高木光太郎のレビュー一覧
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人の記憶の脆さと、その脆さに頼らざるを得ない裁判。
記憶は体験を発酵させ、少しずつ変化させていく熟成庫のようなもの、蓄積されて動かない倉庫ではなく、いろいろな情報を複雑にリンクさせていく開かれたシステムだといいます。
ウォーターゲート事件でのジョン・ディーンの事例。自民党本部放火事件で「電磁弁」を購入した人物について販売店員の「善意で生まれた」記憶。甲山事件の園児証言に関するフィールド実験。
いかに、人の記憶が、無意識に悪気なく「変化」して、生まれて、定着してしまうかがわかりました。
事件からしばらくたって、日常的な出来事について思い出すよう求めて話された「記憶」は、あやしい。
「じゃあ物証ない事件の犯人は逃げ得?」というのはつらいですが、記憶に基づく証言の脆さは強く意識していないと本当におそろしいです。
著者のグループは足利事件の菅谷さんの公判供述の分析も担い、意見書を(弁論の補充書という形で)裁判所にも提出しており、その分析内容も詳しく記載されていました。この本が出た2006年時点と異なり、再審無罪という結果が判明した今だからかもしれないですが、「たしかに変だ」と腑に落ちる分析でした。
証言の心理学の分野では浜田寿美男さんの名前をよく聞いていたけれど、この著者のグループは、浜田さんのアプローチとはやや異なるということです。 -
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会社の飲み会(年配のおじさん多い)は面白い。毎回毎回必ず「例」の話が出てくる。例えば皆んなが受けた地獄の様な研修の思い出話、皆んなが尊敬していた同僚が突然亡くなった後の故人との思い出話。毎回ほぼ同じストーリーで語られ、同じ所で笑いや懐かしさに襲われる。考えてみたら、それ程同じ話を変わらず繰り返せる話者も凄いが、いかにも初耳であるかの様に笑える聞き手も凄い。双方の記憶力の対比を数ヶ月間隔で定期体験している。
私も同じ研修話をするが、最早何度も話をしてるうちに、自分が体験した事なのか、他人の経験を自分事として話してるのか怪しくなっている。
それ程に日常的にも周囲とのネットワークで記憶は作られていく。
本書は事件と犯人のその後(逮捕後)の証言の中からそれらコミュニケーション過程に発生する記憶・証言の信頼性を心理学的に紐解いて行く内容だ。通常の実験から得られる心理学的学説だけでなく、証言の過程で発生する記憶の時系列的な矛盾、質問の仕方により発生する錯誤を探し出し、真実を明らかにしようとするアプローチだ。
読み進めるうちに、最初に書いた様に、ごく身近なところでも容易に発生する記憶違いに若干恐怖を覚えるが、中々興味深いアプローチだ。
日常会話でも話してるうちに尾鰭がついて原型を留めない?人も頻繁に見かける。仕事上言い訳を聞く機会が多いが、言ってる側から矛盾していたり、要は話しながら作ってるな、と感じることは多々ある。数日後に同じ事を聞くと、今度は指摘した矛盾箇所がごっそり抜け落ち、整然としたストーリー・記憶にすり替わってしまう事もある様だ。事件の証言ではそうは行かないが、所詮は記憶、されど記憶という事で、明日以降の飲み会は自身の発言機会が減りそうな一冊である。勉強になる。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
人は嘘をつこうとしていないのに、体験していない出来事を見たり聞いたりしたと証言してしまうことがある。
証言の聴き手が、それと気づかないうちに虚偽の証言や自白を生み出す手助けをしてしまうこともある。
人間の記憶は脆く、他者の記憶とのネットワークによって成立している。
これを法廷という非日常の「現場」に生かすことは果たしてできるのか。
興味深い実例を交え、心理学研究の最前線をわかりやすく説明する。
[ 目次 ]
プロローグ 三つのキーワード
第1章 記憶の脆さ
第2章 ネットワークする記憶
第3章 正解のない世界
第4章 ギリギリの挑戦―目撃証言への実験心理学アプローチ
第5章 内側からの眺め―浜田寿美男の「供述分析」アプローチ
第6章 コミュニケーションの亀裂―スキーマ・アプローチ
エピローグ 記憶のリアリティ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
10冊目です。
この本はいかに人の記憶があいまいでかつ不確かなものかということを教えてくれます。例えば普段の生活でも「おとといの
夕食なんだったっけ?」ということなどよくありますね。その程度であれば当たり前のことのように思えますが記憶の怖いところは
体験していないことでも勝手に加工されあたかも体験したかのように思ってしまうことです。どういうことかというとあまり覚えていない
ことについて(前述の夕食のことについてなど)、人から「おとといはカレーじゃなかったっけ?」などと言われてしまうと「あ、そうだったな」
などと思ってしまうようなことです。これがまだ日常生活の範囲内であればよいのですが犯罪における目撃証言の場面ではとりかえしのつかない
ことになってしまいます。
もしいまある殺人事件が起こったとします(凶器はバタフライナイフだとします)。普通の警察なら凶器であるバタフライナイフが購入されたと
思われるお店に行って誰がナイフを購入したのか事情聴取に行きますよね。ですが普通そのようなナイフを日常的に販売している店ではだれが購入したのかなどいちいち覚えていません。したがって普通に質問しただけでは当然芳しい証言は得られません。しかし、ここで質問方法を変えると全く状況が変わります。例えばいくつか容疑者と思われる人物の写真をもって質問してみます。ここで注意するのがひとつの写真だけ他のものと違う形でとった写真とします(ひとつだけスナップ写真で他は普通にとった写真とします)。すると店員は「見たことがあります」と言ってしまうのです。しかも日時など詳細なことは絶対に覚えていないはずなのになぜか具体的にいつ買いに来たのかまで供述してしまうのです。さらに怖いのがこういったことが有力な証拠として使われてしまうことです。このような証拠がはたして信用できるものでしょうか。
同じことは自白の強要などの場面にも適用できます。そしてこれが冤罪を生んでいる可能性があるのではないか、というのが本書の主要な主張です。
ではどうすれば防げるのか。これは大変難しい問いですよね。なぜならば基本的に捜査は人の記憶に頼るほかなく、しかも人間の記憶が曖昧さをもとから包含しているのならば完璧な証言など得られるはずがないからです。そうすると基本的に捜査不可能となり一生事件解決などできません。大変深く難しい問題であると言わざるをえません。 -
Posted by ブクログ
記憶というものがいかに脆く、また取り調べや法廷という非日常的なコミュニケーション場面であることもあいまって、いかに事実と離れた創作された事実が生み出されるか、といった問題について述べられている。「法心理学」という分野での研究者のジレンマや、具体的な研究法などの紹介が、実際に起こった事件をもとになされている。序盤は記憶の一般的な性質について、中盤は法心理学という分野の特異性、終盤は主に1990年に起こった「足利事件」の容疑者の供述をめぐる具体的な分析について。
最近、生徒相手に何してたの、誰がその場を見たの、何て言ったの、なんて警察まがいのことをやることがあって、その証言を聞きながら、記憶が歪みやすいというのは知っていたけど、もっと詳しく知りたいと思って、読んだ。ある教員は「これだけ具体的に言ってるんだから本当に違いない」と言っていたが、別の教員は「具体的すぎるからおかしい」みたいなことを言っていて、その辺についてはウォーターゲート事件で証言をした大統領法律顧問のジョン・ディーンという人の話が参考になりそうだ。めちゃくちゃ詳細に発言の内容や行動まで述べたけれども、嘘だった、という話で、「細部に関する記憶の脆さと、それを穴埋めしてしまう『常識』『意味』の強さ」(p.28)について教えてくれる。「記憶は体験を発酵させ、少しずつ変化させていく熟成庫のようなもの」(p.18)とは、言いえて妙だ。また、「出来事を事実として認めることと、その出来事の記憶を持っていることとは別」(p.58)として、1984年の自民党本部放火事件におけるある部品の販売店員の証言が取り上げられている。捜査の仕方(聞き方、資料の見せ方など)によってシロもクロになるということが分かる。中盤では、心理学者が「普遍的な知識」を提供し、「出来事としての事実」に迫る手助けをしていくというスタンスについて議論されている。終盤の供述分析については、浜田寿美男という先生のアプローチから著者ら独自のアプローチへの展開について語られるが、この辺は個別具体的かつ専門的すぎて、そんなに興味深くは読めなかった。特に足利事件の容疑者Sの分析で、「行為連鎖的想起」として「小さな箱がありました」という描写を「Sは『小さな箱』という無生物にさえ動作主の地位を与え」(p.179)とあるが、ん?という感じだ。警官が押入れを開けて、そこに小さな箱があったんです、というのはそんなに特徴的な証言なのかどうかはよく分からない。少なくとも「動作主」ではないように思う。あとは「時系列的接続」になっている部分がほとんどで、これが特徴的だと言うが、他の事件の証言記録なんて読んだことがないので分からないが、少なくともおれが経験した最近の「警察ごっこ」では2回目以降整理する時には時系列順に確認していったし、その出来事の叙述を一度でも何らかの形でリハーサルしてしまうと、時系列順になりやすいということは出てくるんじゃないかと思った。
専門的な話はともかく、記憶の一般的な性質について、色んな実験なんかも載っていて、その部分は面白く読めた。(16/03)
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Posted by ブクログ
「証言」を検証することによって、人の記憶の脆さを明らかにする。もともと記憶はいい加減なところがあるのではないか、という漠然とした思いがあった。本書では証言を心理学的に検証することによってそのことを明確にし、記憶が変遷する要因分析を紹介している。結局記憶とは人間の解釈にすぎない不安定なものであり、それを共同想起や外的記憶装置によって補っている。しかしその場合でも解釈・想定・常識・仮設・社会的圧力が入り込んでしまい、たとえ善意の人通しであっても間違いが増幅される可能性があることを示している。「普遍的知識」を持つ心理学者が、「不確かな断片」を手掛かりに過去を再構築することがいかに困難であることか。さらに、実験室の中での「特権的存在者」としての立場を捨てて、現実での「コミュニケーションの構図」や「スキーマ」の分析に活路を見出そうとする筆者の思いも語られる。日常においてもこうした人の記憶の不安定さについては心にとめておくべきだろうと思う。本書では過去の再構築は裁判などの「証言」に特有のもので日常とは一線を画しているように語られているが、ビジネスシーンを考えた場合にも多くのことがあてはまる。様々なコミュニケーションによって仕事が進んでいくが、そこでは当然各プレイヤーに記憶が蓄積されてゆく。その記憶ははたして正しいのだろうか。過去を想起するためには議事録、各種資料などの外的記憶装置が重要になるが、記録が残っていた場合でも「言った言わない」の水掛け論に陥ってしまう場合があることは、人の持つ思い込みや仮説やスキームがいかに厄介であるかを示している。また、電子メールやSNS、ブログ等のツールはコミュニケーションと記録を同時に行って記憶を補うものとして、重要性を増していくことだろう。