トレヴァー・ノートンのレビュー一覧
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常人では考えられないような実験が、過去に行われていたことを知った。どう考えても、自分ではやろうと思えないことばかりであった。訳者あとがきにもあったが、「自己保存本能よりも知的好奇心が強い」という人間たちによって様々な実験が行われていたようだ。現在の医学(というよりも一般常識的)では考えられないような医療行為が行われていたが、そのような医療行為が現在行われていないのも、多くの研究者たちが人体実験を行なってきてくれたためであると思うと、人体実験を真っ向から否定しにくくなる(もちろん現在では倫理的にあり得ないことではあるが)。真っ当な医療をしてもらえる時代を作り上げてくれた多くの研究者たちに感謝したくなる良書であったと思う。
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ある治療や医薬品などの効果を立証するには、最終的にはいわゆる臨床試験をするしかないわけであるが、この臨床試験とは別の言い方をすれば人体実験である、と言い換えることができる。
もちろん、現在の臨床試験については厳密なプロトコルが定められ、安全性への最大限の配慮がなされているため、人体実験という言葉からイメージするような危険性は排除されているわけであるが、ともあれ、医学の発展というのが人体実験と共にあった、というのは一つの医学史の事実である。
さて、本書は医学の発展のためにそんな人体実験を、主に自らの身体を差し出して実施した医学者たちの姿を描くノンフィクションである。こう書くとかなり硬い本のように見えるが、どちらかというと、自らの仮説を検証するために危険な人体実験を自らの身体で行う彼らの姿は、ある種のマッド・サイエンティストとも呼べるユニークさがあって大変面白い。
扱われるテーマも、薬、麻酔、寄生虫、病原菌、電磁波とX線、血液、心臓(自身の心臓にカテーテルを刺す自己実験にはドキリとさせられる)など、多様。
医学の歴史を面白く知りたい方におすすめ。 -
Posted by ブクログ
人体実験、というとマッドサイエンティストだとか、戦時中の非人道的な行為、というイメージが先行する。
確かに本書に出てくる実験はそういったものもある。
だが、それを、なかったことにできる?
自分に関係ない、と言える?
誰にだって程度の差はあれ、興味はあるでしょう?
私は空気抵抗の実験をしたことがある。仮説はこうだ。
パラシュートが安全に脱出できるのなら、傘でも空気抵抗を実現できるはずだ。
そして私は駐輪場の屋根から傘を両手に持って飛び降りた!
最悪の結果にならなかったが、端的に言えば失敗した。
他にも、「アルコールの摂取量による消化器官と判断力の変化に対する考察」を行ってみたこともある。
が、そんな些細な実験と本書の内容を比べると、比べ物にならない。
音速の壁、ソニックブームの恐ろしさは、思わず電車の中で身震いした。
淋病と梅毒に同時に罹患するよう仕向けたり、炭疽菌を培養したり、漂流してみたり、ありとあらゆる実験がなされてきた!
死骸を食べる実験の章では、日本人にはお馴染みの高級魚(矛盾?)フグも登場!
それにしても、こんな人体実験の数々は、せいぜい20世紀初頭まで、そんなふうにどこか楽観的になってはいまいか?
驚くべきことに2006年、臨床試験中の失敗が起きている。
門外漢の私には、この実験方法が適切だったのかはわからない。
また、募集を見てやってきた被験者たちに問題があったとも考えられない。
当然、臨床試験そのものを否定するものでもない。
しかし、言えるのは、人体実験は功罪併せ持つものであるということ。
医学、科学に従事する人々には心から感謝と尊敬の念を抱くけれども、一方で、一般人の尊厳もやはり忘れてはならない。
本書は、普段ノンフィクションを読まない人、ミステリやホラー好きな人にもおすすめ。
不謹慎?
いや、現実の奇妙さや恐ろしさから現代と自分を省みることができる。
巻末の仲野徹氏の解説までしっかり読み込んでほしい。
「NHK フランケンシュタインの誘惑」でも解説をされている先生だ。 -
Posted by ブクログ
面白く、また知的好奇心を刺激してくれるいい本です。
“人体実験”というと、新薬の開発であったり、戦時中の非人道的なものをイメージしていたのですが、それだけでなく人体実験にはその目的や動機によって様々なケースがあることに気づかされました。
その目的には医療、医学的なもの以外にも、人間がどこまでの高さ、深さ、速さに耐えられるのか、などといったものも含まれ、一口に被験者といっても実験者が自ら被験者となる自己実験もあれば、被験者がなんの実験か知らされぬままの悲惨なケースもあり。自己実験者の動機も単純な好奇心や、自説を立証するための探究心であったり、人類の進歩への使命感だったり様々です。
とはいえ、実験の失敗も含めそのほとんど全てが今の世の中に役立っているという事実に驚かされます。
そしてその業績に比べ、死にかけたり、時には死に至ってしまった被験者たちの苦痛が、さほど深く広く知られていないことにも複雑な気持ちに。
どのエピソードも興味深いものばかりですが中でも、それまで外科手術では手のつけられない臓器とされた心臓へのアクセス方法として、血管を通すカテーテルを実際に自分で試したフォルスマンや、「深さ」と「高さ」の両方にチャレンジした天才科学者ピカール博士のエピソードにはより感動させられました。
著者はイギリスの海洋生物学者で、いかにもイギリス的な皮肉の効いた文章が、読書中の興奮をいい具合に冷ましてくれ、クセになります。中には皮肉が効きすぎて笑えないくだりもありますが。
本書原書の副題訳「自己実験という危険な行為を成し遂げた、偉大なる奇人に捧げるウイットに富んだ賞賛」がもっと世の中に知られることを強く望みます。 -
Posted by ブクログ
本屋さんで欲しい本を見つけた後、他になんか面白そうなものないかなあ、とあてもなく棚を見ているときに見つけた。タイトルを見て、面白そうとタイトル買い。
こういう予定にない本に出会えるから本屋さんはやめられない。
性病、麻酔、薬、食物、寄生虫、病原菌など全17章にわたって様々な人体実験の歴史について書かれている。
科学者が自分の予想の確認や新しく創り出す際において、人体実験は欠かせない。勿論、人間に行う前に動物などを用いて実験するだろうが、最終的に人間に使うものなどの確認のためには人体実験せざるを得ない。
本書ではその人体実験の被験者に果敢にも自らなるという科学者がたくさん載っている。
実験が上手くいって自らの仮説を裏付けることの出来た幸運なひともいれば、生命を落としてしまうひとや、危うく生命を落としかけたひともいる。
こういう科学者を、マッドサイエンティストと呼ぶのかもしれない。わたしに言わせてもらえば、自分が厭なものや効果の不確かなものを他人に使えるひとのほうが余程狂っていると思う。
わたしは科学者でないので、自分に明らかに害になるものを試したり、他人試す機会もないけれど、それを行うということは、一体どれくらい強い信念と使命があるのだろう。
この本に出てくる実験は、どれもこれも凄まじく、どれか選んで実験台になれると言われたら、どれもお断りなのだが、科学者でなくても実験台に志願するひともいる。
科学の発展のためという崇高な理由のひともいたかもしれないけれど、多くは報償金や、自らが罹患し放っておいても死んでしまうといった場合が多い。
それしか手段がなければ、実験台になるより他ない。これは辛い。
どれも厭な中でも容易に気持ち悪さの想像出来る、寄生虫を体内に入れるだとか、病原菌を打つは耐えられない。
他にも、患者の嘔吐物を摂取したり、自ら漂流してみたり、どう決意したのかわからない多くの科学者たち。
これならイケるな、とか、これだけはムリ、と単純に楽しんで読んでもいいだろうと思うし、様々な歴史のひとつと真面目に読んでもいいだろう。たとえば、コカインは初期のコカ・コーラ原材料のひとつだった。だから、コカ・コーラなのか?だからコーラは中毒になるのか?(わたしの夫はコーラ大好き、わたしは飲まないので何故あんなに飲みたがるのか不思議だった)
ただ、忘れてはならないことがある。
わたしたちが今、当たり前に飲む薬にも、危ないとわかっている行為にも、それを裏付けするために多くのひとの苦労がある。
薬が間に合わず病によって亡くなるひとたち、実験によって失われた多くの生命、人間の都合によって殺されていった多くの動物たち、数え切れない犠牲の上にわたしたちの生活は成り立っているのだ。 -
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「医学の歴史は、人類のために自分の健康やときには命までも犠牲にした研究者らの英雄的行為によって飾られている」
現代当たり前と思っているようなことにも先人たちの涙ぐましい努力や驚くようなドラマがあり、当然ながら試行錯誤を繰り返して初めて実用化されたものだ。19世紀から20世紀にかけて病気やその治療法、毒ガスや爆弾、深海や成層圏などの謎を解明するために、科学者たちは自らの身体で人体実験を試みる。そのエピソードを紹介している。
本自体は面白おかしく書かれているわけではないが、人体実験の事実自体が凄まじく、笑うと言うより恐怖すら感じる。
梅毒と淋病の感染経路を把握するために自らの性器に性病患者の膿を塗ったり、黄熱病の研究のために患者の嘔吐物を飲んでみたり。確かに定期的な症状チェックやフェアな実感の確認は自分でやらざるを得ないことだ。しかしそれが常人の思考を飛び越えた想定外の発想なのだ。これがかなり面白く、かなり怖い。
そしてそこに挑む研究者たちの考えは、高貴な勇気とも言えるが異常な好奇心とも言える。
「危険だとわかっている実験を行う必要がある場合もある。病気がどのように伝染するかを検証する実験などがそれである。そのために大勢の人間が死んだ。私としては、これは理想的な死に方だと思う」とは言うものの、この言葉を信じきれない自分もいる。
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痛みや苦しみや悲惨さに目を伏せたくなる様な人体実験の数々だが、興味深い話ばかりだった。
医療技術はもちろん医療に関する法律も定められていない時代。イギリスでは当時、死刑囚の死体が解剖に利用することが認められていた。その死体は、度々遺族と解剖をしたい医者との死体の奪い合いが起きて、その奪い合いの激しさから死刑囚が生き返ったこともあったという。
医学生に必要な遺体が足りないために、メスを入れるのが初めての患者だということも。そのため、遺体が高値で取引され、埋葬屋が医者へ遺体や臓器を横流ししたり、遺体を採掘盗掘する輩がはびこった時代も。
生きた被験者としては主に、医者自身・死刑囚などの犯罪者・黒人・孤児院の子供(特に障害児)・末期の病床人などが利用されることが多かった。
自己人体実験
・淋病と梅毒を同じ病気が進行したものだということを証明しようと、自身の性器に淋病患者と梅毒患者の膿などを擦りつける。
・心臓にカテーテルを自ら通す。
・壊血病を証明するため、数ヶ月の間ビタミン無しの同じ食事で過ごす。
・炭に解毒作用があることを証明するため毒と一緒に炭を飲む
麻酔剤が"笑気ガス"と言って40年以上も楽しむためだけの扱いを受けていたとは驚きだ