石川拓治のレビュー一覧
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ISAKという国内初の寄宿制のインターナショナルスクールが軽井沢にできるまでのストーリーと小林りんさんの半生がわかりやすくかかれた本。これまで断片的にしかしらなかったことを知れて非常に興味深く一気読みしてしまった。りんさんの行動力にただ単に感嘆するとともに谷家衛さんの先見性に脱帽。この学校から将来どんなチェンジメーカーが現れるか本当に楽しみ。と、同時に自分自身のこれまでの人生にむなしさを感じてしまった。いかに外に開かれた人になれるか、やるしかないし、遅すぎることはないと信じたい。ただ、りんさんをここまで動かしているのは高校生時代の留学に原点があり、その原体験が全てともいえる。自分自身にそこまで
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ネタバレこの本は、ISKAというインターナショナルスクールを日本で開校した小林りんさんのそこに至るまでの物語である。
筆者の石川は、客観的に解釈を挟みながら具体的にストーリ仕立てにしているために非常に感情の移入がしやすくテンポよく読むことができる。
この本を読めば、熱意というものがどれほど大切なのかを考えさせられる。
その一方で、小林さんの経歴をものすごいエリートで自分は世界に対して何もできないでのはという虚無も感じた。
以下引用
「外国などというものは、明日というものが存在しないように本当はどこにも存在しない。人は、「今」を生きるしかない。同じように人は、「ここ」を生きることしかできない。
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無肥料無農薬でリンゴを栽培する。そんな不可能に挑戦し、成し遂げた男の壮絶な半生を描いたノンフィクション。木村さんの恐るべき探究心と粘り強さには感服するが、やはりこれだけの苦労に耐え、不可能を可能にする人は普通ではない。貧窮に耐え、それでも無農薬リンゴを作るまではと諦めない。バブル真っ盛りのあの浮かれた時代にこんな理不尽な苦労をしている家族がいたなんて‥。
それでも家族7人を貧乏のどん底に陥れた責任を感じ、無農薬でいくことを決意してから6年目に、首を吊って死のうと山奥に入る。そこに神様がいたんですね。神ってほんとにいるんですね。そう考えないと木村さんがそこで天然のイキイキしたどんぐりに出会い、 -
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私が レストラン山崎 を知ったのは、
原田マハさんのエッセイ フーテンのマハ を読んだときであった。
マハさんの文章は奇跡のリンゴなるものの冷製スープをぜひ飲みたい、とそれはそれは強く思わせた。
そしてこのたび、弘前旅行を決断し、レストラン山崎の予約が取れた。
せっかくなので、関連書籍を読もうと思い、手に取ったのがこの本であった。
旅行当日までなかなか時間が取れず行きの飛行機で読んだ。
日本の、そして青森のリンゴの歴史
リンゴと農薬の切っても切れぬ関係
そんじょそこらの野菜や果物の無農薬とはわけが違う無農薬りんごの難易度
そして、木村さんの壮絶な無農薬りんごへの挑戦の日々
あやうくな〜 -
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肥料不足がニュースになっている昨今、「農薬も肥料も使わないリンゴ」を作った農家、木村秋則さんの記録です。非常に読みやすく、2~3時間で読み終われるボリューム感ですが、考えさせられますね…。
まず、今我々が食べているリンゴは品種改良を重ねたもので、昔のリンゴとは別物だということ。その結果野生の力を失い、農薬に頼らないと実をつけられない弱い植物になってしまった…ということが説明されます。
その上で木村さんが無農薬に挑み、失敗を積み重ねていく…。正直、かなり闇雲なチャレンジにも思えたのですが、最後には正解を引き当て、今では色々な人から教えを乞われる存在になっています。
本著を読んで感じたのは「信 -
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本書は、2006年12月にNHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で放送した、青森県のりんご農家・木村秋則氏による無農薬のリンゴ作りへの挑戦を描いた回の反響があまりに大きかったことを受けて、その後、ノンフィクション・ライターの石川拓治(1961年~)氏が、1年半に亘る追加取材を行い、それをまとめて書籍化したものである。2008年に出版、2011年に文庫化され、累計40万部を超えるベストセラーとなった。また、2013年に映画化され(出演:阿部サダヲ、菅野美穂)、フィレンツェ映画祭で、同映画祭唯一の賞である観客賞を受賞した。
私はノンフィクションを好んで読み、興味のある新刊はその時点で入手する -
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青森のりんご農家木村秋則さんの無農薬無肥料でのリンゴ栽培への挑戦について詳細が記載された名著。
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・リンゴは本来温州みかんほどの大きさで、料理の材料そして酒の原料であった。
・19世紀初頭にアメリカで品種改良され、現在の大型リンゴとなった。
・日本には1860年に苗木が持ち込まれ、その後全国で広まったが害虫の問題が大きく青森以外では栽培をやめた。
・青森では養蚕ができなかったため仕方なしにリンゴを栽培し続けた。
2.リンゴの木を必要としているのは人であり自然の摂理に従うなら本来は枯れるしかないものを生かしているのは人間の都合。
3農薬散布とは畑の生態系を力ずくで押さえつけて無菌状態に -
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一流料理人のドキュメンタリーとしても楽しめるが、それ以上に修行への取り組み方、独立(転職)のタイミング、努力の基準をどこに置くかなど、転用して活かせる金言が多い。
「これで完璧だと思ったら、それはもう完璧ではない。この世に完璧というものはない。ただ完璧を追い求める姿勢だけがあるんだよ」
「1年間で3年分の修業をするつもりでやった」
「「95パーセントまでは誰だって努力できる」と彼は言う。みんな成功したくて努力してるのだ。95パーセントまでは誰だって努力する。けれど成功するのがほんの一握りの人でしかないのは、ほとんどの人が95パーセントで力を抜いてしまうからだ、と」 -