滝口正哉のレビュー一覧
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巻末の与力の先祖を見ると、江戸町奉行所与力は、
① 家康関東移封前からの家臣
・三河以来
・旧今川家臣(遠江・駿河)
・旧武田家臣(甲斐・信濃)
② 関東移封後の家臣=旧北条家臣
の子孫がやはり多い。旧○○家臣でも重臣は大名なり旗本になった家が多かったであろうから、与力になったのは中級程度の家臣だったのだろうか。
だとすると、例えば大阪町奉行所の与力の先祖も①と②(この場合は旧三好とか六角とか京極とか浅井とか)のミックスなのだろうか。
又、紀伊徳川家も①と②(旧雑賀衆や浅野家家臣で安芸移封に動向しなかった一団)のミックスなのだろうか。
ルーツを辿るのも面白い。
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ネタバレ幕末により気を務めた佐久間長敬の「江戸町奉行事蹟問答」等とその実弟で与力を務めた原胤昭(1942卒。女子学院の源流の一つA六番(原)女学校の創設者。更生保護の父)が収集した与力・同心の私資料を主たる文献として、与力・同心の歴史を叙述。
・与力の家は幕初から続くものは稀で多くは寛政から享保に始まる。北条氏をはじめ武田・今川・上杉の家臣出身の者が多い、同心から昇格する者や他組の与力や内与力からも。同心は御家人株の売買もありより雑多な出身。
・与力の婚姻は与力間が多く、他組与力とも。
・与力・同心は付届け、出役の報償、屋敷地・拝領町屋敷の貸借等に収入が多い。
・慶応4年5月 町奉行所は市政裁判所、勘