自分自身もそのように思っていた。しかし、単独登頂でなく極地法と呼ばれる手法においては本当に様々な人々の支えによって成り立っているということを本書を通じて初めて知った。更に、そこには現地のシェルパと呼ばれる人々の力なしにはなし得ないという事。そういったことを痛感している著者の姿勢に強く共感した。
「私にとって良い山とは、ひとつの極限を意味している」
冒険家としての登山家としての著者の人