あらすじ
百万都市を一手に支配した江戸町奉行所の「実働部隊」が,与力と同心だ.治安維持をはじめとする幅広い分野にわたる彼らの業務の実態と,組屋敷での生活,そして深い教養と豊かな人脈に裏打ちされた知られざる文化活動に光を当てる.そして明治維新後の新時代と格闘しつつ,「江戸」を回顧し,語り継いだ彼らの実像に迫る.
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
巻末の与力の先祖を見ると、江戸町奉行所与力は、
① 家康関東移封前からの家臣
・三河以来
・旧今川家臣(遠江・駿河)
・旧武田家臣(甲斐・信濃)
② 関東移封後の家臣=旧北条家臣
の子孫がやはり多い。旧○○家臣でも重臣は大名なり旗本になった家が多かったであろうから、与力になったのは中級程度の家臣だったのだろうか。
だとすると、例えば大阪町奉行所の与力の先祖も①と②(この場合は旧三好とか六角とか京極とか浅井とか)のミックスなのだろうか。
又、紀伊徳川家も①と②(旧雑賀衆や浅野家家臣で安芸移封に動向しなかった一団)のミックスなのだろうか。
ルーツを辿るのも面白い。
啓林堂書店生駒店にて購入。
Posted by ブクログ
幕末により気を務めた佐久間長敬の「江戸町奉行事蹟問答」等とその実弟で与力を務めた原胤昭(1942卒。女子学院の源流の一つA六番(原)女学校の創設者。更生保護の父)が収集した与力・同心の私資料を主たる文献として、与力・同心の歴史を叙述。
・与力の家は幕初から続くものは稀で多くは寛政から享保に始まる。北条氏をはじめ武田・今川・上杉の家臣出身の者が多い、同心から昇格する者や他組の与力や内与力からも。同心は御家人株の売買もありより雑多な出身。
・与力の婚姻は与力間が多く、他組与力とも。
・与力・同心は付届け、出役の報償、屋敷地・拝領町屋敷の貸借等に収入が多い。
・慶応4年5月 町奉行所は市政裁判所、勘定奉行所は民政裁判所、寺社奉行は寺社裁判所。新政府に書類等の引継ぎ。9月には東京府に。与力・同心の多くは当面は継続雇用したが、次々に罷免・退職し与力で残ったのは10人。