ジェフリー・ユージェニデスのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレヴァージンスーサイズを見てから読んだので、おおざっぱな話や登場人物はだいたい頭に入った状態で読みました。映画のほうは女の子たちのほうにクローズアップがされていましたが、こちらは語り手である男の子たちや、映画で拾いきれなかった細かい事柄がきちんと説明されていたので個人的には原作のほうが好きです。特にクライマックス~エピローグに至るまでは小説のほうが密で、いくつもの絶望(年月の経過、街の退廃など)が重なっていき少女たちの死が覆い隠されてしまう過程がわかります。あと、映画のタイトルが何故「ヴァージンスーサイズ」であるか、ということは原作のほうが分かりやすいです。
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Posted by ブクログ
ネタバレヘビトンボが飛ぶ季節に末娘のセシリアを筆頭に次々と自殺していくリスボン家の姉妹たち。
その時のことを当時少年だった「僕ら」の視点から振り返る。
彼女たちの自殺の原因は書かれてなく、読み手も「僕ら」と一緒になって推測するしかない。
リスボン家は躾に厳しく、学校外で他人と接する機会がないため姉妹たちは周りからミステリアスで憧れの存在だった。
しかし本当は彼女たちも普通の私たちと変わらない子たち。
最初は家が厳しすぎることで将来を悲観しての自殺かと思ったが、それ以上に根本的なことかもしれない。
この世界そのものが彼女たちと合わなかったのではないだろうか?
不思議な感じで始まり、不思議な感じで終わる -
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Posted by ブクログ
1970年代、デトロイト。リスボン家五人姉妹の末っ子セシリアが、パーティー中に二階の窓から飛び降りて死んだ。町の人びとの好奇と憐憫の目に晒され、のこされた一家は少しずつ壊れていく。遂に五人姉妹の全員が死にゆくまでを執拗に見つめていた〈ぼくら〉は、中年になり青春の思い出として彼女たちを語りだす。回顧録を模して書かれた、歪んだ青春小説。
とにかく〈ぼくら〉の語り口と行動原理がキッツい!最初から最後まで「キッツ……いやキッッッツいわ……」と思いながら読み終えたのに、解説の巽孝之が語り手のヤバさに一切触れていなかったのでびっくりしてしまった。だが、「〈ぼくら〉の目を通して見たリスボン家事件の顛末」 -
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末娘セシリアの自殺から始まる5人姉妹の集団自殺が描かれている。預言的と書かれてあるがそこに現実批判(吟味)による倫理を読み解かなければならない。
集団自殺だからといってタブーにすることは当然意味がない。ただ未来に向かって現実を批判する時この集団自殺を突き放して見る視点があればいいのだろうと思いました。そういう視点を得ることがこの本の良さだろうと思います。坂口安吾で言えば故郷(ふるさと)かなって、没落していく雰囲気は一瞬フォークナーっぽく感じたけど、男の子の視点というところが自己批判の甘さがあると思う。そういう設定だから別にかまわないけど。お互いに循環論証になっていて止揚できないというか批判でき -
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ネタバレ昔購読していたファッション誌のモデルさんがおすすめしていたのを見て以来、ずっと読みたかった作品。姉妹の部屋に吊り下げられた十二宮のモビール、ブラジャーの引っ掛けられた十字架といった印象的なモチーフが次々登場し、読んでいるこちらも段々と幻惑されられていく。最初の自殺の日から放置されたままのパーティー会場で、ピニャータのように吊り下がった死体を発見するシーンは鳥肌。ぜひ映画でその映像映えを堪能したいところ。70年代アメリカのティーンエイジャーの鬱屈した生活の中で、ひたすら死に引き寄せられる姉妹と彼女らに性欲を抱きつつ助け出したいと望む「ぼくら」の対比が美しい。
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Posted by ブクログ
雲霞に似た昆虫、蛇蜻蛉が湖から湧き上がって町を埋め尽くす初夏に自殺した
リズボン家の五人姉妹について、後年、大人になった「ぼく」たちが回想し、
それぞれが知るエピソードを繋ぎ合わせて彼女らの死の謎に迫ろうとする。
舞台は明示されていないが、作者の故郷ミシガン州の町で、
彼が思春期の真っ只中にいた1970年代半ば頃の設定と思われる。
金銭トラブルや痴情の縺れによる殺人はどんな場所でも起こり得るが、
犯人が語る動機が他人には釈然としない、不条理かつ凄惨な事件は
ゴミゴミした場所より整然とした小ぎれいなベッドタウンで発生しやすい
……と述べたのは誰だったろうか。
この小説の中では他者への暴力は描 -
Posted by ブクログ
バージンスーサイズとしてコッポラの映画を見たのが先だった。
素晴らしく幻想的でガーリーでその自殺さえもフリルにある刺繍のひとつであるかのように描かれていて、小説はどうだったんだろうかと。
コッポラは女性で、この小説を書いたのジェフリーは男性だった。
アプローチとしてもそのようになっていた。
つまるところ、これには近くとも深い断絶があり
そのひとつが女の子と男の子のあいだにあるものだった。
ただそれに仮託されたのが社会の断絶でもあったので
コッポラとジェフリーが対岸から書いてもいまだ同じ作品であった。
自殺と対極にあるのはカトリックなんだが、これはやや日本人としては捉え損なうかもしれない。 -
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Posted by ブクログ
70年代前半、米国ミシガン州の郊外の住宅街に、五人姉妹が住んでいました。年齢は13才から17歳。厳格なカソリックの家庭に育った彼女らは、美しく謎めいていて、少年たちの憧れの的でした。
しかし、末娘のセシリアが自殺した初夏のある日を皮切りに、一家は崩壊の一途をたどり始めます。若く可憐な姉妹たちが、次々自ら命を絶っていったのです。
二十数年後、当時彼女らの近所に住み、同じ学校に通っていた少年の回想という形で物語は進んでいきます。
この小説は、フランシス・フォード・コッポラの愛娘であるソフィア・コッポラの初監督作品〝The Virgin Suicides〟として、1999年に映画化されたそうです。
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Posted by ブクログ
ネタバレ読むのは2度目だけれど映画は未鑑賞。
両親、特に母親からの抑圧がとてもあるのに加えて、姉妹を外から眺めて賞賛する「僕ら」にも失望してたんじゃないかと思いました。セシリアの未遂の時点ならもしかすると留められたかもしれないのになぁ。
男子側の視点過ぎました。この年齢の男子だったことがないのでちょっとわからない。。姉妹のこと何でも知ろうとするけど、直接向き合ってた人はあまり居ない。僕らのうちの誰も、姉妹を本気でこの環境から連れ出そうとする気概がない。ミセズ・リスボンの妨害なんてなんのそのでは…と思うけど、この時代の保守的な街では仕方ないかとも思いました。学生だし親の言う事は聞いとかないと。。
映画は