御輿哲也のレビュー一覧
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非常に独特の文体で、使っている言葉や世界観が難しいわけではないのに難しく、何度も戻って読み返す必要があった。視点が非常に流動的で、誰視点での文章なのかを見失いやすい。しかし感情の表現が非常に繊細かつ美しく読んでいて飽きない。
事前知識をあまり入れずに読んだので、第一部の時点ではどういった物語なのか掴めず、第二部に入った瞬間に急に物語が一転し驚いた。
ドラマティックな出来事は作中のシーンでは描かれず、物語のプロローグとエピローグだけを切り出したような作品だ。そうすることで平坦でありながらも衝撃的であり、静かで落ち着いた作風でありながらも飽きさせない名作だった。 -
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第一次世界大戦というそれまでの歴史に類を見ない惨劇が世に暗い闇を落とし、そのことが当時の人々の中に道徳的な葛藤や、生きることへの哲学的な思索を促したであろうことは想像にかたくない。そうした闇のような世界の中で「灯台へ」というタイトルはとてもシンボリックであり、実際darknessとlightningは本書に繰り返し用いられるフレーズで、作品の重要なテーマのひとつとなっている。
本来、人が人のことを理解することは容易な作業ではなく、どこまでいっても推測の域を出ないものである。それは例えると、自己と他者の間には常に暗闇があるようなもので、とくにここでは、戦争という時代背景がその闇をさらに深くしているようである。本書の登場人物たちは、その闇に照らされる灯台の光を探し求めるかのように、想像力を膨らませ、思考を重ね、相手の実像を捉えようとする。その思考の機微、それらが織り成す細やかなビジョンがとてもリリカルで豊かに描き出されているのが、本書の大きな魅力である。なにか共感や物語世界への自己投影を読書の楽しみとする場合には本書はオススメはできない。しかし私としては、今のこの世の中も、人が生きる倫理観や意味合いを問われるような、深い闇が広がっていると思うし、時代の転換点に私たちは生きていると思う。その意味でヴァージニア・ウルフが本書でみせた生きることへの透徹な思索は、現代を生きる私たちにも大きく訴えるものがあると感じる。
訳文の巧さもあると思うが、文章がとても美しく、この点も楽しめる作品だと思う。 -
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今まで読んだことがないタイプの小説。独特の読みづらさがあり、不快では決してないものの、終始違和感を抱えながら読み進めた。
この小説には明確なストーリー性はほとんどなく、主要な登場人物の意識の微妙な動きがひたすら描写されている。意識は浪々と流れる。まだここにいるのかと思えば、突然別の場所に飛んでいく。だから、中々ついていけない。自分自身の意識でさえ追いつくのが難しいのに、架空の人物の意識となると、なおさらだ。意識の早さ(あるいは遅さ)についていけない感覚が、読んでいる間じゅう抱き続けた違和感の正体なのだろう。
このような小説も存在するのだという事実は新鮮で、貴重な読書体験となった。 -
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すごく面白かった。
第一部「窓」では8人の子どもをもつ良妻賢母ラムジー夫人から見た1日の出来事が描かれている。ラムジー夫人は美人で、気分屋の夫ラムジーをよく観察してケアし、バラバラな人達を繋ぎ止め、誰からも好感をもたれる魅力があるが、結婚することが女の幸せという古い価値観に疑問をもたず、牛乳や水道のような取るに足りない生活の話題ばかりをする点から、一部の人からは愚かしいとも思われている、一つの理想の母親像を体現している人物である。しかし、ラムジー夫人は女性として求められた役割を果たしていることに自覚的で決して頭が悪いわけではなく、一人で灯台を見つめる時間を必要としており、典型的な母親像をはみ出す部分が随所に描かれていて、その心理描写は鮮やかである。
そして、第三部「灯台」では、第一部から第一次大戦をはさんで10年が経過しており、その間にラムジー夫人(及び子2人)が亡くなったことを知らされる。夫ラムジーの暴君ぶりは顕在で、子ども達も父から命令されて嫌々ながら10年前にラムジー夫人と行くはずであった灯台を目指すことになる。みんなを繋ぎ止める役割の不在という形で、ラムジー夫人の存在感は増しており、第一部の日常が掛け替えのないものであったことが実感される。それでも、ラムジー親子によるセンチメンタルになりそうな旅路は、残った者だけでも生活が続いていくという頼もしさがあり、予想に反して清々しい。 -
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こんな小説は初めて読んだ。
人物の視点で、意識の流れる様子を整理したりせずそのまま映し出したような文章。
人から人へ、するすると視点が切り替わっていく。
それでも置いてけぼりにはならず、実際の人間の頭の中ってこんな感じだよなあ、と自然に感じられた。
【印象に残った表現など】
・哲学者のラムジーが妻の同情を求める様子。
「生命の輪に参入して励まされ宥められることを求め」
・ラムジー夫人「いろいろ人に与えたい、助けてあげたいと思う自分の気持ちも、虚栄心にすぎないのではないか」
(これは考えたことある。)
・普段の生活での人間性と学問における偉大さの乖離。
(これも実感としてわかる。)
・「我らは滅びぬ、おのおの一人にて」 -
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ネタバレ思考の大間違い(たとえば、世界が自分ひとりのために完結しているというような)を冒しているときに読み直したい本。人びとが、さまざまの視点からさまざまのことを、物語がばらばらになりそうなほど語るけれど、それはその実細い糸で丁寧に縫い合わされて、読者を場から離さない。……かと思えば時はあっという間に過ぎ去る。そうして最後は、印象的な場面(シーン)の数々をひとりの人物のもとイメージのもとに残して幕を閉じる。こんがらがっていた真珠のネックレスが、糸をするするとただされて、終わりにかちりと留金をされたよう、でもあって、奇妙な充足感とともに、裏切りを成し遂げたみたいなおかしな達成感を見た。
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イギリスの女流作家。初期の“Jacobʼs Room”(1922)あたりから伝統小説のプロットや性格概念に対して実験的再検討を試み、”Mrs. Dalloway”(1925)や”To the Lighthouse”(1927)などで刻々と移り変わる人物の意識の流れを叙述していく方法を確立
ウルフは外側のリアリズム、すなわち人間の外面的なものをいかに現実らしく書くかを重視した19世紀のリアリズムを否定し、独自の新たなリアリズムを作り出そうとした。
いわゆる実験小説と呼ばれる彼女の三つの作品、『ジェイコブの部屋』『灯台へ』『ダロウェイ夫人』を比較してみると、それぞれの作品における客観的時間の長短は極端に異なっている。
『ジェイコブの部屋』→ジェイコブの幼少期から戦争に出て死ぬまでの20年間
『灯台へ』→10年を挟んだ前後それぞれ1日づつ
『ダロウェイ夫人』→朝起きてからパーティーまでの10数時間人物を外側からでなく、内側から描こうとする。
『灯台へ』においてもウルフはこの方法を採用しているが、実験第一作『ジェイコブの部屋』では多数の人物を登場させ、各場面でそれらの人々の目に映るジェイコブを描いたが、それに比べると、彼女の技法の用い方はその時より効果的になっている。 -
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きっと多くの作家がウルフの作品から、神の啓示ではないけれど影響を受けたのではないかと思う。
だってそういうイマージュを引き起こさせるものがありすぎる小説だもの。
はじめ、とりかかりは難しいなーと思った。
意識の流れが登場人物のあの人この人に飛ぶものだから、
人物関係がぼんやりとして戸惑い、いらいらさせられたのだけれど、
慣れてくるにつれ心地よく全体の流れに身をゆだねていた。
古き良き時代、美しき良妻賢母のラムジー夫人は哲学者で気難しきラムジー氏と
8人子ども達と仲良く別荘暮らしをしていたそうな。
そこはイギリススコットランド北西岸沖、ヘブリディーズ群島のひとつの島。
別荘に招くお客も多く、8人の子持ちにもなれば仲良くはご多分にもれず簡単ではなかった。
でも、この家族の交流のあたたかさ、親しみは凡庸ではないのだ。
と、これが美しくも繊細な文章で綴ってあるのが第一部「窓」。
第二部「時はゆく」で暗転。
第三部「灯台」にいたると、にじみでるような希望の光がほのみえる。
この構成がにくい。
美しきラムジー夫人と末っ子ジェイムズを庭から描こうとしている、お客様の画家リリー・ブリスコウ。
全編の表と裏に登場し、意識の独白をして、その目を通し語られる家族の姿が、
作者の意識であり、思想であるともいえる。
ヴァージニア・ウルフの亡き両親にささげるレクイエムの意味も。
ああ、
通俗的に書いてしまったのだが、本当はものすごく芸術的な、芸術的な作品なのである。
もちろん、何度も読まねばならない、愛読書になるだろう。